『マダム・ウェブ』はおもしろいのよ
#マダム・ウェブ 面白かったです。私は好きです。たぶん子どもを真剣に育てたことのある人なら誰でも好きなんじゃないか。これはね、育児に必要なのは愛よりも責任感だとうたってる。母性はあまり関係ない。一旦面倒を見ると決めたら最後まで貫く決意の問題だからね。
#マダム・ウェブ この映画に低評価をつける人はたぶんアクションシーンが物足りなかったんじゃないかな? 何故ならこの作品で描かれているのは「戦い」じゃないから。肉弾戦はしない。その代わり徹底的に「危機回避」をする。逃げるのではない。避けて、よけて、近寄らない。それでもアクションになる。
それは割と端的に男女の違いを示していると思う。男は「身にかかる火の粉は振り払わねばなるぬ」等というように、まず自分の身に何か起こってから、それに対処する。アクションヒーローならそれが当然にように戦いになる。彼らが「守る」と言う時、それはすでに攻撃が始まっているのが前提なんだよね。
でも女は違う。女は(男に)攻撃を受けてからでは身を守れないから。筋力の差が歴然としているのを子どもの頃から知っている。だから攻撃が始まる前に回避する術を身につける。危険を事前に察知して、未然に防ぐべく努力する。これを能力として最大限に生かしたのが『マダム・ウェブ』のアクション。
昨今の「女子トイレにトランス女性(染色体はXY)を入れるかどうか」問題で、女性がどれだけ危険性を訴えてもそれを「単なる可能性の問題」としてしか男性がとらえられないでいるのを見るにつけ、「危機回避」の概念が全く違っている事を如実に感じてましたからね。なかなかタイムリーな映画だった。
『マダム・ウェブ』にも男性キャラはいて、彼も危機回避のために行動するのだけど、それが「将来的に自分に危険を及ぼす可能性のある人物の排除」なので、なんていうかとらえ方が全然違うなあと。それ、子どもが風呂で溺れるのが心配なら家から浴槽そのものをとっぱらっちまえ、みたいな考え方だよね。
子どもを育てたことがある人はお分かりでしょうが、子どもの家での死亡事故で多いのが浴槽での溺死じゃないですか。だからって浴槽を家からなくす日本人は多分いない。何故なら、注意すれば、その事故は防げるから。 そのためには日々神経をすり減らして注意深く、慎重にならなきゃいけませんけどね。
その大変な作業を引き受けるのが子育てにおける責任ってもんですよ。でもその大変さが大抵の男には分からない。何故なら、まだ何も起こってないから。起こってからだと遅いんだっちゅーの! 事故が起こったら子どもは怪我するか、最悪死ぬのに。それを防ぐためにこっちは必死だってのが分からないのね。
『マダム・ウェブ』の評価の落差はその辺に起因するんだと思いましたね。外敵による脅威に正面から対抗するか、内部にある危険性を察知してそれを未然に防ぐかの違いですが、割と歴史的にそれが男女の役割分担とされてきた部分も多いので。う~ん、すっごく時代に沿った作品なんだな、これ。
それにしてもハリウッド、登場人物にいわゆるマイノリティーが多すぎる。そんなに普通にごろごろ居たらすでにマイノリティーじゃなかろう、みたいな。多様性に配慮するあまりの不自然さが鼻につくこともあるので……『マダム・ウェブ』のお嬢ちゃん達もそうだよね。で、彼女達の個性はそこで終わっちゃってる感じもして、そこはちょっと惜しかった。
ところで『マダム・ウェブ』に類した映画ではニコラス・ケイジの『NEXT -ネクスト-』があるので、新鮮味に欠けるという意見も分かります。
『ネクスト』がどうだったかは忘れたけれど、かつては世界の破滅を救ってハッピーエンドが主流だったのに、最近のSF映画、特にアメコミ原作もので時間を行き来(見る・知るだけでも)する作品は最終的には多元宇宙ものにゆきついちゃうのが多いから、そういう点でも「またかよ」にはなると思う。
そのせいか去年の『フラッシュ』なんか高評価を得たにも関わらず興行成績は低調でとても残念だった。もう実写では無理なのかも。それで早々にアニメ化して斬新で凄い作品を世に出したのが『スパイダーマン』だったからね。『マダム・ウェブ』は当然それを上回るべきと思われていたのかもしれない。ある意味、とっても新しいんですが。何故なら、繰り返すけれど、母性から愛も本能もとっぱらって、子どもを育て上げるのに必要なのは「責任感」だと女が訴えたからさ。母親でも父親でも里親でも、子どもを育てるからにはしっかり責任を持てよ、と。これまで当たり前過ぎて誰もわざわざ言わなかった事を、今はこうして映画で訴えるような世の中になってしまったのね。