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大きく括って教育者#サバイバル日記inベトナム⑨

こんにちは。Chuncoです。
日本は今GWですね。ベトナムも実は多くの人が4連休。それに合わせて規制緩和されたのか、久しぶりに田舎に帰る人、友達と遊ぶ人が多くなります。人がどっと動くことに不安もありますが、これ以上長引いていたら国民のストレスが爆発していた可能性もあったかなと思います。

ベトナムのソフトロックダウンが緩和されたおかげで、きのう久しぶりに学生と対面の授業に戻ることができました。たった1コマの会話授業でしたが、やっぱり学生が目の前にいるのって楽しい。実は自粛が始まってから一人ビデオを作って学生向けに配信していて、ビデオの内容を考えたりするのはそれはそれでやり込み要素がたくさんあるのですが、その場でレスポンスがあって空間をいっしょに作っていく楽しみはクラスの中にあるんです。これは教師を味わってしまうとなかなか手放せないレベルの中毒感。

それに今の職場では日本人教師はわたし一人。去年の秋ごろに前任者が日本へ帰国してしまってからは日本人教師は不在だったそうで、学生達は久しぶりに再開された授業と、日本人と話せるという期待から目をキラキラさせてわたしを迎えてくれます。日本人というだけで(もちろん授業のクオリティが高くなければすぐに飽きられますが)、自分存在をこんなに喜んでもらえる職業がほかにあるでしょうか。

一方で、わたしに教えられることにうんざりしている人物が一人。それは、社長のお子さん。まず、なぜそんなことになっているかというと、日本人の社長とベトナム人の奥さんのお子さんがこの4月から日本人が通う小学校に入る予定でしたが、休校命令が長引いていて入学したもののずっとビデオ授業になっていて、しかも奥さんが日本出張していたためにベトナムに戻れず、学校のお知らせを読んでちゃんと理解して子どもに指示できるスタッフがわたししかいなかったために、自動的に家庭教師の役目が回ってきてしまったという経緯です。

最初は「オンライン授業の準備をしたり、横で先生からのお知らせを聞いて伝えてほしい」と言われたのですが、小学1年生のことですから一人で勉強できるはずもありません。それに、どうやら学校の先生(日本人)が言ってることが理解しきれておらず、ひらがなも読めていないことがわかりました。自然、わたしは横につきっきりで、ビデオ授業を進める相手をしなければならなくなりました。どこからかやってきた誰だかわかんないやつに、いきなり勉強のお世話をされても子どもも戸惑ってしまいますよね。

ところで「母語」とは”幼児に自然に習得する言語”ということですが、言葉の性質を漢字がよく表していますよね。『母親の言語』。やはり子どもは一番身近にいて自分を育ててくれる母親から言語を習得していきます。

そして、話が戻って社長の子どもの話ですが、その子は日越ハーフで母親はベトナム人です。お母さんは日本の滞在歴も長く日本語が上手ですが、やはりベトナムに住むベトナム人が子どもを育てたら日常生活で子どもが耳にする言語はベトナム語です。なので、その子も普段はベトナム語がよく話せ、反対に日本語はあまり得意ではありません。そして、オフィスと社長一家の住居つながっているので子どもたちはオフィスに出入りしていて、社員たちが代わる代わるお世話をしてあげています。日中のお世話は母方のおばあさん。もちろんベトナム語で。完全に母語はベトナム語になっていることでしょう。

実は前の職場も日本人児童向けの学習塾を併設していたので、横で日本人の子どもたちに指導する様子を見てきました。中には現地で生まれ育ったハーフの子どもたちもいます。そして「ベトナムの教育はよくないから、日本式の教育を受けさせたい。日本人らしく育ってほしい」と言いつつ「小学校にあがってもひらがなすら書けない」と言って塾に入れられてきます。だいたいが日本人のご主人とベトナム人の奥さんなので、ベトナムで母親の実家に近いところに住み、場合によっては母方の祖父母に子育てを手伝ってもらいながら、日本で育つように子どもが育つはずがないですよね。ときには「日本人学校は費用が高いから現地の学校に通わせてるけど、塾で日本語を教えてほしい」なんていうことも…。

