愛情観察

 ジュンク堂書店。そこは、大阪最大の書店である。本好きな私は当然足繁く通うわけだが、そこで見つけた「愛情観察」という本がいまだに忘れられない。

 場所は「写真」のコーナー。グラビア雑誌から、芸術作品まで、種々雑多な本が並んでいる。いつものように、惹きつけられる本はないか、と物色していたところ、もうほとんどボロボロになってしまった一冊の見本本を見つけた。角が折れ曲がっており、表紙には深い皺がよっている。これほどボロボロになってしまったということは、おそらく数多くの人が見開いた本である。きっと素晴らしい本に違いない。

 しかし、中を開いてみると驚いた。そこには、あまりにも生々しく写し出された女性の裸体が掲載されていたのだ。芸術作品であることに違いないとは思った。しかし、そのエロスは「芸術的に」だけでなく、「袋とじ的に」も私を幻惑する。一言で言えば、単にエロかったのだ。もし、私が真剣な眼差しでその本と向き合っていることがバレてしまったなら、社会的な逸脱者になりかねない。急いで、周囲の目を確認した。そして、誰かが私の背を通ろうものなら、瞬間的に本を閉じ、こんな本で俺は興奮しないゼ、と言わんばかりに立ち去る準備をした。周囲のへの緊張と本を閉じる予備動作で、私の手に力が入る。

 しかし、その瞬間ハッと気づいた。もしかするとこの本の皺は、私と同じような、歴戦の読者たちが緊張の中で込め続けてきた、発情の皺なのではないか、と。私と同じように、効かせてきたグリップがこの本に皺を寄せてきたのではないか、と。そう考えると、私は単に周囲の目を気にしているのではない。私はその本に歴史を刻んでいるのだ。

 よく、高齢者の皺に、生きてきた証を見出し、その歴史性を称揚する名言が言われる。この本も同じである。この本がシワクチャになりながら、本屋の一角で生き続けてきたのは、その本に込められた、発情と緊張の中で揺れる男性たちの歴史性である。

 世の男性たちの矛盾した感情を愛おしく感じながら、私は歴史を観察するのであった。

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