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心の再生〜セダムがくれた小さな勇気〜植物ミステリー①

裏切られた。
その言葉が、まるで呪いのように頭の中で繰り返される。
信じていた人、頼りにしていた人、心を許していた人。
みんな、僕を置いて、僕を裏切った。

それから僕は、人を信じることができなくなった。
いや、正確には、信じるのが怖くなった。また傷つくのが嫌で、誰とも深く関わろうとしなくなった。

ガチャ
冷凍庫を開ける「あ、もうアイスないんだった」
僕はいつものコンビニへ買い物へ出かけた。住んでいるアパートから歩いて片道10分くらいの所にある。

仕事を辞めて知らない街に引っ越しをした。
もうどのくらい経ったのか、貯金でなんとか暮らせてはいるが…。

いつも通り歩いていると、ある家の門の前に木箱が置いてあった。
『ご自由にお持ち帰りください』の貼り紙がしてあり、色とりどりの数個ほどある鉢花が置かれていた。
僕はその中から、小さな赤色の粒がつらなった花のない植物に目が留まった。

色とりどりに花を咲かせる植物とは違った雰囲気で、初めてそれを見る僕には他の花々を見て「きれいだな」なんて言う言葉はその植物にお世辞にも想像できず、粒はつらなりながらも茎は細く、粒の間隔も広く弱々しくも思えた。他人事とは思えない気持ちにもなり、
「…そこに在る」
そう僕は呟いていた。

カタッと外壁の向こうで音がした気もしたが、独り言…ま、いいか。
(あれは何なんだろう?)
歩きながらさっきの植物のことが気にかかる。

ーーーわんわん、わんわんーーー
僕の行くコンビニには犬といっしょの人をよく見かける。公園までの通り道にもなっていることもあるんだろう。
「きれいな花ねえ」
「あそこの鉢花、今日も出ていたから頂いのよ」
「まぁ私も頂戴して来ようかしら」
「あそこの奥さん育てるの上手で、素敵なお花ばかりよ」
「奥さん亡くなられてさみしいわね、息子さんが戻って来て片付けしているの」
井戸端会議。

「こんにちは、今日は少し暖かいわねえ」
店の奥さん。いつも僕に声をかけてくれる。
気さくで優しくなんともほんわかと温かみある雰囲気の人だ。
吠えていたり、飛び跳ねたり、ウロウロしている犬も不思議と穏やかそうに奥さんの横に腰をおろす。

僕はまだ目も合わせられず、
うつむきな様子で会釈をする。
だけど奥さんは変わらず声をかけてくれる。
以前の僕ならきっと顔を上げてニコニコと挨拶をし、世間話などもしていただろう。

罪悪感…でも今の僕は「もう人の評価に生きたくない」うつむいたままの自分でいいんだと買い物を済ませる。

人当たり良く過ごしてきた
よく気づきよく動いてきた
どんなことにもノーと言わず
…誰のため?
僕は僕に呪文をかけるように言い聞かせる「 僕は僕の物語を生きるんだ」と。

帰り道、あの木箱の中の色とりどりの鉢花はもう無く、気になっていた小さな赤色の粒がつらなった植物がぽつんとあった。

「僕か…」
また呟いてしまった。
最近は独り言が増えたのでないか。自分で自分に突っ込みしてしまう。

「どうぞ、連れて帰ってやってください」
(え、連れて帰る?!)
ハッと顔を上げると男の人が立っていた。
「遠慮なさらず、育てやすい子なんで」
「は、はあ」僕の驚きを他所に、
「ネットで[セダムコーラルカーペット]って調べたらね、ほら、すぐ出てきますから」
「ほらスマホ、スマホで」
ちょっと押しの強そうな男の人に煽らながら僕はスマホで検索。
「あったでしょ、はい、これね」
男の人はその赤い粒の[セダムコーラルカーペット]を僕に手渡し門から家へと入って行った。
呆然。

…片手ほどの軽いやつ。

家に帰り買ってきたアイスを頬張りながら、ちょっとワクワクするような胸の踊りを感じながら、先ほど検索したまま(ま、強引に検索させられたのだが)のスマホに目をやる。
「多肉植物っていうのか、セダム。意外と育てやすそうなんだな」
植物なんて小学生の頃の朝顔以来だ。

片手ほどの小さな鉢、そして軽さにも驚いたが「こんなものなのか」よくわからないが、乾燥気味がいいらしい。

持ち帰ったからといって、今すぐに何かしなくてはならない植物ではなく、土や肥料や、鉢などもまだ必要もないらしい、ただ日当たりの確保さえすればいいようだ。
「しかし、もらいっぱなしもなぁ」お礼をきちんと言えず持ち帰ってしまった。

人と関わりたくないが、さすがに胸につかえる気持ちがある。
以前の僕ならちょっとした手土産を持って「先程はありがとうございました」とお礼に伺うだろう。
そして植物について、世間話などで関わりを持とうとしただろう。
だけど僕はまだ外に出たくない…。

最初は何も変わらなかった。セダムはただそこに在るだけだった。
それでも僕は何度もネット検索で確かめ、日当たりの良い場所、風通しなどに気をつけた。
話かけはしなかったが、いつもその姿を目で追っていた。

数日経ったある日、僕はセダムに小さな変化を見つけた。
張りが出て艷やかになってきていた。
まだ間延びし頼りないけれど、その細い茎からは新しい小さな小さな赤い粒が出てきていて、存在感を増し確かに生きている。
僕は、なんだか嬉しかった。

セダムは、少し僕と同じだと思っていた。僕と同じように弱々しく、華々しさの中に埋もれていき、立ち直れやしないと。
でも、違った。
セダムは、必死に生きていた。そして、ちゃんと新しい芽を出した。
それを見て、僕は思った。
僕もこのセダムみたいに、もう一度生きてみよう。
人を信じるのはまだ怖い。でも、少しずつなら、また誰かと関わることができるかもしれない。
そう思えるようになった。

セダムは、僕に小さな勇気をくれた。
それから僕は、セダムの成長を毎日楽しみに眺めるようになった。そして、少しずつ心が安らいだ。

いつものコンビニ、奥さんと少しだけ話すようになった。 
「こんにちは、いいお天気ですね」
「このお花、綺麗ですね」
そんな、他愛もない会話。
でも、僕にとっては大きな一歩だった。
セダムが教えてくれた。
小さな芽のように、静かに、でも確実に育っていくものだと。
そして僕もまた、少しずつ前に進んでいこうと思っている。

アイスを食べながら僕はここに在る
ただそれだけでいいんだと。

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