選択する自由#サバイバル日記inベトナム ⑩
こんばんは。Chuncoです。
昨日はひさびさにホーチミン市の中心地に行きました。日本人街やショッピングモールを覗いてみましたが、休日にしては開店している店も客も少なかったです。しかし、よく行っていた日本食レストランで2か月ぶりにさしみを口にできたことと、オフラインで知人に会えたことで少し日常を取り戻せた気持ちがしました。
ベトナムでは段階的に規制の解除が行われ、学校も再開され始めています。国内旅行では集客を取り戻そうとプロモーションを始めるなどされています。しかし、世界的に見ると感染が収まっていない国がほとんど。日本も減少傾向のようですが、まだまだ時間がかかりそうです。ベトナム内での感染が抑えられても、国際線の就航が再開されて国をまたぐ人の行き来がはじまれば、再流行の可能性があります。再流行を懸念して、どの国でも外国人の入国には厳しくなるでしょう。ベトナムと日本は直行便で約5時間。これまではどこでもドアの気分で帰国できていたのに、簡単に行き来できなくなった今、まるで地球の裏側か宇宙にでも行ってしまった気分です。
そのような状態で職場が変わってから1か月以上が経ち、改めて今後どうするべきか考え直さなければならなくなりました。
ぶっちゃけて言ってしまうと…「考える」とか「決める」って、ものすごくめんどくさいですよね。ふつうに生活するだけでも、「選択する」ことはたくさんあって、その日着る服や食べる物、仕事でもいろんなことから選ばなければならないです。人生においては、進路、就職、結婚など大きな岐路に何度も立たされます。しかも現代のわたしたちはモノも情報も膨大にあって、何でも自由に選んでいいと(いうふうに)なっています。わたしは優柔不断でしたから、正直に言うと「どれが一番いい方法か占ってよ」「こうしたら絶対大丈夫って教えてよ」と思います。ロボットになれたら楽だろうな。
でも、わたしは…。たぶんロボットをやらされて、「こうしなきゃだめ!」って強制されたら、ぜったいに嫌になるに決まってるんです。自分自身で思います。「こいつ、めんどくさっ」
そして、わたしは妄想癖がやばいので、ときどきこんな妄想をします。もし、自分が江戸時代に生まれてたら?と。士農工商で身分がはっきり決まっていた時代。しかも鎖国とかされちゃってる。もし自分が農民で、でも海の向こうにおもしろい世界があるって知ったらどうしてたのかなぁ、と。一生を鬱屈して生きなければならなかったのかな。そう考えると、今の時代に生まれて、しかも「日本人」という最強のパスポートを持っている自分はとてもラッキーなんじゃないかな、と感じられてくるのです。
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今日の見出し写真はモンゴルの草原です。
低く登ってきた太陽を背に、草の上に影が遮られることなく伸びています。