自分だけの才能を見つける
一つ前にstand.fmにアップした音声
『天才性が見つかる 才能の地図』の筆者の
鈴木祐さんのオンライントークショーを視聴した。
このトークショーは視聴者からの質問に
鈴木さんが答えるという形式だった。
(以下、だいたい文字起こしをしたものです。)
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人生は遺伝では決まらない
この本の中で特に書きたかったところというのは
遺伝率の話だったとのこと。
最近だと「人生は遺伝で決まる」というような
センセーショナルなタイトルの本があったりする。
本のタイトルというのは
どうしてもキャッチーになりがちなのだけれど
それを真に受けてしまい
「親がこうだから何をやっても無駄なんだ」と
絶望している人がいるということを気にされていた。
ただ、この遺伝率というのは
調査するグループによって数値が大きく変わってしまうので
一概に遺伝だけで決まってしまうわけではないとのこと。
本書の中でも触れられていたがチェスやスポーツなど
ルールが決まっているものというのは
遺伝に左右されやすいが、
現実社会のようにルールがあるようでないような世界の場合
遺伝による差というのは小さくなっていくものだそう。
このように成功にどのような要素が関係しているのかというのは
目下研究途中のものでわからないことが多いとのこと。
そのため努力で全て何とかなるというわけでもなく
遺伝で全てが決まってしまうというわけでないそうだ。
遺伝より環境…でも
また、遺伝よりも環境の方が大事ということも本書の中で触れられていた。
ただ環境というと
「結局、要は生まれなんじゃないか」とどうしても感じてしまう。
なぜなら逃れようのないものによって環境が作られてしまうから。
例えば日本人に生まれること
田舎と都会どちらで生まれるかということ
親の経済力や教育熱心さ、
子供の頃からいろいろな経験をさせようとしているかどうか
などによっても変わってしまう。
良い友人や先生との出会いがあるかないかというのも
自分ではなかなか決められない。
以前、お笑いコンビEXITの兼近さんが
テレビの中で話されていたインタビューを聞いたことがあるのだけれど
兼近さんが悪い友人とつるんでいた頃は、
仲間うちの常識に染まってしまうので
自分の考え方に疑問すら抱かないかったとのこと。
その番組は教育の平等についての話をしていたのだけれど、
兼近さんは、当時の自分を思い返して
「勉強の機会をあげると言われても、
その時の自分はありがたいとは思わなかっただろう。
それよりむしろお金をくれよって思っただろう。」
と話されていた。
ただ、持って生まれたものは変えることはできないけれども
その物事をどう捉えるかというところで
変わってくるのではないかと思う。
という有名な言葉がある。
(これはマザーテレサの言葉と言われているが
ブッダやガンジーの言葉であるという説もある)
この言葉の通り、自分が与えられたものというのは
変えることはできないけれども、
そのことについてどう考えるかということを
後から自分で作り上げることでその環境というのを
変えていくことができるのではないかと思う。
子供の才能を見つけ伸ばすには
トークショーの中で、小学校の先生からの質問があった。
生徒の中で
「自分は何をやってもダメだ」とか
「自分には才能がない」と言う子どもが多く
どうしたらよいでしょうかという質問だった。
最近の小学生だとこんなふうに考えてしまうんだなと思って
ちょっと悲しいなというか、
小さいお子さんだったら素直に何にでも憧れて
何にでもなれるんだって思ってて欲しいなと思うが、
自分自身はどうかと考えると、
自分も同じように考えてしまうなと考えてしまって、
なかなか確かにどんなふうに言葉をかけてあげたらいいのか
迷うところだなと思う。
鈴木さんの答えは、
こういうお子さんの場合、
小さな勝利の経験が少ないんじゃないか、とのことだった。
勝利といっても何か素晴らしい賞を取る必要はなくて
例えば計算が上手な子だったら
算数をどんどんやらせてみる、
ちょっと難しい問題にトライさせてみる、
というふうに各子どもごとに
小さな達成感を積み上げていってあげる
