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26歳、絶賛余生なう。


−−−−
「余生」
盛りの時期を過ぎた残りの生涯。
残された人生。
−−−−


これを「余生」って言うんだってさ〜。🤔
※ググったらでてきた!!!





ここで1つ思うんだけど、
「盛りの時期」っていつの事なんでしょうか?





そんな時期あるの?って感じで、盛りの時期!と言われても自分の中では全然ピンとこない。







それとも今後、盛りの時期というのが自分には見えていないだけでやってくるのでしょうか?







大学生の頃、このまま生きてたら色々としんど過ぎて絶対に30歳まで生きている自信が本気で無いなー、まぁしょうがないかー、自分だし!なんて思っていたけれど、なんだかんだで27になる歳まで有難いことに大きな病気があるわけでもなく生きてこられています。







感謝。
そして案外自分って丈夫なんだなと思います。






でも目の前の現実に対して、どうしても投げやりな気持ちで真正面から向き合わざる得ない時、僕は心から「死にたいな〜」って心の底から思います。




例えば次の日仕事があるにも係わらず、ヘトヘトで帰った家の前で家の鍵を持っていない事に気が付くとか。。。😭
マック食べている間に乗る予定の飛行機飛んでったとか。。。😭
本当に「誰か自分の人生と入れ替わってください!」って心の底から思う事が多々あります。






まぁでもこれは、
きっとみんな同じもんだと信じている!笑






で、そんな経験から、現代社会の中で「病む」ってゆう1つのパターンとして、目の前の現実に対して投げやりな荒んだ気持ちで向き合わざる得ない時に、その現実を受入れない!もしくは受入れきれない!という方向に行くと、陥るものなのかなー…?なんて持論が生まれました。








ただ、例えそうだとしても、
絶対に死ぬのは反則だと僕は自分に誓っています。








なので、そんな時に僕は「別にどーでもいいや〜、どーせ今はもう余生だし!!!」 という自分が無敵になれる言葉を自分に念じるように決めました。










すると、良い意味でも悪い意味でも嫌な事があったところで、心の中では中指立てて表面上ではニコニコしながら簡単に嫌なことを受け入れる事ができ、全てを物語の1ページとして昇華できるようになりました。









26歳、残りの人生、余生のみだからまぁいっか!✨





身体のどっかが調子悪かろうと、
朝起きたときに全然気分が乗らなかろうと、
もちろん反対に気分が良いとしても、
僕はただ今、26歳、余生なう!






そのままの状態でこの先50年60年まだまだ生きるのかもしれないし、いきなり明日ぽっくり逝くのかもしれないし、そんな事僕には分かりません。









だから朝気分が乗らないとか、なんかダルいとか、
やる気がないとか、そんな気持ちを「余生なう!」の呪文を使って心で受け止めて、心を思いっ切り沈めてロボットになった気分で色んな事をする。







熱とかはないけどなんかだるいなー…しんどいな…まぁ余生だし、はい、仕事しよう。仕事しよう。音楽しよう。音楽しよう。






あ、実際やってみたら案外できるじゃん!!笑
本当にこんな感じ。





そして、そんな経験を通して気が付いたことは次の通りです。






少なくとも自分は、何かする際に頭で動いている時と心で動いている時がある生き物なんだなーということです。





どうゆう事かというと、
心がやられている時に、「余生なう!」の一言だけで、いつものルーティンのような仕事ができるのは心が沈んでいても、多少は頭が動いているからなのかなーと考えました。






逆に、頭が全く動いていない時でも、気合で何か行動をするときは心が動いているからなのかなーと考えました。




常に心も頭もリフレッシュされている状況が100%のパフォーマンスを出す為の条件だとするのであれば、僕は常に20%くらいだと思ってます。そして、20%でなんとか必死に毎日食らいついています。







何故20%でがんばっているかというと、心も頭もリフレッシュできている状態を自分に求めてしまったら、現実とのギャップに殺られてしまうのが目に見えているからです。










朝気分が乗らないとかなんかダルいとか、やる気がないとか、そんなときは「余生なう。」の一言でまるめ込んで心を鎮めます。そして、回らない頭で仕事に行ったり、音楽をしたり、他にも色々行動する。





