団塊ジュニアはひとりっ娘 5

※4 はこちら https://note.com/churu/n/n52c99fcfd295

60を過ぎてまもない父が ボケたかもしれない。
仕事も辞めて半年。
次のステップに進もうとしたら…

父は高速道路を歩いている所を保護された。
本人は逮捕されたと勘違いしていた。

元職場は退職直後から社会保険を使えなくしていた。(月末まで残してくれるところもある)
かかりつけの病院で、診察に来たけど保険証が切れている事実を知って、診察せずに帰った事を、私に連絡するか悩んでたらしい馴染みの看護師さん。(子どもが1人で吸入にかよってたから余計に悩んだらしい)
父は、安定剤と睡眠薬を貰いにきていたようだ。


警察に保護された翌日から動き出した私。
これからの生活を考え、生活保護の相談もしてみた。

貯金が10万円ほどしかなく収入の見込みもない。

そうなったらまたいらしてください。と。

つまり首が回らなくなったてどうにもできなくなったら来てください

だそうで。
不安で誰にも頼れない人でも動けなくても、そうなってから来いと。


同時に年金の手続きをしていた。
この辺は記憶の前後が曖昧なのだけど。

社会保険事務所 から色々教えて貰った。手続きの為に直前に勤めてたタクシー会社にも出向いた。(近くだから)ボロカスに言う偉そうな人。お父さんはよく我慢したよ!というおじさん達。

書類を頂いて歯を食いしばってかえる。

その間にも、地域包括センターの方が来て下さり、これからの事を聞いてくれた。

そして、予備自衛官の訓練に行けない事を伝える連絡をしたら…電話を受けた方は父を知ってる方でした。
とてもお世話になったと言ってくださり…
実は…と事情をお伝えした。

そしたらそこに父に出来なかった手続きの話が。。。

共済年金はややこしい。

退職した時の駐屯地へ連絡。
事情を説明。
年金請求手続きの書類請求。

そんな、手続きで地元の社会保険事務所へも何度も走り回ってた。(結構時間のかかる作業で数ヶ月に渡って通ったかも)

父が保護されて数日後。
その日は土砂降りだった。
いつものようにうちに来て孫の顔を見ながらワンカップを飲む父はとてつもなく酔っていた。
その間に私は父の郵便を確認に。
保険証到着!

地域包括センターの方と「健康診断」に、行くという名目の保険証。
保険証が届いたから動けます!と連絡を入れた数時間後。

気分よく飲み……過ぎているので家に送ろうと…どしゃぶりの中2人で傘をさして歩こうとした…でも、自転車に乗ってきたから乗って帰るときかない。(見渡しても自転車は無い)
後で自転車は私が持っていくと言ってもきかない父。傘を持つ私。暴れる父。よろける父の腕を掴んだ。

私は父と一緒に 土砂降りの道端に倒れ込んだ。
必死で私は父の下に潜り込み…何とか父の頬にかすり傷程度で収めた…つもりだった…

タイミングよく通りかかったお巡りさんが救急車を読んでくれ……ず、「自分で呼んだ方が早いから」と私自身に呼ばせた。

父は、酔っているのか?意識朦朧なのか?(倒れた時に頬骨強打)
私の肘と膝はズルムケ血だらけ。
私の住むマンションの表。
子どもたちに私の財布と今日届いた父の保険証を持ってきてもらい、留守番は母に電話をし、それまでは何かあったらなんでも!と言ってくれた家主さんにおまかせして救急車はしりだした。

徒歩で行ける病院は受け入れてくれす…。
隣町の病院へ。
そこで耳を疑った。


脳出血です。
脳外科に転院してください。

と。


運ばれてから病院が決まるまで数時間。
私の肘から血がたれっぱなしでも誰も気にしない。

父はやっと受け入れてくれる脳外科へ救急車で転院した。

私はその時、自分がどこの病院にいるのなんてわからないほど、何がどうなっているのか分からなかった。

救急車で運ばれた先の病院で落ち着いたのは、既に電車も動かない暗闇で駅までの道も分からないほど……
携帯の充電は1桁だった。

普段仕事が終わって帰ってくるのが:23時くらいの夫がメールに気づいてマメに電話をくれた。
私がいる場所の把握もしてくれて…土砂降りの中迎えに来てくれた。

ほっとして涙か止まらなかった……

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