そんな環境で日本語が使えるように育てようとするならば、親が並じゃない努力をしてあげなければならないと思うんです。学校や塾に通わせただけで勝手にバイリンガルになるほど、言語は易しいものじゃない。子どもにとって言語は思考とか人格形成に深くかかわる大切な要素。それにベトナム人の母親を持ちながら「日本人らしく育ってほしい」という願いはいったい誰の何のためなんでしょうか。「日本人らしい」ってそもそも何なんだろう。

わたしは子どもがいません。日本語教師ですが、教職免許はもちろん持っていないし、児童教育は専門外です。塾の方もよほど緊急時でない限り手伝うことがなかったので、そちらも経験がありません。知識がない人が、自分の考えだけで何かを判断したり批判するのは違うと思うから、そういうわけじゃない。でも、どうしても腑に落ちない。

「けっきょく親が問題なんだよ」塾スタッフからそのような悲しい声を聞きました。塾でどれだけ子どもに教えても1週間に数時間の話。家庭でしっかりとサポートしなければどうにもならないし、それをしない家庭はそもそも親が考えを改めない限りどうすることもできないんだと。そんな話を聞くだけで、目の当たりにするだけで、親の都合に振り回される子どもたちを思って悲しい気持ちになっていました。それって親がちゃんと子どもに向き合ってあげてないってことじゃないの?家庭の事情とか、親子の関係とか、外でたまたまその場面だけを切り取って見ただけのわたしには何もわからない。わからないけど…。

そして、現在、目の前の状況。その子はスタッフのベトナム人にはベトナム語、わたしには日本語で話しかけてくるので、日本語とベトナム語の使い分けはしっかりできているようです。それはそれですごいなと思いますし、二言語分の語彙を頭に入れてることになるので容量は大丈夫なのかなと不安になります。しかし、圧倒的に日本語に触れる機会が少ないからか、反応が遅く(オンラインで会話するクラスの子たちはもっとよく話しているので)、語彙量が少ないので自分が思っていることをしっかり表現できずに止まってしまうことも。ときどきベトナム人の間違いあるあるをしているので、日本語で考えるのではなく、頭の中で母語のベトナム語を日本語に翻訳しているのでは、とも推測しています。

ベトナム語ならおしゃべりなのに、オンラインで学校の先生ともあまり話そうとしないのは、人見知りなのか、それとも日本語でのコミュニケーションがネックになっているのか。そして、なによりひらがなを読んだり書いたりするのに抵抗がある様子。学校に行くことは楽しみにしていたようなのですが、遊びたい盛りに家に閉じ込められ、机に座って勉強しなければならないとなると、算数、お絵かきすらもまったく集中してくれません。

親の意向は「日本人学校でほかの子ができる当たり前のことができるように、机に縛りつけてでもやらせてほしい」そうですが、わたしはそれに同意できません。そんな幼さで興味の湧かないことを強制されてできるものなのか疑問だし、ただでさえ言語が揺れていて不安定なのに心にダメージを与えないかと心配です。休みの日に遊びに連れて行ってももらえなくて、しりとりも桃太郎も知らなかった子ども。日本人の子どもが親からふつうに学びとる過程を経ていないのですから、そこから改善しなければとも提案させてもらいましたが…難しいものです。

少しでも相手の気をひくために、好きなキャラクターで勉強グッズを作ってみたり、ゲーム形式にしてみたり、ほめておだてて、といろんな方法を試していますが、とりあえず今のところ自分から進んで勉強したことは一度もありません。最近ようやく、おもしろいものを見せたいときだけ、自分からわたしに話しかけるようになったくらいです。

わたしは正直に言うと、子どもが苦手です。理性で語りあえない相手はわたしにとっては宇宙人。養成講座で外国人児童への日本語教育について学んだときも、この問題に取り組んでいる人ってどんなにすばらしい心根の持ち主なのだろうと感心してしまったくらいです。以前、塾スタッフが「子どもを指導して野生の獣みたいなのが人間になる過程がおもしろい」と言ってるのを聞いたときも「わたしは野生の獣を相手にしたほうがまし、むしろ子どもより動物が好き」と全く共感しませんでした。でも、目の前の子ども相手にどうしようか考えないわけにはいきません。

この場所をいっとき風のように通り過ぎていくだけのわたしに何ができるのかな。たくさん日本語で話しかけて、何かひとつでも興味を持ってくれるよう願うこと。遊びのうちに学びができるよう提案すること。親が子に向き合って話したりサポートしたりしてあげるように促すこと。
早く学校が再開されて、友達に囲まれていろんなことが学べたらいいのにね。


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