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失敗の上に立つということ#日本語教師

おはようございます。Chuncoです。ベトナムではこれから社会隔離措置が少し緩和されるようです。しかし学校の再開はまた別の指示になっているので、日本語教師として仕事ができるのは連休が明けてからなのか、6月なのか…。

教室から離れている間にこの4年間のいろいろなことを思い出していましたが、今でも思い出すのはホーチミンで一番最初に教えたN4クラスでの痛い失敗です。

みんなの日本語Ⅱに入ると、似ている文法の違いをニュアンスで伝えるのが難しくなってきます。特に前半だと「見えるvs.見られる」「つもりvs.ようと思っている」などなぜこれを並べて教えるのかと言いたくなります。自動詞・他動詞も入ってきて、自他の概念がないベトナム語話者にはたいへんな勉強内容です。

その当時のわたしは細かい文法の違いを教えなければならないと思い込んでいて、文法の違いを言葉で説明していました。でも、説明すればするほど学生はわからない顔になっていき、発言も質問もなく教室中が静かになっていきます。学生のどんよりとした顔を見ると、あせってもっと説明してしまい悪循環に…。まんまとはまった初心者あるある。

学生たちはそれでも新人教師だと思ってがまんしてくれていたのですが、あるとき一人の学生が授業中に「お腹が痛い」と言って、宿題だけわたしに押しつけて帰っていきました。その宿題の余白部分にはベトナム語で何やらメッセージが。悪い予感がしながらベトナム人の先生に読んでもらうと「新しい先生の教え方はわからない」という内容でした。

その後は、ほかの先生たちの授業を見学させてもらったり、してもらったりしながら、試行錯誤の連続でした。それでも最初の3か月はぜんぜん上手くできず、学期が終わるときもまったく手ごたえのないままでした。学校では3か月を一期として、N5~N3までのクラスが常時開講されていて、3か月後にまた同じレベルのクラスを持つことができたので、2~3期ほど繰り返してようやく不要な部分の削り方が身についたかなと思います。また同じカリキュラムを1日に2クラス行っていたので前半のクラスで失敗したところを後半クラスですぐに修正することができました。

1年2年と続けていって、3年目以降は新人を育てる立場になりましたが、毎回みんなに伝えていることがあります。
 
ひとつは「だれでも最初は失敗するものだ」ということ
ふたつは「全力でやって上手くいかなくても次によくすればそれは成長だ」ということ
みっつは「ただし学生のチャンスは一度きりだ」ということ

これはわたし自身が先輩たちから学んだことですが、教師がそのレベルの授業を行うことは何度もあっても、学生がそのレベルの授業を受けるのは一生に一度だけです。

その一生に一度で教師の教え方が悪くて、日本語はつまらない・日本語は難しいと思ってあきらめたり、合格しなければならない試験に落ちたりしたら、学生のその先の人生が変わります。だからその責任を持って、いつでも自分のベストを尽くすことです。教師として失敗すればその結果は自分じゃなく学生にふりかかります。わたしたちは自分が新人だからという言い訳で学生を犠牲にしてはいけないのです。

最初からなんでも上手くいく人なんていないし、学生と接して経験をつまなければ教師としての成長はできません。学生もそのことはわかっていて、こちらが必死に努力していればそれを認めてくれます。教師の力量が不足している分は自分たちで解決しようとしてくれます。でも教師側が努力していないと見破るとまったくついてきてくれなくなります。これは自分の経験だけでなく、新人を指導したとき、学校での教師アンケートなどを見ていればよくわかります。

あのとき宿題にメッセージをくれた学生はその後学校を続けませんでした。その理由はもちろんわかりませんが、わたしは今でも彼女のことを考えます。そして一日一日の授業をこれからも大切にしたいと思います。

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今日の見出し画像は浜松で見た観覧車です。
本文とはまったく関係ありませんが、お外気分をお届けしたく過去写真をランダムに貼っていく予定です♪

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