鳥居購入と直線の実体など
こんにちは。お金の計算が苦手、なかだいらです。
このnoteでは長男ナオ、次男リョウが発達障害の診断を受けた流れ、その後バリ島で育て直しを行った体験の記録を、本人の許可を取ったうえでつづっていきます。
バリ島へ行ったのが2009年。まずはそれまでの日記を出していきます。#053
2007/10/7「鳥居購入」
ホームセンターで鳥居を購入。
水槽用の飾りらしいんだけど。
数年前から神社ブームが到来していて、朱と黒の組み合わせの鳥居が大好き。鳥居に取り付かれたひとを、神社コミュではトリイスキーと呼んでいるらしいです。
私がこの鳥居を見つけて大喜びしている姿を見て、夫が一言
「それは金魚の水槽に入れるものだよ」
私ってどんだけバカだと思われてるんでしょうか。
分かってるっつーの。
2007/10/10「期限を過ぎたプリント」
今日、次男リョウ(小2)が遠足の案内を持って帰って来た。
この遠足、先週終わってますよね。
ま、持って帰らないよりいいか。ありがとよっ!
おかげで持ち物が全然分からなかったサ。
前にも書いたけど、ADHD(注意欠陥多動性障害)に関する講演会を受講したときに講師(←本人も当事者)がこう言っていた。
「ADHDの子どもが宿題を提出するまでには幾多の壁があります」
○宿題を出されたことが聞こえていない。
○聞こえていたとしても連絡帳に書くのを忘れている。
○書いたとしても連絡帳を学校に忘れる。
○持ち帰ったとしても肝心の教科書ノートを学校に忘れる。
○教科書ノートを持ち帰っても連絡帳を見るのを忘れる。
○連絡帳を見たとしても宿題を行うことを忘れる。
○宿題をやったとしてもランドセルに入れるのを忘れる。
○ランドセルに入れたとしても出すのを忘れる。
信じられないかもしれないけど、忘れ物王の私としてはすーっごくよく分かる。
小学校のときに「どうして忘れるの?」と聞かれて「覚えていたら忘れていない」と答えた記憶があるけど、その通りだよね。
メモを取ってもメモを取ったことを忘れ、メモ自体もどこかへ行ってしまう。
物を忘れたり無くしたりすると、「物を大切にしないからだ」と言われるけれど、大切に思う気持ちと不注意は関連性が無い。大事なのに無くしてしまうから。
常に楽天的でいられるのもある意味「怒り」を覚えていられないからだと思うなー。
今日の午前中は思考が偏りすぎて「時間と空間」についてあれこれ考えているうちに昼になってしまった。
「博士の愛した数式」を観たんだけれど、本当の直線とは無限に続くものであるとのこと。本当の直線は概念として掴んでいるけれど、その直線はどこにあるのだろう。
直線の実体はどこにも無い。でもこころの中にはある。
私たちは紙の限界と体力の限界の間で、直線の点と点をつないで「これが直線」と思うようにしているだけだと。
時間も同じ。時間はどこにも無い。
1秒前に自分が存在していたかどうかも証明できない。明日が今日と同じように始まると誰も証明できない。
私は思考と行動のバランスが悪いんだろうなぁ。
思考モードに入ると哲学的なフワフワ感にずっといたくなる。
それよりも10分散歩する方がどれだけ今この瞬間に生きられるか。金木犀の香りの方がどれだけ自分に変化をもたらすか。
バランスが取れると、きっともっと楽に生きていけると思う。
でも好きなんだよなー。思考遊び。
■当時をふりかえって補足 2021.10.21
相変わらず思考と行動のバランスは悪くて、相当気をつけないと行動が過多になることも。スケジュールぱんぱん。時間の量を読むことも不得意なので、十分な時間を確保するのが難しいのです。
今年からアクションプランナーという手帳を使って、時間の見える化に取り組み、少しずつですが改善していたりもします。試行錯誤は続くのです。