複数愛、その息の根が止まるまで
彼が、わたしではない女性と一ヶ月、世界一周クルーズに出かけるという。
わたしはポリアモリー(複数愛者)だ。ポリアモリーとは、パートナーと合意の上、複数の人と交際することがある人のことだ。わたしには現在4年以上交際している彼がいる。彼もわたしと同様、ポリアモリーだ。彼はわたしの他に10年近く交際している彼女がいる。わたしからみた彼女は「メタモア」という呼び方をされる。彼女はポリアモリーではなく、モノアモリーである。つまり現在多くの人が採用している、一対一の排他的な関係をよしとする人だ。彼と彼女さんとの間では、抽象的には「わたし」の存在について合意がある。彼女以外の人物がなにかしらのかたちで彼に関わっているであろうことは、“諦めている”状態だ。しかし、具体的な「わたし」という存在が浮かび上がってくると彼女は耐えられないという微妙な緊張感の中にいる。これを真の「合意」というべきなのか議論がありうるところだろうが、今はその話ではない。
一ヶ月、彼がいない。
しかも、ではそのかわりに後の一ヶ月はわたしを優先に…というわけには絶対にいかない。彼女さんにとっては「わたし」の存在を黙認していること自体大いなる譲歩なのだから。一ヶ月間彼を独占することは「正妻」として当然の権利行使なのである。そして世界一周。そこそこ稼ぐ彼も貧乏学生のわたしの分まで世界一周分を支払えるほど羽振りがいいわけではない。彼女も彼と同様に稼ぐからこそ、潤沢なダブルインカムあってこそ実現する企画だ。
悔しい。わたしの方が留学も国際的な弁論大会への出場経験もあって、語学は堪能なのに。彼・彼女にはない視点を彼らに提供できるのに。わたしは彼女さんがいたって構わないのだ。一緒に仲良く世界一周する自信だってあるのに。彼女がモノアモリーだから、もっと口を滑らしてしまえば、自分の交際している彼がポリアモリーであることに駄々をこねて、しかもそれが世間的にも正しいから、こんなことが成り立ってしまうんだ。“わたしには本来あなたを独占できる権利があるはずなの。だから、当然、妾の女の了解なしに連れ出したって文句ないでしょ。”彼がポリアモリーであることをわかってもなお彼と付き合うことを選択したのは彼女自身なのに。
さみしい。思いが一気に込み上げてきて泣きそうになる。しかし、今にも泣こうと彼を見ると、彼の目も真っ赤になって揺れていた。
わたしは言葉を飲み込んで、コースのデザートを口に入れる。塩キャラメルのソースが、その日は特にしょっぱく感じた。
*
わたしは見捨てられることを極度におそれる人間だ。
ひとの心が極めて移ろいやすいものであることをよく知っている。永遠の愛、はぁそうですか、と他人事のように生きてきた。そういう世界観がわたしにポリアモリーという恋愛スタイルを選択させたのだろうという人もいる。愛を誓った唯一の人から裏切られることをおそれすぎているのだと。決定的に傷つくことから逃げて、結局幸せを諦めているだけなのだと。
しかし、実際にはポリアモリーを実践したところで、愛する人を失う痛みから逃れることはできない。2人・3人と付き合っていても、そのうちの一人を失う辛さをもう一人の交際者で埋めることはできないのだ。例えば、子どもが2人いるからといって、一人を失ってももう一人いるならいいよね、なんて思えないように。親友が3人いるからといって、一人失ってもあと2人もいるからいいじゃない、とはならないように。大好きなアニメシリーズが4つも5つもあるからといって、そのうちのひとつが終わってしまうことが毎回悲しいように。
わたしは“誰か”を失くすことをおそれているのではない。そこにたしかにあったはずの、彼らそれぞれとの固有の体験・思い出・生活、つまり、かけがえのない“その人”との愛着を、永遠に喪失することがおそろしいのだ。そのおそろしさは、ポリアモリーだろうとモノアモリーだろうと未婚者だろうと既婚者だろうと人の親だろうと、いつまでも付き纏う気がしている。