これは、普通であれば本当にヤバい所の手前の段階で、防衛本能が働いて「休もう!」ってなるのだと思う。




もちろん本当に熱があったり、声が出なかったり、そんな時は睡眠とか、ゆっくり休むこととか大事だし、そうすべきだと思うし、自分もそうします。






でも、そうでない時にどれだけ精神がラリってしまっていても、目の前にある時間が余生でしかないと理解していれば、常に20%くらいのパフォーマンスであれば自分の身体は動くだろうなと感じています。








結局どれだけ休んでも、風の噂で一度バグった精神は完全に治ることはない。みたいな話も聞いたことあるしねー。







朝気分が乗らないとかなんかダルいとか、やる気がないとか、その気持ちをちゃんと抱えたまま、それらを全て認識した上で、それらを「余生なう!」の一言でまるめ込んで、仕事に行ったり、音楽をしたり、他にも色々行動する!

本当にこんな感じです。(朝とか特に笑)






ここまで、自分の事を書き出しているけれど、恐らく一般的な人はこんなことしないしこの考えを誰かに押し付けたいとも思わないのでこんな人もいるんだなーくらいで読んで頂けると嬉しいです。












世間では「ギャンブラー」な人っていうと、
良い印象を抱く人は明らかに少数派だと思う。







勿論ギャンブラーとは、
「賭け事をする人、賭博が好きな人」って意味なんだけれど、最近自分はある意味ギャンブラーなのではないかなーと思う事があります。






あ、勿論パチンコとか、競馬とか、競輪とか、お金をかけるギャンブラーではないです!笑








朝気分が乗らないとかなんかダルいとか、やる気がないとか、その気持ちをちゃんと抱えたまま、それらを全て認識した上で、それらを「余生なう!」の一言でまるめ込んで、仕事に行ったり、音楽をしたり、他にも色々行動する!
これは、普通であれば本当にヤバい所の手前の段階で、防衛本能が働いて「休もう!」ってなるのだと思う。






もちろんその選択肢がある事は知っています。







でも、そんなときにちょっと強引に無理してでも音楽しはじめたり、仕事しはじめたりすると、命をギャンブルしている感覚がして今は1番生きているなーという実感が湧きます。











「命懸け」改め「命賭け」 で余生を嗜んでいると言うのが正しいのかもしれません。








自分の周りには、うつ病など精神的な病を抱えて闘病されていたり苦しんでいる人達が何人かいます。








その人達の話を聞いたりしていると、いつかこのままいくと自分もそうなる時が来るのかなー…という感覚を抱く反面、その人達が教えてくれる事を大事にして、そうならない様にケアをしながら心がワクワクする事に全振りしていかなくてはいけないなーと思います。





また、近頃たまに「行動力凄いよね。」
とか言われることがあります。







正直、上には上がいると感じているので、
自分はまだまだ大した事ないと思っています。
でも言われたことに対して謙遜しても別に仕方ないし、恐らくその言葉を言ってくれる人より動き回っているのは、紛れもない事実なのだろうなと思っています。







そしてその源は、ポジティブな時に「いつか死ぬまで人間として素敵な人になり続けたいな→行動しよう!」という十字架的な目標が突き動かしているケースが①。逆にしんどくてネガティブな時は「今はもう余生なう!→じゃあ行動するかー…💢」パターン②とゆう2種類があって、結果的に常に動いていられる。ってゆうことが僕の行動力の源かなーと最近思います!





26歳、余生なう。いえーい!!!





現代社会を生きていて、
心の1つや2つラリっててなんぼでしょ!!!
いぇーーーーーーい!!!🎉






ただ、そんな状況に陥ったとき、
通常の選択肢は2つだと思っています。






①社会に対してとてつもなく悲惨な事件を起こす。
②全力で社会を味わい尽くしてやろうと決め、その為にひたすら動く!








たまに①のような事件が世の中のニュースとして取り上げられているのを見ると、どうしてもどこか他人事とは思えない自分がいます。💦








でも僕は、なんとなーくこれからも後者を選択し続けていきたいなーって思いまーす。







以上!





26歳、絶賛余生なう!!!






















































































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