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団塊ジュニアはひとりっ娘 15 後始末

14はこちら https://note.com/churu/n/n8958be340c15

深夜に入院中の病院からの電話で母の急変を知らされ。
息子たちは自転車で駆けつけ。
私はたまたま休みだった夫が運転してくれる車で駆けつけました。
息子たちは母の病室で「おばあちゃん」のそばで棒立ち。

電子音が鳴り響く病室で寝ていた母。

そう。寝てます。気持ちよさそうに。


ついさっきまで点滴処理の看護師さんと話してたそうです。
でもそこは前日まで居た個室。
その日面会に行った・・・数時間前は大部屋に移動していました。
母の友達に声のメッセージをもらい聞かせていました。
会話してる様に嬉しそうに返事してました。
でも成り立たない会話。でも嬉しそうでした。

そして母は ほぼ毎日会いに行っている私に
「今日は帰らないで」と。
そこに座っててと。
その手を振り払って。代わりに一緒に写真を撮り。帰ったんです。
夕方です。私にも生活があって。母の世話だけするわけにはいかなくて。
日付が変わって数分。医師が最後の確認に来ました。
だから本当の命日は20日です。

私たちの到着を待ち、鳴り響く電子音はそのままに、深夜0時5分です。
病院は「早く遺体を病院から引き上げてくれ。葬儀屋は決まってるか?」と。
泣く暇もなく深夜に葬儀屋を決め、お迎えに来ていただき、長男は泣きながら深夜からの仕事に出勤。
冬休みに入っていたけどバイトで忙しい次男は私を気遣ってくれ。
忌引きを使いたくない夫の都合で火葬はクリスマスイブの朝七時半集合に決まったんです。
母の部屋の片付けの話は前にしていますが、本当に今思い出しても色々ありすぎました。
実はまだ七ヶ月しかたっていないのにもう何年も時間が経った気がします。
初盆です。
そろそろ納骨しようかと。父と一緒に共同墓地に納骨しようかと。ここに至るまで色々あったんですが・・・
団塊ジュニアはひとりっ娘。10数年、たくさんいろんな方にご協力いただき両親を介護し、看取り、後片付けをしてきました。
が、片付いてない事もあります。でもそれも・・・きっと・・・
納骨をしたら・・・その気持ちになる迄の話をまとめて最後にしようかなと思います。
・・・

中学の時に両親が別居し、遠く離れた雪国と関西を行き来しながら親と関わり、結婚してからは関西に腰を据え、のちに 両親も比較的近いところに住み、父の老子を孫の世話をさせながら過ごすつもりだったんです。
その為に父に引っ越してきてもらったのに。
辛い思いをたくさんさせてしまった。

亡くなった今、父の辛い事をまだしなきゃけないと思います。

この話もまた別のお話・・・

団塊の世代な両親は亡くなり。私もジュニアではなく
ひとりになってしまったので。

このタイトルでの記事はこれで最後になります。

色々吐き出す場所にさせていただきありがとうございました。

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