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ある日、サイゴンで。🇻🇳5

普段は関わらない別支店のベトナム人社員と話すことがあった。
日本で働いたこともある、日本語ができる人だ。

雑談で「ベトナムの生活で不便なことがありますか?」と聞かれたので、

「不便なことはたくさんあるけど、それに慣れました」と答えた。

それを聞いた相手の返事。
「あー、じゃ、もうベトナム人ですね」

いわく、
ベトナムの生活は日本みたいに便利に発展してないから、ベトナム人もみんな、何だか不便と思いながら、しかし仕方ないのでどうにか工夫して生活している。と。


そうそう、そのとおり。
ベトナムの生活では、自分の思い通りには事が進まない。


今日はもやし炒めが食べたいと思ってスーパーへ行く。
しかし、先週あったはずの場所にもやしがない。
近くを探してもない。
売り切れたのか、入荷しなかったのか、とにかくない。
しかたがないので、空芯菜を買って帰る。


今日は一人で集中して、雑務をいっきに片付けるぞーというリモートワークの日。
仕事に取りかかった直後に、停電。
仕事は基本的にパソコンでするから、充電が切れたら、もう何もできない。
そもそもデータはクラウドに入っているから、Wi-Fiに電気が通らない時点で、できることが限られる。
すぐに復旧すると信じて待つか…
Wi-Fiを得るためカフェにでも移動するか…


完全な日本人だった頃のわたしは

店やデリバリーで、頼んだものが品切ればかりであることにイライラしていた。

大雨で道が冠水しても、時間どおりに集合場所へ行かなければならないと思っていた。

何分に1本という表示があるのに、それを超えて長い時間待っても、なかなかバスが来ないことにうんざりしていた。


3分の1くらいベトナム人になったわたしは

無いものは諦めてあるものを食べ、
大雨が止んで道の水が引くまで待ち、
そのうちバスも来るだろうと目の前を過ぎるバイクを観察して過ごしている。


そして、ふと考える。

日本の生活は便利。
欲しいものは必ず手に入って、
全てが時間どおりに進む。

でも、それは誰かの頑張りの上に乗っかっている。もし、事がうまく進まなければ、その誰かが批判を受ける。

わたしも"誰か"だったときがある。

ベトナムで"誰か"になれば、頑張りは少なくてよいし批判も少ない。
ストレスが少ない、
代わりに対価も少ない。

日本で"誰か"になれば、たくさん頑張っても批判される。
ストレスが多い、
対価はそれに見合っているのだろうか。

ときに、"やりがい"という対価を現物支給されるが、それは本当に欲しいものだろうか。















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