というようにしていたらどうかと話されていた。
その子の興味のあることを見極め
その少し上にトライしてもらって
できたらすごく褒めるということをお勧めされていた。
これは子ども自身でやることはちょっと難しいので
周りの大人がやってあげる必要があるし、
適切な難易度設定というのがとても難しいので、
企業において部下を育てることについても通じるとのことで、
マネジメントについて勉強してみたらどうだろうとも話されていた。
今の学校制度だと、
全員に成功体験が約束されているわけではないので
子どもの才能を伸ばすというところは
個々に見極めながらやっていく必要があるのだな
というふうに感じた。
自己肯定感の低い人が才能を伸ばす
「自己肯定感が低い自分が才能を伸ばすにはどうしたらよいのか」
という質問もあった。
これについても同様に小さな成功を積み重ねる必要があるとのことだった。なぜなら自信というのは
自分が何をやったかでしか育てることができないからだそう。
ドラクエの例だと、
毎日毎日スライムを倒し続けるだけだと
なかなか自己肯定感というのは育たないけれども
自分がこれならできるという10%上を設定して、
スライムを倒せるようになったのなら次はドラキーを倒してみよう、
ドラキーを倒せるようになったなら次はキメラを倒してみよう
というふうに自分で設定して
自分でクリアしていく
自分で変えられるものを変えていく
というふうにやっていってはどうかというふうに話されていた。
これならできるの10%上というのは
主観的なもので良くて
昨日の自分よりも今日の自分を成長させようとすることだと理解した。
試行錯誤を繰り返す
それから才能を見つけるとか
自分の才能を磨いていくということにおいて
試行錯誤を繰り返すということが必要なのだなということを感じた。
インタビューの中で鈴木さんがご自身の仕事に対して
「まだしっくりしていない、しっくりくることはまずないだろう」
というふうにおっしゃっていたところが印象的だった、
しっくりこないからこそ頑張っているんじゃないかなと話されていて、
また仕事が好きになるかどうかはやってみるしかわからないということで
能力が活かせるようになったら楽しくなってくるんじゃないかな
と話されていた。
自分ではなかなか気づけないもの
ここからは私の意見だけれど
才能というのは自分ではなかなか分からなくて
人から見てもらって初めて分かるというものが多いのではないかと思う。
自分が憧れているような種類の才能を持っているわけじゃなかったりすると
才能はあるかというふうに問いかけられた時に
「無い」とどうしても答えたくなる。
あるいは自分の才能というのに気づいていたとしても
その才能が好きになれない、なんだか地味に感じるということも
あるのではないかと思う。
このことについてアーティストの「羊毛とおはな」さんの
エピソードを思い出した。
ボーカルのおはなさんというのは
本当に心に染みるような、隣で歌ってくれているかのような
素敵な声をされてるのだけれど、
もともとジャズを志望されていて
なんと「自分の声が大嫌いだった」とインタビューで話されていた。
そのため自分の声を潰すために
ウイスキーでうがいをしていたとのこと。
おはなさんのライブを聞きに来ていた羊毛さんが
「その声がいいんだ」と説得して
音楽ユニットを組むことになったとのこと。
このおはなさん、若くして病気で亡くなってしまわれ
本当に悲しく残念なのだけれど、
今でも彼女の声を音楽を通して聴くことができる。
おはなさんの声というのは本当に素晴らしくて
この才能や魅力を気づかないとか
見落とすとか否定したくなるっていうのは
本当に傍から見るとすごく不思議な気がする。
けれども、才能というのは
自分ではなかなか分からない
受け入れられないということの一つの例なのかなというふうに感じる。
自分には何もないんだとか
こんなの大したことないし魅力でもなんでもないと感じることであっても
人から見たらそれがいいんだと思えるものもあるのかもしれない。
自分が持っている能力を使い方を変えてみたり
いろんな人の目に触れるようにしてみることで
新しい発見があるのではないかなと感じた。
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