たいしたことない日々のこと200906
8月中旬に更新したブログを読んでみると、その頃はビザ取得に関する事柄で頭を抱えていたようだ。結局のところこれは長引いて、すべての書類の問題が解決したのは渡仏3日前くらい。とにかく時間がかかったし直前までは不安でならなかった。それでも今は無事にフランス・パリにいる。
ようやくたどり着いた、というわずかな安堵感があるものの、あまりにもシームレスにかつ滑らかに入国しPCR検査もせず、友人と再会、アパルトマン契約、スーパーでの日用品の買い出し等日常を始めたことから、自分の心が身体に追いついていない気がしている。バルは人が集まり賑やかで、人の表情は変わらず明るい。なんだか日本でちょっと遠出するために飛行機に搭乗した、という感覚に近く、街を歩いていても日本にいるのとなんら変わりがないし、多少の危機感や季節の差異は感じつつも随分前から憧れていた欧州にいるという高揚感がほとんど皆無なのである。
そもそもこの場所にいることへの高揚感があったのだろうか、と思い返してみる。「自分らしくいられる場所」と定義していたからこそ改めて興奮することもないのだが、明らかにその土地から得られるパワーや熱みたいなものを、今回は到着後にうまく感じきれなかった。
もう一つ、到着直後の自分の体調もうまくコントロールできていなかったことも統合性が取れなかった理由のひとつかもしれない。ここで病気や風邪を引いてしまったら全てが台無しになる。どうかうまく調子を保ちながら生きる道を模索できるように。前向きな人生の駒をひとつずつ進められるように。
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タイミング、偶然性。フランスに来てから1週間そのことをずっと考えている。機会だけはごろごろとありふれていて、それを掴むかどうかは自分次第。ただ、機会そのものが普通では起きない類のものであったり今この時期でしか扉が開いていないものだったりすると、神様はひとつひとつの選択に対して「あなたはどうする」と問いている気がしてならない。
3年前と同じように、またこの国で起こる出来事に巻き込まれたり悩まされたりするのだろうなと考えながらも、そういう日々が鋭利なガラスの破片のようにきらきらと光を帯びて輝くものだから、あるいは夕景のピンクと青色が混じり合うような逆説的な光のようなものだから、ついつい目を奪われてしまう。
何れにしても今はっきりとしていること。この国で生きていきたいという覚悟のもとに現地に飛び込み、実際にその土地に立っているということ。ごまかしはきかないし、いいわけもできない。そこまで追い込んでこそ試される力もあるわけでね。とりあえず試験まであと1週間を、ただひたすらに頑張ろう。
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