教師の役割#日本語教師
教師の役割ってなんだろう?
わたしは最近、いろんな場面でこの問いにぶち当たっています。
教師ではない人が「教師ってどんな仕事ですか?」と聞かれたらどう答えるでしょうか。
「人に何かを教える仕事」と答える人が多いかなと思います。授業に立って学習者にわかりやすく正しい知識を与える人、というイメージがありませんか?
では「学習するとはどういうことだと思いますか?」と聞かれたらどう答えるでしょう。
その質問に「人に何かを教えられること」と答えるでしょうか?
「経験から教訓を得る」とか
「資料から知識を得る」とか
もっと学習者に主体性がありそうな答えが出てくるのではないでしょうか。
そのように考えると、教師の仕事=知識を与えること、とは言えなさそう。
正しい知識を相手に与えることが教師のメインの役割じゃない、としたら授業で教師は何をすべきなのでしょうか。
わたしは日本語教師をする中で、わりと「教え方がわかりやすい」と言われてきました。
説明の流れや、要点をまとめて説明することはかなり意識していたため、そのような評価をもらったのだと思います。
しかし私自身はそのような評価をもらうことに対してしっくり来ていない部分がありました。
何故かと言うと、私の授業をわかりやすいというのは教師仲間か勉強が好きな学生が主だったからです。
一方、勉強が苦手だという学生は授業中の顔を見る限りわかっているとは思えなかったのです。勉強ができない人がわからないのでは真にわかりやすいと言えません。
正直な話、勉強が好きな人は勝手に勉強して、自力で高い能力を身につけることができます。では、私の授業を受ける意味って何なのだろう?
そのような疑問がずっとありました。
そんな疑問をひきずったまま新しい職場に移りました。そして大学の授業で、今までのもやもやがはっきりとした形になる出来事が起こりました。
受け持ったあるクラスはわりと学生同士の仲がよく、会話練習は積極的にワイワイと参加してくれるクラスでした。
しかし、私が文法を「教える」と、とたんにみんな静かになってしまうのです。
「わかりましたか?」と聞いても反応しない。
理解確認のための質問を投げかけても誰も答えない。
反応がないとこちらは「わからないのかな?」と思って、言い方を変えて再度説明します。
そうするとさらに静かになる。
これでは、わかったのかわからないのかまったく判断できません。
そこで私は授業のやり方を大幅に変更しました。
今までの説明する授業をやめ、学生同士が相談して課題を解決するという授業に切り替えました。
わたしは説明することをせず、学生同士の学び合いが進んだタイミングで、小さいグループや個人めがけて理解しているのか測るための質問を投げかけるようにしました。
そうすると、今までは何も答えなかった学生も口を開くようになりました。
グループで解決できない場合はわたしを呼び止めて質問するようになりました。
もし理解不足があれば、ヒントを与えて再度考えさせると正しい答えにたどり着きました。
はじめて上手くいった日の授業は他の先生に見学してほしかったくらいです。
実は、わたしがそのような壁にぶち当たったちょうどそのタイミングで、新しい教育法として「教えない授業」という考え方が広まりつつあるというのを知り実践した、という背景があります。
さらにこのようなことを考えはじめたのにはもう一つきっかりがあります。
それはオンライン授業というものの広がりが加速したことです。
今、日本語学習においてもさまざまなコンテンツが生まれています。YouTubeでは無料で詳しい日本語の授業が受けられます。
正直、「わかりやすく知識を伝える」だけの授業なら、いつでもどこでもタダで手に入るようになったのです。
なぜ対面で学校へ通って勉強するのか?
この問いを突き詰めて考えなければ新しい時代の日本語教師として生き残れないと思いました。
そしてそれは、教師の役割とは?という問いへとつながっていきます。
「教えない授業」ってなに?
で、けっきょく、「教師の役割」ってなんなわけ?
それは簡単に結論が出るものではないと感じています。
4年教師をしてもまだわかりませんし、1か月向き合っても疑問は深まるばかりなのです。
ある意味、それを追い続けることも教師の役割のひとつとも言えます。
わたしは今、その問いの中に足を踏み入れました。
また、今回は「授業」にフォーカスして書きました
が、教師の役割は授業の中にだけあるのではありません。
授業の外で、わたしは何を担っているのだろう?
もし、こういったことを考えたい!知りたい!
という方がいれば交流していっしょに考えてみたいなと思っています。
(日本語教師の方だけに限りません)
興味があれば、ぜひぜひコメントやDMでご連絡くださいませ。
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今日の見出し写真は蓮の実の砂糖漬けです。
よくマッサージ店で施術後にお茶といっしょに出てきたりします。
ベトナムでは蓮の実を料理やおやつ、デザートに使います。
でも、この食材はとても贅沢(だとわたしは思ってる)。なぜかというと食べるまでに手間暇がかかっているから。
一度蓮の花茎をそのままもらったことがあるのですが、実を取り出して、皮をむいて、さらに実の中の苦い部分を取り除いて…と食べるまで過程の長いこと。
また昔の日本では高価なものとして食べられてたそうです。
ちなみにこの砂糖漬けはお土産物屋で売っているのですが、わたしは市場で買ったものの方が味が好み。
ベトナムに来た際はぜひ食べてみてください。