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嫉妬を手放したい、 だからわたしはあえてポリアモリーを選んだ

ポリアモリーを自称していると「嫉妬はしないの?」「独占欲はないの?」とよく聞かれます。恋人に他に好きな人ができるなんて辛くないのかということですよね。

実はわたし自身、恋愛を始めた18歳から現在まで、好きな人が一人だけという期間がほとんどありません。常にあっちにこっちに目移りしてはそんな「浮気性」な自分はなんて欲深く不埒で「“まとも”でない」人間なのだろう、と心底がっかりしていました。

ただ同時に、モノアモリーとして生活していたわたしは、非常に嫉妬深く、独占欲が強かったのです。というのも、モノアモリーの社会においてはパートナーに他に好きな人ができるということは、自分が振られてしまうことを意味します。あくまで関係は択一的なものです。わたしはモノアモリー社会において、「いつかパートナーに他に好きな人ができてわたしの前から去ってしまう」という恐怖に脅かされていました。

彼氏のあらゆるSNSの投稿が気になり、他の女の子にリプしていればその女性を非公開の要注意リストに入れました。彼氏の家に行けば、クローゼットや排水口の中をのぞきこんで女性の髪の毛がないかチェックしました。彼氏のPCのデスクトップ上のファイルをすべて開けて黒ギャルばかりのAVを何十本と見つけてしまい、無駄に落ち込みました。(わたしは色白なので。)今思い返すと恥ずかしいことばかりですが、当時のわたしは浮気症の自分を棚に上げて彼をつなぎとめたくて必死でした。

しかし、ある日、わたしはそのようなモノアモリーの規範をあえて一度アンインストールし、「複数の人を好きになってしまう」という自分の感情を信じてみることにしました。

もちろんモノアモリーの規範から外れることへの不安はありました。世の中のデフォルトであるモノアモリー規範にハマれないわたしは「一生“まとも”にはなれないのだ」と思いました。でも、自分は浮気をやめられないくせに、相手に浮気をするなというのは変な話だという気がしました。猜疑心によって自らパートナーとの関係性を壊してしまう自分に、ほとほと嫌気がさしていました。わたしは自分で自分をコントロールし、安定したパートナーシップを維持する能力を身に着けたいと切実に願っていました。どんなに“まとも”ではないと言われようとも、自分のための新しい倫理を打ち立てる必要性を感じました。

長い間自分の中に内面化されてしまった規範というのは、追い出すには相当の時間や訓練を要します。しかし、自分の健やかな感情や伸び伸びとした気持ちを抑圧し、生きづらくなってしまっているなら、そんなルールは本末転倒です。わたしはモノアモリー規範がなければ存在し得なかった感情に苦しめられてきました。わたしの敵は嫉妬心や独占欲ではなく、モノアモリーという制度そのものです。

このように規範が目的化してわたしたちを苦しめるという現象は恋愛の場面だけに限りません。「女は結婚しなければ幸せになれない」といった伝統的な女性観、同性愛に対するネガティブな評価、「有害な男性性(toxic masculinity)」についても同様のことが言えます。ルールはわたしたちが幸福になるために存在するものです。わたしたちを苦しめる規範やルールがあるならばそれは廃止しされるべきですし、自己と他者を尊重する新しい方法論が打ち立てられなければなりません。

結果的に、わたしにとってモノアモリーの規範をアンインストールし、ポリアモリーとして生きることはよい選択でした。自分がポリアモリーであると自覚しそれを実践するようになって、焦燥感から解放され、わたしはわたし自身の生活を謳歌できるようになりました。

ポリアモリーの社会では、パートナーに他に好きな人ができたとしても、わたしが振られてしまうということ必ずしも意味しません。これによって、わたしは「いつかパートナーに他に好きな人ができてわたしの前から去ってしまう」という恐怖から解放されました。わたしは彼のわたしの前にいるときの姿だけに集中することができ、彼がわたしの前にいないときは自分自身の生活を楽しみます。彼が目の前にいないときも四六時中彼のことを考え、予期不安ばかり抱えて探偵ごっこをする必要はなくなりました。

あまりに強固な形式はいつか腐敗する運命にあり、言葉ではいくらでも嘘をつくことができます。現前しない事実は確かめようがありません。

しかし、誰かと共にした生活はなかったことにはなりません。行動は嘘をつきません。わたしはポリアモリーを選び取ることで、最も身近な他者であるパートナーが「突き詰めれば何を考えているかわかりようがない」存在であり、だがしかしそうでありながら互いに真に美しい瞬間を求めたのだという実感をより強く得ることができるようになりました。そのような実感は、たとえその人がわたしの目の前から消えても生き続けることができます。これは、誰もがどこにも帰属しようもない孤独な世界において、唯一といっていい自己の存在の輪郭を確かめる機会とはいえないでしょうか。

このようにわたしはポリアモリーとして生きることで、恋愛において失恋の次につらい感情である嫉妬からは心地の良い距離を保つことができるようになりました。この快適さは一度手にしてしまうとなかなか手放すことはできません。

ただ、例外はあります。モノアモリーの人とお付き合いをするときです。わたしはポリアモリーなので他に好きな人ができたとしても「別れたい」と言い出すことはありません。しかし、モノアモリーの人に他に好きな人ができたらわたしは確実に振られてしまう立場にあります。「パートナーに他に好きな人ができてわたしの前から去ってしまう」という悪夢は現実のものとなります。そういった不安からモノアモリーの人を好きになったときはやっぱり嫉妬や独占欲に苛まれてしまいます。

ポリアモリーのパートナーとの関係の方は安定していて、現在のパートナーとの交際は5年以上になります。彼とはその時々の新しい恋の話も共有し、互いによき助言者となります。そのとき意識しているのは、「相手が目の前にいないときの言動までコントロールしようとしない」ということです。相手も人間です。人間が人間を支配するということはそんな簡単ではないし、してしまったからにはそこに権力勾配が生まれ、ロマンティックなムードは消えてしまいます。相手が新しい刺激によってくるくると変化している様はこちらにとっても新鮮で、改めてドキッとさせられることも多いです。そのような一見不安定な関係が、長年交際を続ける秘訣だと思っています。

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