ジガルタンダ・ダブルX 最初に見た頃の叫び
英語字幕の初見時
心の叫び
頭が痺れる程面白かった! まだ2月なのに今年の最高傑作見ちゃった気分。なんだこれ、凄すぎる。普通の映画7~8本分見た感じ。英語字幕、上段しか読めない事も多かったけど、映像の圧倒的なパワーと展開の上手さで最後には話がちゃんと全部つながって戦慄のクライマックス
#ジガルタンダ 的展開を前半部分でやり終えて、そこからが真骨頂。これストーリーだけじゃなくて、動物相手のアクションシーンがまた凄いのよ。普通それだけで一本撮るぞ?(SISUとか、そんな感じ)それを10分とか15分の見せ場だけに使うという贅沢さ。いや、すごいのよ。
エピソードの一つ一つは割と元になったハリウッド映画とかあると思うのよ。クリント・イーストウッド主演作だけじゃなくて。でもそれをこういう形でまとめあげて政治批判までやってのけ、でも最後には観客を納得させ、その上次作まで期待させて終わるんだから監督只者じゃない。
主役のアリウス(アーリヤン)・シーザー(日本語字幕と表記違うかもしれないけど許して)役の ラーガヴァ・ローレンスさん、劇中はクリント・イーストウッドによく似てるなと思ってたけど、御本人の写真見たら全然そんなことなかった。あれはメイクなのか~。すごいな~。
主演のラーガヴァ・ローレンスさん、元々振り付け師だったそうな。なんか、納得。劇中すっごいダンスをSJスーリヤさんと踊るシーンがあるのよ。その、プロポーションがダンサーのそれではないのだけど、踊れる人なんだなって思ったから。俳優も監督もする多彩な方みたい。
"A.K.A" "AKA" は "Also Known As"の略で、「別名」「またの名を」という意味。この言葉ひとつで、「ある人間に別人の罪もおっかぶせてしまえ」 という意志を伝えさせる脚本が本当に秀逸。
あと絶対見ておいた方がいいクリント・イーストウッド主演作は言うまでもなく『荒野の用心棒』ね。シーンがあったかどうかは分からないけれど、少なくとも曲は使われていた。実際、ダブルXはそのオマージュでもある。
#ジガルタンダ・ダブルX 日本語字幕で見るのが待ちきれない! ちなみにこの映画の冒頭にクリント・イーストウッドの名前が出るんだけど、あれ謝辞だったんだな。 だって作品内で使われてる映像、あれ全部本当にクリント・イーストウッドの映画だもん。それで監督、スピルバーグも好きだと思う。
似たハリウッド作品を挙げろと言われたら『フェイブルマンズ』ですね、「自伝」部分を一切カットしてね。いずれ一本の映画になるであろうシーンが細切れでたくさん出てきて、そのどれもが面白いから。それで劇中劇を作ってる、という触れ込みの主人公のキャラが最高だしね。
*フェイブルマンズは忘れても、ダブルXは絶対忘れられない作品。
ちょっと冷静になったところ
#ジガルタンダ・ダブルX #ジガルタンダ #女神たちよ といった作品ではスッバラージ監督、キャラクターとしての監督達に自分を反映させて自虐的に描いていたんだけど、本作ではもうそういう業界ネタはスッパリ捨てて映画持つチカラにのみ焦点を当てていたと思う。映画で世界を変える事すらできるのだと。
それが本当だったらどんなにいいだろうと、監督本人が思っているのだろう。映像のもつパワーは確かに凄いけれど、”映画” は上映されなければ人目に触れる事もない。政治力で握りつぶされ、闇に葬られる事もある。そもそも取材さえできない地域も世界中にある。例え上映や放送されても黙殺される場合も。
おまけ
『炎』は1975年の作品で、主人公の二人の服装を見るとまさに70年代って感じなんだけど、映画の雰囲気はマカロニウェスタン。実際に『荒野の用心棒』が元になっているそう。 #ジガルタンダ・ダブルX ではすでに古い作品としてクリント・イーストウッド映画が上映されていたけど、人気あったんだな。
#ジガルタンダ・ダブルX ご鑑賞予定の皆様、幸か不幸か作中言及されるクリント・イーストウッドの名作3本が3月22日より新ピカ等で上映されます。少なくとも『荒野の用心棒』は見ておいたほうが良いです。できれば『続夕陽のガンマン』も。時間が許せば、ですが……
日本語字幕で見た時
予習
本日こちらで #ジガルタンダダブルX の予習と言うか復習というか。あれやっぱり最後の決闘シーンは #荒野の用心棒 でいいのかな? このポンチョに見覚えある気がする。
#ジガルタンダダブルX 劇中で使われていクリント・イーストウッド作品は #夕陽のガンマン でした! リー・バン・クリーフ、こっちにもでてたのね。
シーザー、クリント・イーストウッドよりこの映画のジャン・マリア・ボロンテによく似てるんだが……? それで私が覚えていたシーンはこの映画のものだった事が判明。ダブルX前に #続・夕陽のガンマン も見ておくべきかしら???
