勇敢か無知か
カレー、ヨガ、ターバン、ヘビ使い、人口、IT.......多くの人はもうカレーの時点であの国だと想像できるだろう。わたしは二十歳の時この国に呼ばれた。
この国を海外旅行に選ぶとは勇敢、無知のどちらかだ。煙と汗の匂い。その国へ着いたのは夕陽が綺麗な時間だった。まずは宿探しだ。無知な二人は空港から都市へのシャトルバスを探したがそんなものはない。何十台のリキシャの兄さんたちが乗れ乗れと叫んでくる。日本人旅行者を見つけた。この人についていこう。声もかけずに後を追う。運良くバスで街中へ来ることができた。街中といっても舗装されていないデコボコ道に鳴り止まないクラクション。轢くか轢かれるか、どの車もバスも牛も必死な場所だ。友達はバスに降りてすぐに牛の糞を踏んでいたがそんなことを気にとめている場合ではない。道の真ん中で降ろされた私達は道を渡り切ることが生き残るためのミッションだ。
初日から何人もの人に宿の行き先を騙された。初めはみんな親切に教えてくれるなあと思っていたがだんだん違うところに来ていると気が付く。嘘をつかれていた。悪い奴らには見えなかったのだが。宿に着く頃にはくたくただった。ようやくありつけた夕食。本場のカレーは胃にしみた。スパイスが効いて汗と涙と一緒にいらない感情も流れる。友人の大粒の涙はカレーが原因ではなさそうだったけれど。
食後にチャイを飲むのは習慣だ。毎日毎食後飲む。町で小さな子供が店を手伝っていた。大きな瞳と笑顔で飲み物を配っている。日本で飲んでも美味しかったがこのチャイは格別だった。奥で親らしき人が愛おしそうにこどもを見ている。愛情が飲み物から伝わった。この感覚は流さず大切にしよう。
この国に来たのはボランティアをするためだった。ストリートチルドレンの学校へ行く。三歳から十二歳までいた。人懐こく遊んで遊んでと手を繋いできたり、写真を撮ろうとすると一番前で写りたがったりして大騒ぎする。寄付金と仕事を持てるようにミシンの機械を送った。女の子たちにはミシンの使い方を教え、男の子たちには英語の授業をした。予防接種の時は泣きわめいて大変だった。年長の子が痛くない、大丈夫よ!と言っていたが自分の番になると嫌だ嫌だと先生たちに腕を掴まれて注射されている。
翌日カバディと言うスポーツの試合があるから見に来て欲しいと誘われた。もちろん応援に行った。応援席にいると上半身裸で何週間も風呂に入っていないとわかる男の子が手を差し出してきた。少しお金を渡そうと思う前に年長の子たちが来る。この子に構わなくていいよ、あっちへ行けと言った。私たちの目に現れた男の子は泥のついた髪の下に綺麗な顔が隠れている。日本ならスカウトが来るのではなかろうか。そんなことを考える一が、今まで優しかったこどもたちの見たことのない顔つきに何もできなかった無力さを感今年もう一度この国に行く。コロナ禍中にヨガにハマり、本場で習うことにした。空港は新しくなったそうだ。まだシャトルバスはないようだがアプリでタクシーを呼べるようになったと聴く。しかし今も物乞いをするこどもたちに出会うだろう。その時に私は何をするか決めている。今度は無知ではなく勇敢な旅人としてその国に行くのだ。
何よりも出会った人たちが元気に暮らしていることを願っている。騙されたこともスパイスのうちの一つだ。嘘をつかれても幸せを願いたいと思う不思議な国に出会えたことにナマステ。