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これまでのまとめ#サバイバル日記inベトナム ⑦

 おはようございます。Chuncoです。

 今、わたしは臨時採用のかたちでとある会社でお世話になっています。ここでのメイン業務は、実習生の送り出し機関としてベトナム人への日本語を教えることと教材開発です。ベトナムの送り出し機関は悪名高くて最初は応募を悩んだのですが、社長(日本人)にお会いして話を聞くと実習生に多額の借金をさせて搾取する今のベトナムの在り様をよく思っておらず、しっかりと日本式の教育を行った後日本で働いてほしいと考えているとのことだったので、まずはやってみることに決めました。

 それでなぜ臨時採用かということですが、これまでのことが断片的な記載になっていたので一度整理してみようかと思います。

 長くなりますが、海外に住む日本語教師の退職決意から転職のタイミングに世界的なウイルス感染が重なってしまった話に興味がありましたらぜひお読みください。

決意の12月

 まず去年の年末ごろ、今まで4年働いていた日本語学校を退職しようと決めました。一番大きな理由はざっくりまとめると心的ストレスが大きかったこと。(そのときの記事はこちら) 教師業務にはまったく不安も心配もなく学生たちのことも大好きで、学生に喜んでもらえるなら休日に教案を作るのも楽しみのうちと思えるほどでした。ベトナム人のスタッフもよくがんばってくれて、マネジメントによって得られる喜びも感じられるようになっていました。しかし、本社から送られてくる一部日本人社員の悪質さと、それがこの会社のスタンダードになりつつあること、それは本人たちの責任ではなく会社のシステムに問題があること、そしてそうなった原因である社長への不信感・嫌悪感で、このまま続けてもわたしの未来はないと感じたのです。それで年が明けて学期が終わる3月をもって退職することになっていました。

一歩踏み出した1月

 退職報告から退職日までかなり時間があったので、転職活動を始めたのは今年1月からです。私はまだ海外での仕事を続けたかったこと、しかしベトナムではなくほかの国で働いてみたかったことから、拠点となる国を変えることは決めていました。いくつか候補はあったのですが、いまだに英語がまともに話せないことを解決したく、フィリピンで仕事を探すことにしました。正直フィリピンの日本語教師募集は給料がそれまでよりかなり下がることになるのですが、留学するより職場や生活が英語必須になればいやでも英語を身につけざるを得なくなるので勉強代だと思うことにしました。

 日本語教師用の求人サイトで見つけた会社に応募し、下見と面接のためにフィリピンに行ったのが1月末から2月頭の2週間ほど。その時期はベトナムは旧正月の長期休暇中で、寒い日本へ帰るよりせっかくだから少しでも英語を勉強しようと、セブで超短期留学にも参加しました。もちろん英語能力自体がすばらしく上達することはありませんが、自分の課題や英語についての発見など、自分にとっては価値のある体験ができ、満足していました。しかしそのころ、じわじわと中国で例のウイルスが広がっており、街中でも「中国人か?」と確認されるような状況になっていました。面接のほうも好感触のうちに終え、ベトナムに戻ったあとに返事を待つことになっていました。

迫る脅威に気づかないまま2月

 さてフィリピンでの滞在を終えて、ベトナムに戻ったあと。旧正月の休みが明けて学生たちが戻るのは数日後というところで、ベトナム内の学校すべてに休校命令が出ました。幼稚園から大学まで、語学学校である日本語学校も含まれます。そのように2月頭からすでにベトナムでは対策が始まっていたのです。当初は2週間程度の予定で始まりましたが、一部の村を中心に感染が広がったことを受け、休校措置は2月末までに延長されました。

 しかし、このころはまだベトナム・フィリピンではほとんど感染がありませんでした。自分に関係することとしては、中国・韓国に広がっていたウイルスが日本へ飛び火したらしいということで、転職前にと思っていた日本への一時帰国は保留するべきかな…などと考えていた程度でした。

一安心かと思った3月初旬

 ベトナムで授業ができずに教材作成などの事務処理やビデオ授業の準備を進める一方で、フィリピンでの面接もその後はオンラインで進めていました。そして3月初旬に内定が決まり4月からフィリピンのセブへ行く予定になりました。そのころベトナムでは感染者ゼロが続いており、3月半ばには学校再開できるとみられていました。内定も決まり、学校が再開すれば最後に学生たちに会える…とほっとしていました。

 ひとつ残念だったことは、日本での花見ができなさそうだということ。長く桜を目にしてなかったので、今年こそは4月に帰国しようと考えていましたが、日本へ帰国するとフィリピンでも入国拒否されるかもしれないことから、ホーチミンからセブへ渡って、日本が世界に安全と認められるまでは帰れないなぁと考えていました。