*結局3本全部見た。
日本語字幕で一回目 (『ならず者タミル/Pokkiri』2回目 と同日観賞)
#ジガルタンダ・ダブルX この作品で描かれていることは、今まさに地球上のどこかで行われていること。 映画の、映像の、報道のチカラはまだ有効なのだろうか?
午前1:55 · 2024年4月2日
日本語字幕で二回目(『ジガルタンダ』3回目『刃物と水道管/Kaththi』3回目と同日観賞)
#ジガルタンダ #ジガルタンダ・ダブルX 続けて見ると底辺に流れるテーマは同じという事がよく分かる。それは映画によって人生を狂わされた者の物語。撮る側も撮られる側も見る側も、さらには社会全体も。そしてそれができるのは、映画が芸術であり、芸術は不滅であるという監督のメッセージも。
それ=「芸術は不滅である」が監督の信念であるかどうかは知らない。でも、少なくとも作品にそのメッセージを込める必要を感じていたということは分かる。その切迫した気持ちが現状のインドの政治状況に起因することも。少なくともまだ、監督がこの映画を撮れる状況だったことは、喜ぶべきなのだろう。
#刃物と水道管 #ジガルタンダ・ダブルX 同じ日に見ると結構テーマが近いんだな、と思えて。カティルとシーザー(アリヤン)にも共通点があるように感じてしまう。故郷を捨てて都市に出て、法を無視して好きに生きてたはずなのに、自分の魂の在処を見つけてしまったらそこに殉じてしまうというね……。
午前0:13 · 2024年4月3日
アクスタが発売されました
#ジガルタンダ・ダブルX アクスタ、二人とも同じ向きだから向かい合わせる事ができないのね。あの二人が一人は銃で、一人は8ミリカメラで、互いに引き金に指をかけて shoot しようと真っ向から睨みあってるのがかっこいいのにさ。銃口を真っ正面から向けられて一歩もひかないレイsir の胆力よ!
『投石機』を見た後に
#ジガルタンダ・ダブルX 実はお宝様ことヴィジャイ・セードゥパティさんの #投石機 にも呼応するものがあった。映像が真実を伝え、人の心を動かすという部分で。今はその気になれば幾らでもフェイクが作れるけど、スマホ等でのライブ配信だけは誤魔化しがきかない。一周回って条件が同じになった感じ。
#ジガルタンダ・ダブルX と #投石機 の間には、ハリウッド空前のSF映画ブームがあって、’87年の『バトルランナー』には撮影した人物の顔だけを別人に描き変えるという技術が出てくる。これ現在ではほぼ実現してるはず。だからライブ、生放送でない限りそれが本物かどうか分からないのね。'75年との違い。
1975年が舞台というのがわりとミソなんですよね。撮影はフィルムでカメラは重い。レイsir達が使っている8ミリカメラは手持ちで撮れるのが売りだったはず。フィルムは現像しなければならず、ネガからポジを焼く。そこにフェイクが入る余地はない。撮ったものは全て本物。真実。
あるキャラが背負っていた重荷を全部おろすシーンがある。鬱蒼とした森から開けた草原へまろび出て、幾重にもまきついているストラップを一つ外しては荷物を投げ捨てるのを繰り返す。完全に身軽になるまで。でもその時が来ても彼は空を見上げない。下を向いたまま涙をこぼすのだ。
普通人は重荷を捨てたらのびをする。そして空を仰ぎ見る。開放感を味わうために。それをしないのは、捨てたと思っている重荷がまだ心にのしかかっているから。それを捨てれば楽になるはずだったものが、実はそうではなかったから。その時人は己の心に直面し、そして涙を流す
#ジガルタンダ・ダブルX が人の心を打つのは、長い旅路の果てに初めて自分自身と向き合うことができた人間を描いているからだ。内省こそが真に人を成長させると。そうやって過去の自分を捨てることで未来へ向かって歩めるのだと。その監督のメッセージを演技で全て表現した俳優が、観客の心を奪うのだ
#刃物と水道管 #ジガルタンダ・ダブルX 同じ日に見ると結構テーマが近いんだな、と思えて。カティルとシーザー(アリヤン)にも共通点があるように感じてしまう。故郷を捨てて都市に出て、法を無視して好きに生きてたはずなのに、自分の魂の在処を見つけてしまったらそこに殉じてしまうというね……。
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