中つ国の歴史(第1.4版)

(本稿は、洋泉社の『映画秘宝』2013年2月号、『中つ国サーガ読本』などに寄稿した同名記事に一部、手を加えたものです。なお、2022年9月の『ロード・オブ・ザ・リング:力の指輪』放送開始を受けて、2020年版『指輪物語』に合わせた表記に更新中です(現在進行系))

太古の地球の物語

 中つ国(ミドルアース)──。
 それは、J・R・R・トールキーン教授が半生を費やして著した、物語群の背景世界の名称だ。「中つ国」はまた、洋の東西を問わず、世界の中心にある人間の領域を意味する古い呼称でもある。北欧では、世界樹ユグドラシルを取り囲む人間の世界を、古ノルド語で「中央の囲い」を意味するミズガルズと呼び、本邦もまた古代において、豐葦原中國(とよあしはらのなかつくに)という美名で呼ばれていた。
 神話・伝承の大家であるトールキーンの筆から生まれた中つ国が、巷間よく言われるような純然たる異世界ではなく、我々が生きる世界と時間的な繋がりを持つ太古の時代なのだと聞けば、意外に思われる方もいるかもしれない。
 少なくともある時期におけるトールキーンの構想では、『指輪物語』と『ホビットの冒険』に描かれるのは、20世紀中頃から6千~8千年ほど前、「太陽の時代」と呼ばれる時代の第三紀末期の出来事だった。中つ国は現在のユーラシア大陸とアフリカ大陸のあたりで、我々の知る「有史」の時代は第五紀ないしは第六紀にあたるということだ。中つ国の地理と歴史を構築するにあたり、トールキーンはキリスト教以前の英国の神話の創造(彼はこの試みを、神の創造に準ずる「準創造」と呼んだ)という考えを持っていたのである。
 以後、本稿ではJ・R・R・トールキーンの役割を「著者」ではなく「翻訳者・編纂者」とするメタ視点に立って、中つ国の歴史を解説していこう。

『ホビット』の「原作」

 中つ国にまつわる物語は、20世紀英国の文献学者J・R・R・トールキーンが、『西境の赤表紙本』と呼ばれる古い文書群の一部を、中つ国西部の共通語であった西方語(ウェストロン)から現代英語に翻訳・編集したものである。
 赤表紙本の最初の一冊は、「一つの指輪」と呼ばれる魔法の指輪に関わったホビット族の男性、ビルボ・バギンズとその養子フロド・バギンズが、自ら体験した冒険について書き綴った記録である。その後、赤表紙本にはビルボやフロド、彼らからこれを受け継いだサムワイズ・ギャムジーらのホビットたちが更に数多くの文書や記録を付け加え、全三冊の大著となった。
 なお、この赤表紙本の写本の中には、ビルボがエルフ語から翻訳した三冊の書物が追加された版もある。この三冊は、神々による地球創造が語られる『アイヌリンダレ』『ヴァラクウェンタ』と、第一紀、第二紀の歴史書である『クウェンタ・シルマリルリオン』『アカルラベース』などをまとめたもので、やはりトールキーン教授と、その遺著の整理に携わった三男クリストファ・トールキーンによって、『シルマリルの物語』として編纂・英訳されている。
 そして──小説『ホビットの冒険』は、赤表紙本の一冊目、「ホビット、あるいは往きて帰りし物語」と題されたビルボの日誌を元に、再構成された物語なのである。

アルダ(地球)の創造

『アイヌリンダレ』によれば、アルダ(地球)の創造は以下の如くである。
 まずはじめに、歌があった。
 宇宙は虚空で満たされ、エル、あるいは「万能の父」イルーヴァタールとエルフから呼ばれる唯一神がそこにいた。
 イルーヴァタールは最初に、自らの御使いである「聖なる者たち」アイヌアを創造した。ある時、イルーヴァタールは全てのアイヌアを招集し、三つの主題を彼らに与え、大いなる音楽と呼ぶ合唱を歌わせた。
 アイヌアは知らなかったのだが、実はこの歌こそが、アルダ(地球)を存在せしめたのである。しかしこの時、メルコール、すなわち「力にて立つ者」という名前の最も強力なアイヌアが、自分自身の考えをイルーヴァタールの主題に盛り込むという欲望を抱いたことにより、大いなる歌は唯一神の考えからはずれてしまう。
 このメルコールこそ、後にエルフたちからモルゴスの名で忌み嫌われる世界の敵、冥王(ダーク・ロード)その人である。
 アルダに魅了され、この地に赴いたアイヌアの中でも特に優れた力を持つ、メルコールを含む15柱の者たちはヴァラール(単数形はヴァラ、7柱の女性はヴァリエア)と、いささか力の劣る者たちはマイアール(単数形はマイア)と呼ばれる。
 メルコールの弟にあたる長上王マンウェを盟主にいただいた彼らは、アルダの中心にある大陸、中つ国のアルマレンに王国を築いた。そして彼らは、やがて生まれるエルフと人間のために空と大地、海を整え、さまざまな生物を創造したのだった。
 しかし、理想世界の創造というヴァラールの試みは、アルダの支配者の座を欲し、一部のマイアールを味方に引き入れたメルコールの妨害を受けた。ついには神々の間で最初の戦争が勃発するも、敗北したメルコールが虚空に逃れたことにより、アルダにはいったん平和が訪れた。
 太陽や月はもちろん、星々もなかったこの時代、アルダは技術に長けたアウレというヴァラが造った二つの灯火に照らされていた。よって、この時代は「灯火の時代」と呼ばれる。この平和な時代の最中、メルコールは北方にウトゥムノという要塞を造り、配下のマイアを呼びよせた。特に強力な者たちは、悪鬼バルログに身を堕とした。
 そして、彼の腹心となったのが後世、サウロンの名で知られ(シンダーリン名はゴルサウア)、「冥王」の称号を引き継ぐことになる狡猾なマイアだった。なお、マイア時代のサウロンの名は、エルフ語研究団体 ELF(Elvish Linguistic Fellowship)の発行する『パルマエルダランベロン』第17号の記述によれば、マイロンだということである。
 力を蓄えたメルコールは、アルダの北方を侵して動植物を汚染し、アルマレンを奇襲して二本の灯火を破壊した。これにより、中つ国は天変地異に襲われ、メルコールはまんまとウトゥムノに帰還する。
 更なる破壊を恐れた神々は中つ国から去り、西方の大陸アマンにヴァリノールの都を造営、そこに移り住んだのだった。