急転直下の3月中旬

 ところが内定の連絡を受けたその翌日、フィリピンでマニラ封鎖のニュースが流れてきました。このままだとセブが封鎖になるのも時間の問題、私が渡航するまでに間に合うのだろうか。結果は現状の通りですが、その後セブも封鎖となりました。

 そして学校再開を目前に、ベトナムでの感染者も増加。海外からの帰国者を中心に各地でクラスターが発生し、休校措置の延長。そのうえレストランなどの休業命令も出され、生活に関わる面でも制限が厳しくなっていきました。

 海外からのウイルス持ち込みを防ぐため水際対策が強化され、海外からベトナムへの入国はほとんど不可能となりました。それにより、ほとんどの航空会社が3月末までに海外便の運休することを決定したため、わたしはフィリピンに行く手段を失いました。わたしがフィリピンに行くためには、フィリピンの封鎖が解除されて入国できるようになること、ベトナムの航空会社が運航を再開すること、という二つのハードルをこえなければならなくなりました。そしてそれがいつとは誰からも答えがもらえません。

 3月末で退職することも決まっていたので職もなくなることが決まっており、日本への帰国も頭をよぎりましたが、いろいろな理由から帰国は本当にどうしようもないときの最終手段だと思っていました。とはいえ実際のところ各航空会社の運休発表が20日ごろで、運休開始日まで数日しかなく、もし日本に帰国したい場合は明日・明後日にも出発しなければという状況で、腹をくくってベトナムで数か月生き延びる方法を探すしかありませんでした。(このあたりの迷っている様子はこちらの記事で)

 そんなさなか、今身を寄せている会社の求人情報を見かけ、しかも”短期からでも可”の記載。短期からでもってブラック過ぎて人が来ないんじゃ…とも思いましたが、だめもとでトライしてみることに。連絡したところすぐに来てほしいということになり、この時はまだ自粛要請の前だったため面接に行きました。面接で自分の状況を話し、会社が求めていることを聞いた上で、無事折り合いがついたので4月1日から働くことが即日決まりました。

不安感が増す3月下旬

 さて面接から勤務開始までは2週間弱ありました。その間も世界中でウイルス拡大は加速していて、ベトナム国内も少しずつ感染者が増え、外国人が多く住むエリアのレジデンスが封鎖されるなど、ウイルスが身に迫った問題となってきました。毎日状況が変わり、1週間後すらどうなっているかわからない状況。毎日、朝起きればニュースを確認する日が続きました。

 そして3月31日、新しい職場は建物内に日本語授業用の教室と学生の寮、スタッフの寮、事務所がすべて入っているため、わたしもそちらへ居を移すことになりました。4月1日からベトナム国内での制限が強化され、不要不急の外出制限がなされ、その数日後にはバスやタクシーを使った移動が禁止になったため、少し日にちがずれていたら引っ越しすらできなくなるところでした。

どん底から上向いてきた4月上旬

 引っ越しは無事にできたものの急激な環境の変化とウイルスにまつわる問題への恐怖から一時的にかなり不安定になり、そして差し当たっての問題が解決されて落ち着くまでが4月頭の数日間の出来事。(このあたりも以前の記事に 不安定期 回復期

 気持ちが安定してから、仕事にも取り組め、生活に慣れて余裕が出てからはSNSで外に向けて発信したり、オンラインでの企画を起こしたりなどするようになりました。依然としてウイルスは猛威を振るっており、日本でも緊急事態宣言が出されるまでに。ベトナムでの感染はかなり抑えられているものの、ゼロにはならず、4月15日までの予定だった規制も延長されることとなりました。

4月後半に突入

 4月も折り返した現在、これからどうなるのかは、わからないままです。フィリピンの内定先は保留されていて、現段階で採用見送りにはなっておらず、ときどき連絡もいただけます。しかしあちらでは感染者・死者数がベトナムよりはるかに多く、ロックダウンも延長されたようです。臨時採用の中途半端な状況をいつまで続けられるのか。自分の未来のために何をするべきか。誰の、何のために、何ができるのか。世の中が混乱しているからといって、不安になりすぎず、あせらず、けれども止まらずに進み続けたいと思います。

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見出し画像の意味ですが
「人生山あり谷あり」は①人生にはいいときも悪いときもある②人生はトラブルの連続 という二つの意味があるそうです。
わたしは正直後者を推します…だって谷をくだるときって膝にくるし…
それでトラブル続きどころか、ときには危険も顧みずに自分から飛び込まないといけない場面だってあるんだよ、という意味で「崖からバンジー」もつけてみました。わたしの人生ほんとこんなことばっかり(^^;)

 

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