涙と抱擁#サバイバル日記inベトナム⑪
ベトナム人の職業でbảo vệ(バオベェ)というのがあります。日本語に翻訳すると「警備員」となりますが、バイクが多いベトナムなので、ほとんどバイクを誘導したり整理して並べたりする係です。人の出入りが少ない時間はハンモックで寝てるか、近所のバオベェ同士でしゃべったりボードゲームしてるので、守備力0。
さてバオベェさん。コンビニにもオフィスビルにも1人はいます。マンションだと、管理人兼バオベエだったり、管理人とは別にバオベエがいたり。若い人もいますが、だいたいが気のいいおじちゃんです。ちなみにバオベエの派遣会社があるので、自社の社員じゃなくて派遣してもらうことが多いと思います。以前勤めていたところも建物の一棟まるごと日本語学校でしたので、バオベエさんに来てもらっていました。派遣なので、派遣元と本人とのトラブルなどで人がころころ変わる時期もありましたが、2年ほど前から同じバオベエさんがずっと来てくれています。
最初のころは無口だしあまり反応もしてくれなかったので、続けてくれるか不安だったのですが、学校を気に入ってくれたようで慣れたらコミュニケーションをとってくれるようになりました。とはいえ、向こうはもちろん日本語がわかりませんし、わたしのベトナム語も方言バリバリのおじさんベトナム語には対応できないので、毎日の挨拶や帰国時のお土産をあげるくらいです。でも、こちらが「Chào anh!(←年上男性への挨拶)」と声をかけたら、にこっとして手をふってくれる可愛いおじさん。なぜかわたしのことも気に入ってくれて田舎へ帰るたびにフルーツをくれました。中でもバオベエさんがくれるドラゴンフルーツはベトナムでも高級な特大サイズのピンクドラゴンフルーツ。バオベエさんのおかげでビタミン摂取はばっちりでした。
わたしが学校を辞めるとなったときはとても残念がってくれて、最終日に声をかけにいったら手をにぎったままずっと離さないで名残惜しんでくれたほど。わたしも、Facebookなどで連絡がとれる学生たちや同僚より、そこで会うことでしかやりとりする方法がないバオベエさんとの別れの方が悲しかったように思います。
休校が続き、教師たちも在宅勤務に切り替わってからは、バオベエさんも仕事がなくなったと聞きました。しかし今はソフトロックダウンが解除されたので、学校も通勤に戻ったようで、バオベエさんも業務に戻っています。学校にはほかにも食堂で教師たちの食事を準備する家政婦さんもいて、もし制限が数か月と伸びればみんなの収入がなくなってしまうという心配がありましたが、1か月ほどで解除されたので収入減も一時的なもので抑えられてよかったと思います。
そんなバオベエさんに1か月半ぶりに会うことができました。事務手続きのため学校に行く用事があったからです。いつものように「Chào anh~~‼」と挨拶して、わたしは元気だよと伝えました。
そのとき、突然涙がポロっと出てきました。見るとバオベエさんも泣いていました。
なんだろうなあ、これは。
「悲しい」ではないと思う。「嬉しい」でもないと思う。
たぶん「安堵」。
意思の疎通はほとんどできなかった。特別な出来事もなかった。
ただ毎日「おはよう」と声をかけあっただけ。
でも、それがわたしたちにとって大切な「日常」だったのかもしれない。
何事もなければわたしは今頃フィリピンで新しい生活を始めていたはずです。だから、これは理不尽に奪われた日常ではなく、自分で決めた別れでした。でもやっぱり異常事態の中で学校を去らなくてはいけなくなって、サヨナラを言えないままの人たちもたくさんいます。学校を辞めてしまったわたしがどうなるのか、外国で一人ぽっちになって無事なのかと心配してくれた人もたくさんいたと思います。きっと、バオベエさんもその一人だったのでしょう。
幸せだなあ。
自分の無事をこんなに喜んでくれる人がいるのかと、不器用なハグを受けながら感じたのでした。
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今日の見出し写真はドラゴンフルーツです。
「ものすごく味の薄いキウイ」と例えられますが、わたしは沖縄ではじめて食べてから大好きで、ベトナムに来て食べ過ぎて一度飽きました(笑) 中身は白とピンクの2種類あり、ピンクのほうは珍しいです。日本ではこぶし大のが1つ200円くらいしますし甘みも少ないですが、ベトナムならもっと大きくても100円くらいで買えて甘みも強いです。