ちゅんタロス@こころリスナー

意味は意志そのもの👊 本業休みの日に福岡の某公園で悩みとか聴いてます。 【NEW】電話…

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意味は意志そのもの👊 本業休みの日に福岡の某公園で悩みとか聴いてます。 【NEW】電話相談サービスも開始🤙 NLPプラクティショナー/メンタルケア心理士® /WAIPERフリーク✨/SUPER BEAVER 友の会/THE YELLOW MONKEY BELIEVER.

最近の記事

42

 今年もひとつ歳を重ねた。42歳になった。男性の42歳というと厄年(しかも大厄)ということだが、数え年で見る様なので、去年が厄年で今年が後厄ということになる。  以前の記事でも書いていたと思うが、ゲッターズ飯田的には裏運気の年であり、細木数子的には大殺界の年である2024年。  ワタシは占い本の売り上げに貢献すべく、適応障害になって仕事を休職したり、復職間際には10年ぶりの大腸憩室炎になったりと、的中する困難をしっかりと味わっている。  ただ、元来捻くれ者である性分からなの

    • 時間は解決もしてくれるけど味気も失くすよね

       このめちゃくちゃ理不尽で不条理で不公平だらけの世の中で唯一誰にでも平等に与えられたと言えそうなもの。それは時間だろう。  1日24時間。1年365日、ときどき366日。ベルトコンベアのように全自動で止まることなく進み、過ぎ去っていく。嬉しかろうが、腹立たしかろうが、悲しかろうが、楽しかろうが、皆同じ。  約2ヶ月の休職を経て、働かないこと、たっぷりの睡眠と日光浴や散歩、読書やブログ執筆が日常となり、すっかりと板についた。はずだった。  8月から復職し、気がつけば1ヶ月が経

      • どっちを取る? 他人からの評価と自分自身の評価

         他人から承認されたり、評価されたりすることは正直嬉しい。人はひとりでは生きていけず、家庭だったり、学校や会社だったり、コミュニティだったり、何かしらの接点を持っているから。  自分の所属する環境で認められることは、「ここに居て良い」と認められているようで安心感を持つことができる。その逆だと自身の存在が否定されたようで苦しさを伴ったりするだろう。  ちょっと記憶を辿れば、これまで悲喜交々のシーンを脳裏に浮かべることは容易い。  自分以外の誰かの役に立って賞賛される。それは喜

        • 限界は超えるもの? 〜適応障害休職編 エピローグ〜

           「限界を超えろ」  これはどういう意味で使われるのだろう。「限界のラインを上げろ」的な意味か、「限界を迎えてもやり続けろ」という意味か。正直、ごっちゃになっている気がしなくもない。  6月上旬に心身の健康状態の限界2歩手前で休職となったワタシは8/1から復職した。復職から1週間が経過した今、改めて思ったことを書き留めておこう。あくまで個人的見解として。  私の復職先となったのは3月末まで所属していた部署。福岡の拠点では、スタメンとして立ち上げから在籍していた部署。ここに

          361°

           はじまりに戻る時、それはゼロに戻るのと同じなのだろうか。はたまた、終わった時からの地続きなのだろうか。  約2ヶ月ぶりの会社復帰。その間には梅雨が始まって終わり、気がつけば猛暑日とか言われる時期になっていた。それが、自分にとって長かったのかあっという間だったのか。  戻ってきた場所は1周回ってはじまりの場所。そこから離れて4ヶ月。離れた時とまったく同じ心持ちでのリスタートなのかと言われると、それは違うのだろう。何せこの2ヶ月間、ひたすら自分と日差しと向き合ってきたのだか

          「誰か(相手)のため」も良いけれど

           「誰か(相手)のため」っていう言葉の耳心地は良い。とても尊く、真っ当でステキなことをやれている気がする。実際そうなのだろう。その誰かから感謝を返してもらえたりしたら「やってよかった」「頑張ってよかった」と心底報われた気持ちにもなる。美しい気持ちの往来。  だからこそ気をつけたい。「誰か(相手)のため」と自分とのバランスを。  特に、その「誰か(相手)のため」が大なり小なり自己犠牲的なものを伴うとき、自分より誰かへの比重が大き過ぎたり、長過ぎたりした場合、気がついた時には

          「誰か(相手)のため」も良いけれど

          ロックスターに会う、斜め上からの奇跡

           奇跡とはなにも、血の滲むような努力を重ねた先の軌跡としてだけ起こるとは限らない。全くたまたまの偶然がいくつも重なった先で、本人も意図していないところに突然斜め上から降ってくる、ということも正直あるのだ。  そんな偶発的な奇跡に対して出来ることといえば、いつ遭遇しても良いようにオトナの余裕を身につけておくことくらいだろう。  今回ワタシに起きたのは、超ドストライクの心の底から湧き上がるような奇跡だったのだが、さすが大殺界。オトナの余裕も持ち合わせていなければ、とてもナイスタ

          ロックスターに会う、斜め上からの奇跡

          自分はどう在りたい?

