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その大正男児はティッシュを許せなかった。
大正七年生まれのオイラのオヤジは、四角いものは四角に、隅と隅とをキチンと合わせて畳まなければ気のすまないタチの頑固者だった。
例えば、読み終えた新聞(正しくは、読んだ後の紙だから「新聞紙」)は、そのまま畳んで積むことを絶対に良しとしなかった。ページ数の多い新聞紙は、そのまま畳むと、1cm程度、必ず隅がずれるのだ。
彼は、これが嫌いだ。
彼は、新聞を読み終えると、必ず1枚ずつにバラし、その1枚ずつをキチンと四隅合わせて畳んでから重ねた。
(ちなみに、そんな彼が折り紙を折ったのを見たことはない。)
しかし、文化の波は、貧乏な我が家にも押し寄せた。
昭和40年代後半だったろうか、「ボックスティッシュ」なるものが登場したのだ。
我がオヤジ殿は、このボックスティッシュが嫌いだった。
それまで、チリ紙とかを使っていた庶民にとって、子供から見ても、便利で、画期的で、お洒落で、なんかアメリカンっぽいボックスティッシュだったが、一体その彼女(何故か突然に女性名詞)のどこが気に入らなかったのか?
それはズバリ、彼女の「立ち姿」だった。
これまでの日本のチリ紙と言えば、皆、浴衣(薄いビニールなどの袋)を着た寝姿のままで、お呼びがかかるのを待っていたのだ。
しかし、異国からやって来たボックスティッシュちゃんは積極的だった!
あろうことか、ドレス(ボックス)の上に、すっくと立ち上がり、「日本ノ皆サマ、ドウゾ、私ヲ使ッテクダサイマセ💕」と誘うのだ。春のそよ風でも吹こうものなら、ヒラヒラと手を振ったりして…。
生粋の日本男児で、大東亜戦争も経験したオヤジは、その外国娘(ヘイトの気持ちは全くありません。)の仕草にどうにも我慢ならなかった。
自分以外の家人が、ティッシュちゃんを摘まんで連れて行くたび、次に立ち上がったティッシュちゃんを無理矢理ボックスに押し戻すという暴挙に出たのであった。
かくして我が家の歴代のボックスティッシュちゃん達は、その大きな特徴を開花させることなく、散って行った。
そう言えば、昔、「ティッシュのように棄てないで…」てのがあったよね。(関係無いかぁ😅)
【余談】
確かその頃、ボックスティッシュを見れば、皆、「クリネックス」と某製紙会社の商品名で呼んでいた。この商品が当時、どの程度のシェアを有していたかは不明だけど。
お、そう言えば、オイラが最初に就職した時、会社のコピー機がキャノン製であるにもかかわらず、定年間近の上司が、いつも、「◯◯くーん、これ、ゼロックス、2枚とって来てー。」とか頼んでいたっけ。