*
わたしは何度も彼に、彼女にわたしのことを紹介してよ、と迫ったことがある。それが、ポリアモリーが「誠実さ」の条件として掲げる「関係者全員と合意があること」に必要だと感じたからだ。錦の御旗が欲しかった。彼女に、あなたはわたしのことを了解したんだから今後文句は言わせないからね、と言い張りたかった。自分の安全圏を保障されたかったのだ。ある日突然、彼女が家に来て彼を連れ去ってしまうことがなにより恐ろしい。
でも、彼は、それはできない、ときっぱり答えた。白黒つけることは終わりの始まりなんだと。そして、それはきっと正しい。それに、そんな正義の盾は肝心なときには役に立たない。人の心を縛ることはできないとわたし自身よく知っているのだから。というか、そんなことはしたくない。
わたしが彼のことを好きな理由は、彼がわたしのことを最大限尊重する人間だからだ。わたしの心身の健康と幸福の追求、いつでもこれらを一番に考えて、彼の幻想や欲望をわたしに押し付けることをしなかった。それどころか、彼の想定する既定路線からわたしが外れる度に、笑って、呆れて、面白がってくれた。そんな人は今までわたしの周りにはいなかった。冒険して傷ついて帰ってきても、「だから俺の言うことを聞けばよかったのに」なんて一言も言わなかった。「まぁ、そういうこともあるよね。」「傷つかないと学べないこともあるから。」と言って抱きしめてくれた。必ず帰りを待っていてくれた。どんなに怒って、泣いて、自分勝手にしても、見捨てることも見限ることも諦めることもなく、一緒に怒り、ときにぶつかって、彼も好き勝手にした。彼だけがいつでもそこに居た。
だからこそ、彼は彼女を切ることなんてできない。彼は彼女が煩わしい、面倒臭い人間だからといって、彼女との時間までなかったことにできる人間ではない。モノアモリーの彼女はモノアモリーのまま、ポリアモリーの自分はポリアモリーのまま、それでもいいとお互いが願う限り一緒にいたいと思う人だ。わたしも彼のそういう情の深いところが好きだ。他者が自分の思い通りにならないこと、ひとの心が曖昧で複雑で割り切れないものであることを知っていて、だからこそぐずぐずズルズルして、優しいところが大好きだ。彼が彼女といる理由は、彼がわたしといる理由と同じなのだ。
だから、わたしは、彼女が邪魔だから別れてくれ、なんて口が裂けても言うことはできない。
*
彼はわたしを愛してくれている。これは信じるに値する希望である。彼は彼だけのやり方でわたしの痛みに寄り添い、人生を共にしてきてくれた。わたしも彼が抱える欠落や傷を引き受けて生活することを好んで選んできた。そして、それでもなお埋められない孤独は孤独のまま、しかし孤独を孤立させまいともがいてきた。そうした最善の試みの積み重ねが、わたしに言葉を飲み込ませた。
わたしたちの営みは虚構ではない。愛はまだ形骸化していない。今はこの衝動にまかせて城を壊すときではない。もう互いの気持ちは十分受け止め合っているのだから。
「さみしい。」
「ごめん。僕もさみしい。」
肉体がいつかわたしたちを無条件に裏切るように、わたしたちもいつかどちらかがどちらかを裏切る。そのタイミングを選ぶことはできない。そのときまでに彼と世界旅行に行けるときは来るだろうか。多分、期待はできないけど。
一ヶ月後、彼は両手いっぱいのお土産を携えて帰ってきた。彼や彼の男友だちが絶対に好まないであろう、ファンシーなパステルカラーの小菓子、ピンクのエッフェル塔の置物。彼女にどんなことを言われながら持ち帰ってきたのだろう。
彼は自分のPCで世界中の写真をスライドショーで写していく。一枚一枚丁寧にエピソードを紹介する。見たこともない景色、色とりどりの料理、美しいレンガづくりの街並、眼の前をキリンが通り過ぎる大迫力のサファリ。驚きと笑いの耐えない夜が過ぎる。
わたしたちはもう泣き顔にはならなかった。いつかのその瞬間まで、この胸の微かな痛みと共に、笑って走り切ることができるだろうか。