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キンモクセイが香る

毎年の楽しみにしていることがたくさんある。

節分には恵方巻を予約して買ったり、
寒くなった日に満を持して羽毛布団を出したり、
夏にはどこかへヒマワリをわざわざ見に行ったり。

あ、夏だとそれから冷やし中華を絶対に食べるし、会社近くの中華料理屋に必ず冷やし担担麺を食べに行く。

そんなふうなことが季節ごとにたくさんあるはずだけれど、
私は上の文章を書くのにうんうんと何十秒も「何があったっけかな」と考えた。

楽しみにしている。というよりも、
季節が来たらそのことを思い出す。のほうが感覚として
正しいからだと、何となく思う。

暑くも寒くもない何の匂いもしない無の状態で、
いま手元にない季節の風物詩を思い出すことはあまりない。

冷やし中華はふらりと入った中華屋さんで、
別添えで置かれているラミネートのメニューを見てその存在を思い出すし、
恵方巻だってSNSの広告やニュースの下小さくついたPR枠を見て思い出す(私は恵方巻にリタゲされている)。

同じく、毎年必ず「キンモクセイの匂いだ!!」と
ひとりでにテンションをあげる日が必ずやってくる。

歩いているだけでキンモクセイの香りがする時期を
過ごし終わってからちょうど1年。
忘れた頃に、また今日もそれがやってきた。

ただ歩いているだけで、ぶわっと鼻に入り込んでくる甘酸っぱい黄色い香り。
それは都会でも比較的身近に感じられる、嬉しい自然のひとつだ。

キンモクセイという植物のことを忘れているわけではないけれど、
キンモクセイが香っていないときにキンモクセイのことを考える時間は
ほぼほぼ無い。

桜の花が咲いていない木の状態を見て
春のお花見のことを思い出すこともないし、
例えば今日コンビニで海苔巻きを見ても恵方巻のことは思い出さなかっただろう。

忘れているわけではない。けれど思い出すことがない。
だから、不意に外から表れたきっかけでそのことに触れるとき
「今年もこの季節がやってきたか!」と気持ちを上げることができる。
季節のほうから私に近づいてきてくれた。
そんな気分になる。

今年も、キンモクセイの香りに感動できた。
平日の夜に散歩なんてしてしまうほど、
心に余裕がある状態だということに少し嬉しくなる。

来年も、またこの香りを忘れて感動できたら、
きっとここからの1年はそんなに悪くない1年だったということになるんじゃないだろうか。

そういうことに、しておきたい。

🍙🍙🍙

写真は木更津の厚焼きたまごサンド。

キンモクセイと同じ色?

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