どうしても歌いたくない長男や、家庭訪問のことなど
こんにちは。深夜ラジオ大好き、なかだいらです。
このnoteでは長男ナオ、次男リョウが発達障害の診断を受けた流れ、その後バリ島で育て直しを行った体験の記録を、本人の許可を取ったうえでつづっていきます。
バリ島へ行ったのが2009年。まずはそれまでの日記を出していきます。
2007/4/7「どうしても歌いたくない」
想像してみてください。
あなたは囚人です。
庭に立つあなたに、看守がスコップを渡して言います。
「穴を掘れ」
穴を掘り終えると再び命令されます。
「穴を埋めろ」
その繰り返し……。何度も何度も……。
そのときの心のありようにスポットをあててイメージしてみてください。
意味の無いことを理不尽に強要されるときの心理。
胸のあたりにグログロと渦巻く、この耐え難い感情。
分かりますか? もうじき限界を迎えそうなこの感情。
この穴掘りのエピソードは拷問・懲罰のお話として有名ですが、ADHD/ADDの私たちにとって、日常生活の中にこのような耐え難い状況というのが時々生じます。
ひとによって何が耐え難い状況かは違うので一概には言えないのだけれど、私の場合は家事がそう。特に洗濯物をたたむ作業というのが本当に無理なこと。もともと不器用なので、うまくたためないというのもストレスのひとつなんだけど、たたむ→各自の物に分類する、この分類も大変に苦手。
しかも単調な作業。たたんで5分としないうちに部屋から飛び出して逃げたい衝動に駆られます。
多くのひとは「そんな大げさな」と思うでしょう。
たしかに退屈かもしれないけど、そこまで辛くはないでしょう、と。
でも、私にとっては穴掘りの拷問と同じくらい、狂いそうなくらい限界な作業なんです。
いつも、ちょっとたたんでは仕事に戻り、またたたんで仕事に戻り…と、3,4回に分けて洗濯をたたんでます。「ちょっと頑張ってたたんでしまった方がよっぽど楽なのに」とみんなは思うよね。でも、それは困難なんです。
夫は単調な作業の繰り返しが苦ではないので、一度に洗濯をたためない私を理解できないみたい。
前に逃げ出そうとする私に「あとちょっとなんだからたたんじゃえばいいのに」と悪気もなく言うので、仕方なく限界を過ぎてからも洗濯をたたんでいたら、しばらく立ち直れないほどストレスにやられてしまったのでした。
頭をかかえてうずくまる、というほど。
その日の気分によって、駄目な日、大丈夫な日と微妙にあって、音楽やラジオを聴きながら全部たためる日もあったりもします。
私の場合は単調な作業プラス脳に刺激を与える方法で対処したり、理不尽で無意味で単調な作業はそもそも回避するという手段を持っているから、まだマシなんだけれど、長男の場合は「学校」という特別な環境の中で苦しんでいる様子。
今朝は「学校へは行かない」と言い出して、8時を過ぎても家を出る様子が無い。聞いてみると「音楽があるから嫌だ」とのこと。長男の話を要約するとこんな情景が目に浮かぶ。
音楽の時間。みんなで歌を歌う。ひとりでも歌えなかったらやりなおし。みんなが揃うまでやりなおし。「いまは音楽の時間です。みんなで歌を歌うって決まっているんだからあなたも歌いなさい。ほら、みんなはちゃんとやっているでしょう。どうしてあなたは歌わないの。わがまま言ってないで歌いなさい。ちゃんとやらないと授業が進まないわよ!」そんな風に先生が言うので益々歌うことが困難になっていく。
長男の場合、その行為がなんらかの理に適っていないと、受け入れがたい状況に陥る。「普通やるもんだ」といのが最も駄目な説明。本人なりに納得がいかないと受け入れられない。
(注:日々の大抵のことは困難なくできる。楽しいことや知的好奇心をくすぐるもの、手伝い等でやらなければならないこと等々は大丈夫。今回のように「退屈だけれどねばならないこと」で時々不適応を起こす)
普通は「適当に合わせて歌っておけばやり過ごせるのになぁ」と、考えてしまうんだけれど、長男の場合それはできない。でも自分のせいでお友だちに迷惑がかかっていることも分かるし、かといって歌うことは絶対にできないので八方塞がりになってしまう。
自分なりに努力してみたものの、これ以上は限界、という状況ならば保健室に行かせてもらっても良いのでは、と提案したんだけれど「具合も悪くないのに授業中に保健室には行けない」と、これはこれでこだわってしまって受け入れられない。かといって、音楽のためだけに学校を休ませるのもどうかと。もう少しじっくり本人の意向を確かめたかったので「このままじゃ遅刻だから一度学校に電話しよう」と言うと「それは嫌だ」と何も解決しないまま家を飛び出して行った。
「あの子、ちゃんと登校したかしら……」と若干不安だったけれど、いまのところ連絡も無いので行ったのだろう。
