手話と愛情とミイラの話
こんにちは。地図が読めない、なかだいらです。
このnoteでは長男ナオ、次男リョウが発達障害の診断を受けた流れ、その後バリ島で育て直しを行った体験の記録を、本人の許可を取ったうえでつづっていきます。
バリ島へ行ったのが2009年。まずはそれまでの日記を出していきます。
2006/10/19「汲み取るチカラ」
「場の空気が読める男」というニュース記事(現在、掲載は終了)を読んで、これは大事だと思った。
場の空気が読めないのが悪い、とかではなくて、そういう感覚が退化していっているんじゃないかしら。
手話を習い始めたときに思った。
手話はマニュアル通りの手の形、動きをキチンと表しても聾のひとに伝わらないことがある。
眉の動きや肩のあがりかた、口のすぼめ方が伴わないとダメなの。表情というより、もっと奥の深い、空気というか「波動」に近いくらいの何かも含めて伝えないといけない。
この感覚がだんだん無くなっていっているように思う。
脳の機能の問題で空気が読めないケースもあるけれど、それとほとんど同じことが多くのひとの中で起きているんだろう。
洞窟の中の生き物が目を退化させていくのと同じで、空気を読む必要がだんだん無くなって来たからその部分が消えていっているんじゃないかな。
これは深刻なこと。
毎年来ていた渡り鳥が今年はなぜか来なかった。
そんなニュースを知ったときも同じくらい深刻で怖いことと思ったんだ。
さらりと流せないよ。
2006/10/20「愛情の量り方」
学童ではあまり目立っていないようだけれど、学校では次男とお友だちとのトラブルが多いらしい。
前も担任から電話がかかってきて、遠まわしだけれど「お母様はお仕事もされているし、赤ちゃんも生まれてリョウくんは甘えられないのではないか」と言われる。
私の思い込みでそう聞こえるだけかもしれないけれど、そんなニュアンスが少しはこもった内容には違いない。
明日から5日間、夫の実家に家族揃って帰省する。
連絡帳には「最近またトラブルが目立ちます。長いお休みの間、リョウくんをいっぱい甘えさせてあげてください」とあった。
なーんかな、ヘコむよね。
愛情たっぷりに育てているつもりだけれど、それは単なる「つもり」で、実際は愛情が不足してるんだろうか、とか。
一緒に過ごす時間と愛情がイコールだとしたら、やっぱり少ないのかもしれないな、とも思う。
でも、量より質だろ、とも思う。
そう考えると、質のいいひとときを果たして過ごしているだろうか、とまた考えちゃう。
ナオが学校に適応しなかったときも、先生から「普通はじっと座っていられるようにしつけられているものだ」的なことを言われて、私が何か間違ったのかな、と考え込んだなー。
ナオの場合は、普通の子が3回言えば直せる行動を10回、20回言っても直せなかったり、逆に3回言えばできる行動を10回、20回言ってもできなかったりして、一般的にそのような状態の子どもを見ると、周囲は「しつけがなっていない」「わがまま」「愛情不足」などと言う。
親は追い詰められて「しつけが足りない」と叱る回数を増やして虐待に至るケースもある。子供は自尊心がズタズタになって鬱になる。そんなニュースを見ると、その影には脳の特性の問題が隠れているだけなんじゃないかなぁと他人事とは思えなかったりする。
難しいのは、我が子が学校に適応していなかったり、お友だちとトラブルが続いているときに、それが先生の言うようにしつけや愛情の問題なのか、それ以外の問題なのか、分かりにくい点だ。
でも「私は愛情を持って子育てをしているし、しつけもきちんとしています。なので問題行動は愛情不足によるものではありませんっ!!!」なんて自信を持って言えない。みんなは言えるのかなぁ。お風呂やベッドで時々聞いちゃうもんな。「リョウ。ママがリョウのことを好きだってこと、知ってる?」とか。
私がいまできることは、どんなトラブルがどんな状況で起きているのかを知ることと、それにどのように対応していけばいいか、担任とリョウと一緒にじっくりじっくり取り組んでいくこと。リョウを責めたり追い詰めたりしないで、くり返し問題行動(お友だちを傷つける言葉や叩いたり蹴ったり)が無くなるよう前向きに働きかけること。
