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電車の心地よさが調味料になっている


電車に乗っている時間が好きだ。

心地よく眠りを誘う揺れ。ものすごく人が少なくても静寂を感じずに済むガタゴト音。

家で一人、テレビもつけずにいる時や、都会の外れ道を歩いている時にはあまりの静けさに「何もしていない自分」への罪悪感にさいなまれてしまうことがある。

けれど電車に乗っている時間は、私がぼけっとしていても電車側がうるさく動いてくれているから、私は気兼ねなくぼけっとしてられる。
そんな安心感がある。


高校3年のときの社会科の先生は、電車通勤をしていた。

車で通えば先生の家から学校まで30分もかからないそうで、私立高校だったから(だったから?公立高校のルールを知らないけれど)先生の車通勤も認められていた。けれどもその先生は、わざわざ50分もかけて電車で通っていた。

家から駅まで5分歩いて、30分電車に揺られて、駅から学校まで15分歩いて。
もう何年もそうしていると言った。
私の学校は駅から徒歩15分。決して近くもないその道を毎日歩くのは生徒もうんざりしていた。大雨の日や予鈴ギリギリの時間帯は決まってバスが混んでいた。

「ぜったい車で来たほうが楽やん!」

当時の私は目上の人に敬語を使うこともせず、そんなふうに返事をした。

社会科の先生は進路指導の担当でもあって、職員室よりも進路指導室にいることが多かった。進路指導室は赤本や入学案内のパンフレットが山ほど置いてあって、でも本当にそれを必要としている人は既に自分で持っているので、進路指導室に用事がある生徒なんて滅多にいなかった。

だから、こうして特定の生徒の溜まり場になったりしていて、私もその一人だった。かといって保健室ほどの人気は無かった。
いつ行っても陽の光が差し込む、明るくてあったかい進路指導室が好きだった。

「電車やったら読書の時間とれるやろ。車やったら運転してて本なんて読まれへんから、わざわざ電車で通うてるんや」

先生はそう答えた。
この話をしていたのも、たしか進路指導室だ。

私の他に何人の友人がいたのか、何のタイミングで行ったのか、もう何も覚えていないけれど、部屋がとても明るかったことだけは覚えている。

「そんなん、車で20分か30分はよ来て職員室とかで本読んだらいいやん!」

友人A(特定の誰なのかは覚えていないので)がそう言った。私もそれに同意した。
同じ50分とか1時間なら、車で来て残りの時間を座って読書に充てるほうが効率がいいに決まっている。わざわざ駅から学校まで15分歩くその時間と労力が謎すぎる。

「それは違うんよなあ。電車で読むっていうのが先生は好きなんや」

誰がなんと返事をしたのかは覚えていないけれど、結局その日は先生の意見に誰も納得しなかった。
家で読めよ、という気持ちを土産に私は帰宅した。


それから何年も経って、ああ、気がつけば10年も経っていて、それを不意に思い出した。
なんで10年も経ってあの日のことを思い出したかと言うと、あの日の先生の意見にやっと同感できたからだ。

私はここ1,2年、頻繁にラジオを聴いている。
スマホ1つで、かつ生放送のラジオすら好きな時間に聴けるようになったこの時代、ラジオの面白さに触れてすっかりハマってしまった。

私はいつも、ラジオを通勤時間に聴いている。
通勤は電車だ。
運転もできないし車も持ってないしそもそも車通勤は認められていないので、大半のサラリーマン同じく電車で通勤をしている。

1年前は片道1時間かかっていたから、深夜帯では群を抜いて有名なあの2時間生放送ラジオをちょうど往復2時間で聴けていた。

その後引っ越しをして、家を出てから35分くらいで会社に着くようになった。朝の起きる時間とか飲み終わった後の帰宅とかを考えると、25分の短縮はかなりでかいし有難い。

けれどもただ1つだけ、往復の1時間と10分ではそのラジオを最後まで聴けなくなってしまったことだけ、通勤時間が短縮されたせいで困っていることだ。
ああ、今日も聴けなかったな、と思いながら家に着く。家に着いたら私はいつも耳からイヤホンを外して、無音で過ごす。

ある日、「それならそのまま家でラジオ聞けばいいやん」と思った。思わないと思いつかないくらいの案だった。

けれど、それは3日も持たなかった。
満員電車でみんながどんよりしていても、耳から聞こえてくる声だけは楽しそうに喋っている。改札や人の足音みたいな、どんどん会社に近づく街の音をかき消すように、イヤホンの中の音はゲラゲラ笑っている。

私はそういうのが好きなのだ。ラジオは歩いたり電車に乗ったりしてる時間に聴くから良いんよなあ、と思った。と同時に、あの日の進路指導室のことを思い出した。


通勤時間にするからこそ、先生が本を読むのも私がラジオを聴くのも満たされる気持ちになるのかもしれない。
家にいる時とか、なんとなく時間が余った時とかはなんだかんだ違うことをしてしまう。
通勤時間にかこつけてそれをするから、その時間にできることなんて限られるから、限られた中でそれをするから、満足度が高いのかもしれない。

今もし先生に会えるなら、「あの日の先生の気持ちやっと分かりました」と伝えられる気がする。

大人になってやっと分かったと、大人になった私はきちんと敬語で伝えられる気がする。


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