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日本語教師|わたしは何をする人か?

為末大さんのこちらの記事を読んで、日本語教師としての自分にも思うところがありました。

自分がやってきたこと、できることを、抽象化•言語化していくことで、社会に必要とされる武器としての自分の能力がわかる、ということが書いてありました。

記事の中にこのような問いかけがあります。引退した選手に向けての問いです。

「競技名を使わないで自分がやってきたことを説明してください」

この質問を日本語教師に置き換えてみます。

「日本語教師という職業名を使わないで自分がやってきたことを説明してください」

そうすると、きっとこんな答えがたくさん返ってくると思います。

「外国人に日本語を教えてきました」


では、次に考えたいのが、この言葉がわたしのやってきたことの本質を表しているのかということです。

コロナ化で急速に進んだ学習のデジタル化。外国語学習でも、今や、無料で便利な言語学習ツールが手に入るし、YouTubeを探せば、直接法でも間接法でもさまざまな解説動画が配信されています。

日本語母語話者が自宅で会話相手になるマッチングサイトもあるし、音声配信アプリもさまざまなコンテンツがあります。

"日本語を教える"のは、何もわたしである必要はないのです。

そもそも、教師主体の"教える"教師のあり方は古い時代のものになっています。


それ以上に、このままさまざまな分野でテクノロジーが発展して、通訳や翻訳が機械によって肩代わりされる時代が来たら、"外国語を学習する"という行為も消えていくかもしれません。

だから、自分のできることの本質をきちんと理解して、説明できるようになっておくことは、とても大切なことだと思います


せっかくなので、今、思いつくだけ自分のことを書いてみることにします。(自分の現在の実力では完全にはできないけど、こんなことができるのが日本語教師じゃないか、と考えたことを書きます)

▪︎学習者の既習知識では理解できない内容を、既習知識で理解できる内容にかみくだくことができる

▪︎学習者の言語的な誤りを指摘して直すだけでなく、なぜそのように直すのか説明することができる

▪︎学習者の興味関心と日本語の学習をつなげたり、日本語使用の機会を作って、学習意欲を伸ばすことができる

▪︎学習者に合わせた、学習プランの設計や評価ができる

また、個人や少人数を対象とするか、それとも大規模クラスを対象とするか。組織属しているか、フリーランスか。などでも、やってきたこと、できることが変わります。


自分は何をしてきて、何ができるのか。そして、これから何をしていきたいのか。

これが定まっていれば、仕事において迷子にならないかなと思います。

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こんなことを書きながら、日本語教師として書いた記事を貯めてるマガジンのタイトルが「日本語を教える人の話」になってるので、近々タイトルを見直したいと思います。



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