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着たい服と、生きたい人生

『ずっとやりたかったことをやりなさい』の
表紙がイラストの装丁があることを
今日、本屋さんで初めて見かけて知った。

絵が素敵で、すでに持っているのに
ついもう一冊買いたくなってしまった。
モーニングページ
止まってしまっているのでまた再開したい。

しばらく部屋を掃除しなかったら
いつのまにかホコリがたまっていくみたいに
いつのまにか心が凝り固まって
いつのまにか世の中の枠にはまって
疲れて自分には何もできないような気分になってしまうから。

街で見かける妊娠中の女性や子供連れの女性が
明らかに自分よりも年齢が若いと感じることが増えた。

だいぶいろいろな固定観念を外してきているつもりだけれど
「もう、私は"ママ"になれる年齢じゃなくなってきているのでは?」
と感じたときに、どうしても心がざわついてしまう。

このときの感覚について、人に話を聞いてもらう機会があり
やはりまだ、大多数(といっても自分の主観なのだけれど)の
スタンダードから外れてしまうことへの恐怖があるように思った。

ショッピングセンターで
「入学式コーデ」と称して
ショーウィンドウに飾られているコーディネートが
「あ、デザイン若いな。私、たぶんこんなの着れない」と
がっくりした感覚について話たときに、相手の人から
「その入学式コーデを着たいの?」と聞かれて、はっとした。

ちょうどいい年齢で結婚し
ちょうどいい年齢で妊娠、出産、子育てをし
ちょうどいい年齢で家のローンを組む人生のイメージと
「入学式コーデ」を重ねてしまっていたのだな、と。

「いや、そのコーディネート自体は興味ないな」と答えて
「じゃあ、何を着たいの?」と聞かれたことにもはっとした。

会社員として無難で、洗濯が面倒じゃなくて
人から「いつも同じ服を着ている」と思われなければいい
という基準で選ぶのでつい「ユニクロの女」になってしまっているから。

もちろん世の中にはこだわってユニクロを着ている方もいるけれど
私にとっては「入学式コーデ」も「ユニクロの女」も
大多数の枠から外れないという点において同じなのかもしれない。

「大多数」という
顔もなく、会ったこともない人のことが
どうしてこんなに気になって怖いと感じるんだろう。

「この服を着ている自分にわくわくする」という理由だけで
ちょっと人からどう思われるか心配になったり
ちょっと洗濯や保管が面倒くさかったり
「ちゃんと見えコーデ」に沿っているかわからない服を
着てみたくなった。

カバー写真:UnsplashYuliia Barabashが撮影した写真

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