やる気からの急降下#サバイバル日記inベトナム ④
実はホーチミン内で短期からでもいいという会社が見つかり、そこは建物内に住居もあるとこのことでこのドタバタの中で引っ越しすることになりました。本日からホーチミンでの新しい生活がはじまりです。そんな中、自分の不安が高まり、急にいろんなことが恐ろしくなってしまったので、それを整理するために日記を書きます。
前職場の寮として貸与されていたきれいなマンションの一室を出て、ベトナム人ひしめくローカル向けのアパートを兼ねている新しい職場のビルへ移りました。
エアコンがなく、水シャワー、虫と音と臭いが出入り自由な隙間だらけの部屋という厳しい現実と、職場のまかないが大皿料理を従業員みんながつつくというスタイルに、荷物を運び入れた直後とてつもない不安に襲われました。
会社のやり方に怒りと不満で心身が壊れる危険を感じて転職を決意したはずが、襲い来る不安の前に自分の選択は正しかったのだろうかと目の前がぐるぐるしました。
恐らく、今がコロナウイルスの渦中でなければこれほど不安にはならなかったはずなのですが、着いた直後にフランスの実情と注意喚起のメッセージを読み、自分自身と私が帰るべき日本の未来について悪い想像をしてしまったことにより、不安が大きくなってしまったようです。
落ち着いて考えれば、私が自分のことについて不安なのは、今まで持っていた生活の快適さ(やわらかい布団、温かいシャワー、エアコンのきいた寝室、広いキッチン)が失われ、冷蔵庫がないために食べ物を備蓄できず安定した生活が保証されないからです。
私の学生であるベトナム人は同じ部屋に何人も住み、水シャワーにエアコンなしの家で住んでいるのもふつうです。
東南アジアで働くことを考えると、衛生的な不安や、不便は当たり前のことなのです。でも、自分自身が今まで優遇された環境にいたために、落差に愕然としてしまった。
かつては“日本人が行かないような僻地で活躍する日本人”に憧れてさえいたというのに。あれは代わり映えのない日常の中にあって、テレビやパソコンといった小さな画面に切り取られて飾られた夢だったのです。
“快適な日常”が捨てられないことによって、感染の疑いがあるにも関わらず隔離から逃げたり、外出制限を守らずに好きなことをしたり、過度な買い溜めをしたりしてしまうのだと、今なら実感を持って理解できます。
でも、この“不安”を乗り越えられなければ、行く先はただ暗い闇にしか見えないでしょう。それではたまたまこの波を乗り切れたとしても、長い人生の中でこれ以上の波がきたときに耐えられなくなってしまう。
もちろん政府が信頼できるものであることも大切です。正しい情報があって、秩序を守れば、混乱状態にあるより、はるかに多くの人が救われるはず。
だから不安に惑わされず冷静に今を見つめ、足るを知ることがとても大切だと感じました。そしてこれから先、何でもない日常を享受できることはとても幸せだということも、よく覚えておかなければなりません。
忘れがちな自分への戒めとして