           なんだか上手くいっていないと感じる時や目標までの距離が果てしなく遠く感じる時、「自分はダメだな」とか「もっとこうじゃなきゃ」とか思うことがあったりする。  そんなとき、そこに「理想」だと思い描く姿は、本当に自分がなりたい自分だろうか。本当に在りたい自分だろうか。  一般的にとか自分が所属している環境からは望ましくても、自分の価値基準と一致するかはまた別の話。  たしかに認められると嬉しい。求められると嬉しい。それはそうだ。もちろん悪い事ではない。ただ、もしそのために自分

          休職中の過ごし方 ~5週間の振り返り〜

           休職になってからあっという間に5週間が経過。明日(7/17)は産業医面談のため、それこそ5週間ぶりに会社に足を運ぶ。その前夜にこの5週間で社会復帰に向けて意識的にやったことを振り返ろう。  ①日光浴(日焼け)  幸せホルモンと呼ばれるセロトニンを増やすのに効果的と言われている日光浴。晴れた日は外で太陽の光を真正面から浴びた。ときには広めのベンチで大の字に。またある時は、スタバのテラスで西日を浴びながらブログ執筆なんてことも。  帽子を被ったままだと額がハチマキみたいに焼け

          休職中の過ごし方 ~5週間の振り返り〜

          他人の得は自分の損じゃないし、他人の幸せは自分の不幸じゃない

           せっかく生きているからには、自分の軸とか想いがあるならば、それを全うしていきたいと思う、今日この頃。とは言っても、社会で生きていく以上、聖帝でもない限り「引かぬ、媚びぬ、省みぬ」というのはさすがにやめた方がいいだろう。ワタシはなにも傍若無人を推奨しているわけではない。あくまで、配慮は良いが過度な遠慮はどうなのよ?っていう話。  自分の人生において、当事者は自分であって、立ち上がるのもいつだって自分だ。  ただ、疎ましく思ってなのか、他人のことをとやかく言う人というのは、

          他人の得は自分の損じゃないし、他人の幸せは自分の不幸じゃない

          そこに罪悪感があるのかい?

           あなたは自分が罪悪感を感じやすいタイプだと思うだろうか。また、罪悪感を抱くならどんなことに対してだろうか。  なぜ罪悪感を感じるのだろうか。脳のメカニズム的な話として。これは感情なので「よし、罪悪感抱こう」ってものでは無いわけで。  「うお〜! 罪悪感だ! 沸いてきた! サイコーだぜ! ヒャッハー!」みたいな罪悪感って基本的に無くて、辛い気持ちの場合がほとんどだと思っている。(罪悪感LOVE♡みたいな人がいたらスイマセン)  なんにしても、気持ちのいい感情ではないので、

          そこに罪悪感があるのかい?

          嫌うのがありなら嫌われるのもあり。だからこそ・・・・・・

           なるべくなら人から好感を持たれていたいものだし、出来ることなら嫌われたくはないもの。  こう思うのも当然だ。  人は他の動物より社会的な側面が強い生き物であり、幼少期から死ぬまでコミュニティで生きていくことがほとんどだ。地域、学校、会社、サークルなどなど。  ひとりはアリだけど独りを感じるのは嫌だ。  だから、自分だけでなく周りにも気を配り、周囲に適応して生きていく。自己中心的で傍若無人に振る舞っているようでは爪弾き者となり、環境の中では生きづらくなるので気配りについては

          嫌うのがありなら嫌われるのもあり。だからこそ・・・・・・

          尺八おじさん

           福岡の某公園、某カフェの隣。折り畳みチェアを広げれば、そこがストリートお悩みリスニングのホームベースだ。  メンタルケア心理士の資格を持っているワタシは、仕事が休みの日、そこで足を止めた人の悩みを無料で聴いている。  とは言っても、ワタシは一般的に想像されるカウンセラー的な出で立ちではなく、自由に好きな服装で出動している。主にミリタリー系のファッションを取り入れることが多く、パッと見ではカウンセラーだとは全く思わないだろう。  それもあってか、足を止めて話しかけてくれる人

          休職1ヶ月経過。3度目の受診結果は?

           3回目となる通う道。空を見上げれば焼けつくような日差しと重い雲模様が入れ代わり立ち代わり。まるで自分の心模様を正直に映し出しているかのよう。  初回受診から4週間が経ち、休職診断の最終日であり、3度目のメンタルクリニック受診日を迎えた。  どうだろうか。  気持ちのキャパオーバーとなった仕事から1ヶ月離れ、心身の休息は十分に取れた。就業時以外でのメンタルまで折れてしまう前の避難だったため、「ダメになってしまったことが出来るまで復調したよ」的なことが無いので、実感するほど復

          休職1ヶ月経過。3度目の受診結果は?

          逃げてもいいコトと逃げない方がいいコト 〜人生の突破口〜

           会社に行くためにベッドから起き上がる気が湧かず、それまでの日常から距離を置いてから約1か月。自分というものと向き合ったり、いろんなことを考えてきた。今回、しんどさから逃げ出したわけだけど、「逃げる」ということについても結構考えた。そのうえで思ったことがある。  自分にとって逃げてもいいコトと逃げない方がいいコトはちゃんと考えた方がいい。正直、ここを見誤ると危なかったり、勿体なかったりする。  逃げてもいいのは、好きじゃなかったり、向いてなかったりして頑張り続けたら心身がぶ

          逃げてもいいコトと逃げない方がいいコト 〜人生の突破口〜

          頑張る方向性は

           最近は『頑張る』ということについてよく考える。  以前、頑張りすぎることについて記事を書いた。(『頑張りすぎコージー』参照)その時、『頑張る』という言葉の意味を調べたら、「困難にめげないで我慢してやり抜くこと」と出てきた。『我慢』という言葉が入っていることにより、『頑張る』というのは苦行のように思えて仕方ない。  改めて考えてみる。大事なのは「頑張りすぎない」とか量だけの観点なのだろうか。量の前段に『方向性』が大事なんじゃないかって思う。それこそ、方向性によって頑張れる量