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すずめの戸締まりを見てきた感想など。

⚠ Attention ⚠

この記事はネタバレを含みます。
できれば映画を見てから読むことを推奨します。

感想

半分くらい観るまでは恐怖の感情がほとんどだった。
見に行ったお友達はみんな「泣けた」って言っていたけど、どこで泣けるんだこの映画って思いながら震えていた。
後ろ戸から出てくる得体の知れないもの(ミミズ)がこわい、要石から猫に変わったダイジンがこわい、緊急地震速報の音がこわい。
そんなこわいことがたくさん起こるのに無鉄砲に突っ込んでいく鈴芽ちゃんに強さと危うさを感じた。
障害物飛び越えすぎ、車に轢かれそうすぎ。
草太に「死ぬのが怖くないのか!?」って聞かれたときに「こわくない!」って即答しちゃうし、鈴芽ちゃんの死生観だいぶやばい。
生きること半ばあきらめている気がした。
「人が生きるか死ぬかは運次第」「死ぬことよりも、生きてひとり(孤独)になることの方がこわい」って思っているところで私も死にそうになっていた。
心臓がぎゅってなっちゃう。
鈴芽ちゃんは常世と隣合わせでいつも死を感じさせていたのに「生きたい」に変わったのも泣いた。
「私だってもっと生きたい!」
恋はパワーだね。

考察+α

ダイジンについて

途中まではダイジンは悪いやつだっ!って思っていたけれど、見終わったら見方が変わった。
「神は気まぐれだから」というセリフが劇中にあったけれど、それを言い訳にするにはダイジンの物言いや考え方はあまりにも幼い。
いろいろ考察を見て回った結果めちゃくちゃ腑に落ちた。

劇中の古文書を解読された方がいたけれど、ダイジンも震災遺児で自ら要石志願したように取れるよね。
たぶん小さな子供だ。
要石になったのは元々は人でだんだん神になるって言ってた気が。
昔は要石として大事に祀られてきたんだろうけど、いつしか忘れ去られてしまったところに鈴芽に出会って「うちの子になる?」なんて言われたらクソデカ激重感情持っちゃうなって思った。
要石になんて戻りたくないよなって。
でも要石は必要だから、邪魔だったし草太に押し付けたんだろう。
最後には「すずめの子にはなれなかったけど」って再度要石の役目を果たす選択肢を選んだ気持ちを考えると悲しい。
いつも誰かの犠牲の上で平和は成り立っているんだろうな。
そういう意味ではこの映画はアンハッピーエンドでグッドエンドと私は判断する。

救いと成長の物語

全編通して鈴芽が過去のトラウマを乗り越えて先に進むための話だったと思う。
4才の子が被災して母親に先立たれて生き残ってしまって、避難所かな?母親を探して人に訪ねまくっている描写は心が引き裂かれて細切れどころかミンチになった。
思い出したくなくて3月11日以降の日記帳は真っ黒。
それはそう。
彼女の日記帳はいつも母親とのことでいっぱいだった。
母子家庭で母ひとり子一人。母親が全てだったんだ。
死ぬ。しんどい。
その何日か後に常世に迷い込んじゃったんだね。
冒頭から出てきたムービーの、いすを持って立っていた人は監督の狙い通り最初は母親だと思っていたんだけど、あれは未来の自分だった。
母親と死に別れてから生きてきた12年間を自分で肯定する。
記憶や感情に蓋をすることなく、真正面から向き合うのはとても大変。
12年間生きてきて思ったこともあるだろうけど、九州から東京まで出てくる間に出会った人たちや出来事に大きく影響を受けてそう思えるようになったことが成長だと感じた。
「行ってきます」と言って後ろ戸の戸締まりをするのは家からでるため、前に進むためだったんだなと思って泣いた。

おかえり

最後に九州まで再度会いに来た草太に鈴芽が「おかえり」っていったの、311で言うことのできなかった、言われることのなかった、受け取れなかった「おかえり」も含んでいるのかなと思って泣く。

悼む

ダ・ヴィンチ2022年12月号にすずめの戸締まりの記事があって、そこにとても印象的な言葉があった。

失われた人は人が悼んでくれるけれども
失われていく場所はいったい誰が悼むんだろう

ダ・ヴィンチ 2022年12月号

まだ映画を見ていないときだったから印象的な言葉だなと思って読んでいたのだが、失われていく場所を悼むのが閉じ師だったんだなぁと。

また何かあったら追記。

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