大好きなんだけどな~。リョウ。伝わっているのかな。
うっすらヒゲが生えているリョウ。野外料理を「やがいも料理(どんな芋!?)」と思った愛すべき我が息子。
今日も夕飯を食べ終えて箸を置いた瞬間に何かブツブツと呟いたかと思うと寝室へ直行。パパと顔を見合わせ「何? どしたの?」と寝室を覗くともう寝てた。そんなリョウ。
まだ6歳だもんね。色々うまくいかないことがあると思うけど、一緒に頑張ろうね。
2006/11/1「うぅ……」
上の子供二人を寝かしたあと、三男ココをオンブしていままで仕事……。肩が痛い(T-T)
上の子たちのときも、こうしてオンブしながら夜中まで仕事してたなー。
何やってんのかなー。
お金のために働いているというより、実現したいことをとにかくやりたい気持ちが強くて、利益とかいつもそっちのけ。会社としては駄目よねー。経営なんて全然興味が無くて、損得勘定すらできない私が会社をやっているというこの状況。これも修行なのかな。
とにもかくにも愛してる級に大事なスタッフや外注さんのおかげで昨日第6期の決算が終了しました。
はー。疲れた。クタクタ。
私の前世を見てくれたひとが「ずーっと奉仕活動をしていた(しかも大男)」と言っていたけど、自分がまず自立して安定していないと、ひとの役には立てないよなーと思う。
こういうときは自分の気持ちを整理しないと空回りしそう!
ふと横を見ると、ぬいぐるみに囲まれて眠る次男が……。
子供の寝顔には本当に癒されるわー。
2006/11/4「雑記(ミイラ)」
ここ数日の雑記です。
昨日はパパがお休みだったので上の子二人を連れて上野へ。
目指すは前から見たかった上野の森美術館の「ダリ展」と科学博物館の「ミイラと古代エジプト展」!
いやしかーし混んでるなぁ。
こりゃ学校休ませて平日行くしかないなー、とつくづく思った。
「ダリ展」は入場まで1時間半待ちとのことで諦めました……。
ミイラは面白かった。もっとゆっくりじっくり見たかったなー。
昔はミイラの包帯を取って研究していたんだって。
でもいまはCTスキャンで内部を全部見ることができる。それを20分間の3D映画で見てきました。
今回取り上げられたスペルエンネブウのミイラには謎があって、頭の上に帽子のようなものが写っているの。それはね……。
仕上げ段階でミイラ全体に松ヤニを塗るときに、枕代わりに置かれた台座ではないかと。これを外し忘れて松ヤニが乾いてしまって、台座が外れなくなっちゃったのでは、と。で、慌てて包帯巻いて隠しちゃった……。
まさか後世の人々に秘密を見つかっちゃうなんて! これは仮説だけれど、本当だったら面白いなー。
科学博物館は1日では見切れないほどなので、やっぱり学校を休ませて行くしかないな。
そして今日は叔父の家の柿を収穫に行きました。
近所に住む叔父の家には柿の木があって、毎年この季節になると取らせてもらいます。
途中で学童のお友だちに遭遇。女の子たちは柿を数個取ったあと、ココのお世話をしてくれました。叔父の家のお仏壇にみんなで線香をあげて、チーン。
なんかいいな、こういうの。
地域の中で子供たちが育っているって感じで。
いまは学童の子供たちを自分の子のように思うけれど、最近は新しい子たちも加わって、どこの誰か把握ができなくなってきてる。
親の顔も子供の顔も名前も。
みんな知らない、関係の無い存在になっていく。
気をつけていないと、急速にバラバラの方向へ流されて行きそうに思う。
繋がりを維持するために何か手を打っているかというと、私自身は何もしていないから不安です。
大丈夫なのかな、これからの学童と子供たち。
親睦について、私はもっと真剣に考えたいのですっ!(机をドーンと叩く)
つづく
次回は「子供にもできるタスク管理法めくりめくり」をアップします。
■当時をふりかえって補足 2021.9.27
愛情の量り方については、その後リョウの診断のときに答えが分かりました。私の愛情が不足しているのではなく、リョウが受け取れるカタチで渡していなかったのが問題でした。まぁ結果的にはリョウにとっては愛情不足ではあったのだけど、そもそも母親が愛情を持っていないのか、または愛情は持っているが渡し方が間違っているのか、で、取り組むべき課題は大きく変わります。