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離れても心の奥底にあるのは・・・
ふるさとを語ろう。
三つ子の魂百まで
言い得て妙な言葉ですよね。
私は冬には雪が降り積り、夏にはお祭りがあり、地元の名産品や伝統工芸品がある、いわゆる「田舎のふるさと」で育ちました。
でも、田舎なふるさとで育った時間と、今過ごしてる土地。
時間のバランスが逆転してしまうのは歳をとった証拠なのだと心に沁みるのですが。
不思議なもので、ふるさとの人間と話すと、ふるさとの言葉に勝手になるのです。
パーソナルな話になってしまいますが・・・
私は今「関西弁」といわれる「なんでやねん」な土地に長く住んでいて、でも私のふるさとは「津軽弁」なのです。
テレビで懐かしいイントネーションを聞いてしまうともうだめです。
なまってる?
そんな一言がすでに関西では訛っているのです。
こうなるともうわからない。
田舎の名産といえば
りんご
この単語すら、関西ではなまっているのです。
こうなるともう何を言ってもなまります。
単語がなまっている。
イントネーションがなまっている。
そもそも津軽弁と標準語と関西弁を操る私なのに全く区別がつけられなくなるのが「イントネーション」なのです。
それはそれはフランス語のような相当聞き取れない津軽弁を操る祖母に育てられた私は、きっと今ふるさとに戻っても「なんて言ってるの?」なんて言われかねない方言を使いかねないくらい 浦島太郎 状態なのです。
その状態で酔っ払ってしまうともう止まらない。
何が訛っているのかわからない。もどらない。
津軽弁から関西弁へ戻せない。
津軽弁で関西弁の単語を使いだす始末。
そんな産まれ育ったふるさと。
三つ子の魂百まで
15歳までふるさとで育った私は、その倍の時間を関西で過ごしていてもなお、身も心も「ふるさと」にそまっているのです。
願わくば、津軽弁はみんなもっと使っていって欲しい。
ふるさとの宝の一つ。
ねぶたもりんごもにんにくも長芋も版画家も作家も自慢できる私の産まれ育った「津軽」にはたくさんの魅力があることを関西に来てから思い知ったので、離れてみないとわからないのがふるさとなのだな・・・と、思うのでした。