子供のわがままに振り回されてはいけないけれど、一見わがままに見えても穴掘り拷問レベルの苦痛を感じているならば無理をすることは無いと思う。ADHD/ADDの場合、本人が限界まで達したと思った場合「タイムアウト」といって落ち着く場所へ移動させてもらうこともできる(回避)。ここまでできれば良しとする、と達成ラインを下げてもらって苦痛を減らすこともできるだろう(軽減)。
3年生で不適応もほとんど目立たなくなったので、まだ新しい担任と何の話もしていない状態。厳しすぎず甘やかしにもならず、良いバランスで子供を見ていけるうよう注意していきたいと思う。
2007/4/17「診断はレッテル貼りになるのか」
診断はレッテルを貼るために評価するのではなく、能力的な不得手があることに気づき、ほかの子がしていない苦労や努力をしているという事実を一緒に味わい、努力が成果に結びつきやすい方法を考え、手に入れた成果の大きさを一緒に喜ぶためのもの。それが子供を丸ごと受け止めるということ。
2007/4/19「1年中で一番家がきれいな日」
1年中で一番家がきれいな日、は本日です。
理由は家庭訪問だから。
長男・次男とも同じ日なので楽なのですが。
でも危なかったワ。
次男は家庭訪問の日程が書かれた紙を紛失しており、「家庭訪問なんて知らない。無いと思う」とヘラヘラ過ごしていたので、今朝「怪しい」と思い連絡帳に書いて確認したの。
午後、担任の先生から電話があり「すみません。今日お伺いする予定だったのですが…、大丈夫ですか?」とのこと。
あっぶねー!!
長男と同じ日だから良いようなものの、パジャマ姿で仕事している日だったらどうするのよー!
まずは次男リョウ(小2)の担任から。新しい先生は年配の男性。
「すみません、私、今日熱がありまして、学校へも2時間ほど遅れて出勤したんです」
と、開口一番、体調不良を訴えられた。
「そうなんですか…。なんだか、すいません」と変な会話。
次男は授業中まるで集中しておらず、歩き回りはしないものの勉強する気ゼロだそうだ。二人で「どうしましょうね~」の繰り返し。まったくー。
最後は「お大事に」と見送り、しばらくして長男ナオ(小4)の担任。
去年の担任からADDのことがちゃんと引き継がれていたようで、今日の印象ではなかなか良さそうな感じ。
長男を高く評価してくれているし、彼の個性も受け入れてくれているように見える。長男も授業中分からないことがあると、先生に「これって、こういうこと?」と質問したり、いままでではあり得ないほど前向きに取り組んでいるようだ。相性がいいのかなぁ?
今朝、長男に「音楽の件を今日先生に話そうか」と聞いたんだけど「いい。もっとひどくなったら話して」との返事だった。
その経緯も含めて先生に話しておく。「そうでしたか……。毎日色々な面で頑張っているなぁと思っているのですが、そういう苦悩も抱えているんですね。私の方も注意して見ていきます」と言ってもらえた。
長男も次男も課題はあるものの、胃が痛くなるような出来事は起きておらず一安心。私は家庭訪問を含め、学校の先生と話す機会を多く持ちたい方なので、今日は良い1日でした。
毎年、運動会前後から色々と不適応などが目立ちはじめるので、引き続きパイプは太く持ちたいなーと思います!
2007/4/23「ラッパ」
うー。3日間熱で死んでました。
解熱剤も効かず39.3度。朦朧としながらも昨日納品の仕事をする…。
きつかったわー。
今朝は37.5度までさがりだいぶ楽に。
でも今日もなるべくゆっくり寝ていようと思います。
復帰は明日かな。
写真はラッパが吹けるようになったココ。いままで仕組みが分からず吹き口を噛っていたんだけど、今朝偶然音が出てびっくり! それからはプップーと吹けるようになりました。毎日成長してますな。
もうじき1歳だね~。
つづく
次回は「おねしょと平凡な日々」をアップします。
■当時をふりかえって補足 2021.10.9
長男ナオの音楽の授業はその後も辛い状況が続いて、クラスの女の子が言うには「ナオ君はいつも教室の後ろで"マユ"になっています」とのこと。トレーナーですっぽり頭まで隠して、教室の後ろで丸まって授業が終わるまで身体を揺らしながら苦痛に耐えていました。
そこまでして授業受けなくて良いって思うんだ、私は。
あと洗濯物はもうたためるようになったんですよ。
長男・次男が独立し、下のふたりも育ったことで洗濯物の量が減ったからですね。保育園や学童に通っていると洗濯物の量ハンパじゃないので。
あとは「何かしながらならたためる」と攻略法が分かったので、テレビや動画を見ながら手だけ動かしています。1か月くらい前からADHD用のお薬ストラテラを服薬しているので、そのおかげか食器洗いも苦ではなくなりました。