『エイリアン・ロムルス』

シリーズ通してのファンが作った最高の二次創作だと思う。今後こういうタイプの続編が増えるんだろうな。別に問題はないんだけど私の口調がシニカルなのは、そこに監督や脚本家自身が訴えたいものが見当たらなかったから。吹替一度しか見てないから見落としてる可能性もあるけど。

オリジナリティーがないわけではない。物語部分のテーマにあたる合成人間と人間の関係性とか。でもこれは上辺に過ぎないと思う。深みがないから。監督の本当に撮りたい部分はむしろエイリアンの造型の方で表現されていて、それは言葉で語るのははばかられるのよね、気色悪くて。

登場人物が美少女&美少年そして当然声優は美声揃い。これには理由があって、住民が奴隷同然の生活を強いらる植民惑星が舞台なので他に美しさを発揮させられる物がないから。彼らが自分達だけで脱出しようと企む設定は黄金期SFに似せているが、そこに希望がないのが決定的に違う点。

なんだろう、この全編に漂う圧倒的な希望の無さは。
絶望してるのとは違う、ただ希望がないだけ。
まさに現代の感覚だと言われればその通りに違いない。 でも彼らが襲われ死んでいく時(エイリアンだからね)本能として生存にしがみついてるだけでさ、彼らが抱いていた将来への展望とか期待とかが泡と消えるという悲しみが全然ないわけだよ。

彼らは少しはマシな生活ができるように今の星を脱出しようとしてるのに、そこに着いたらどうしたいという夢を全然語らないのだ。とりあえず脱出、その後はそれからという事かもしれない。辿り着けるかどうかも分からない場所について未来図を描いたりしない、と。 なんか夢も希望も無さすぎない?

これは恐らく敢えてそうしたとは思うのね。ほらよくある「あっちについたら俺、結婚するんだ~♪」とか言わせておいて、そいつから殺すというパターンを排除するために。ホラー映画における死の順番あてを観客ができないようにして、より恐怖を増すために。それは割と効果的だったと思う。恐かったし。

でもたぶん、この作品、人類対エイリアンの生殖をかけた本能の戦いなんで、遺伝子レベル以上のことは必要なかったんだろうな。この映画ではエイリアンの目的、完全に「生殖」なので。それも環境に適した次世代を産むこと。そこにちゃっかりアンドロイドも便乗して、人類を生産の資源にしてやがる。

個を排除され、遺伝子と子宮の提供素材としてしか、奴隷化された人間の未来はない。 てなことを描いているわけですよ、SFとしてのこの作品は。 でね、恐ろしいのはここからで、そこから利益を得ている人間達は、この映画の中では全く姿を現さないのさ。本当の敵は隠されてしまっているの。実に現代的

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午後3:31 · 2024年9月12日


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