エルフの目覚め

 アマンの地は、テルペリオンとラウレリンという二本の木に照らされていた。「二本の木の時代」の到来である。
 この光は中つ国には届かず、闇に閉ざされた彼の地ではメルコールが蠢動を続け、ワーグや大蜘蛛を地上に放った。北西部には、アングバンドの要塞が築かれた。
 しかし、ヴァラールは決して中つ国を見捨てたわけではなかった。大気と風を司るマンウェもまた大鷲の種族を創造し、自らの使いとして中つ国を守護させた。アウレの妻ヤヴァンナは中つ国を訪れて植物を育み、木々の牧者となすべく巨人種族のエントを創造した。(なお、エント自身の伝承によれば、彼らはエルフ、人間に次いで三番目に地上に現れた種族であるという)
 無人の大地を惜しんだアウレが、ひそかにエルフや人間よりも小柄の種族を創造したのもこの頃である。これがドワーフの誕生であり、ヴァラールの権能を超えた試みとしてイルーヴァタールの咎めるところとなった。しかし、許しを講うアウレがドワーフたちを打ち殺そうとした時、恐怖に身を竦ませるドワーフたちの姿に哀れを及ぼしたイルーヴァタールは、最初の種族たるべきエルフが地上に現れるまで眠らせておくという条件で、これを追認する。
 中つ国で1万年の「暗黒の時代」が過ぎ去った頃、マンウェの妻であり天空を司るヴァルダが星々を輝かせ、中つ国の大地に再び光が届いた。そしてこの時、中つ国の北東にあるクイヴィエーネンという湖のほとりで、アルダが造られた時から眠っていたエルフたちが目覚めた。
 中つ国におけるエルフの時代、1万年に渡って続く「星々の時代」の到来である。
 そして、エルフの目覚めに喜んだヴァラールは彼らの前に姿を現し、様々な知識や技術を与えた。エルフに続いて、眠っていたドワーフの7人の父祖たちも目覚めていた。この内、長鬚族の祖となったドゥリンは、霧ふり山脈にカザド=ドゥーム──後のモリアに拠点を構えた。なお、トールキーンの遺稿を編纂した『中つ国の民』と題する資料によれば、この時、長髭族が目覚めたのはグンダバド──灰色山脈と霧ふり山脈がぶつかり合うところに聳える山であり、その名前はドワーフたちの用いる言語、「クズドゥル」に由来するのだという。
 エルフたちは、アルダにおいて決して死なない運命にあり、病や拷問、嘆きによって命を失うことがあっても、その魂はヴァラールの一人、ナーモ──中つ国ではマンドスの名で知られる、霊魂を司るヴァラールの館に赴き、そこで憩うことができた。
 なお、中つ国の第一紀、エルフの都のひとつゴンドリンにグロルフィンデルという名の将がいた。彼は、ゴンドリンから落ち延びる最中にバルログ(後述)と戦って命を落とし、亡骸はキリス・ソロナスの塚に葬られた。しかし、第三紀の末期、裂け谷に滞在した上のエルフの中に、グロルフィンデルという者がいた。トールキーンの遺した文書にはこの両者が同一人物で、マンドスの館から出て新たな肉体を獲得した後、魔法使いたち──イスタリと共に中つ国に戻ったことを示す記述がある。
 さて、エルフの美しい姿と神々から受けた恩寵に嫉妬心を呼びさまされたメルコールは、エルフに対する虐待を始めた。美しいものを創造する力を喪い、既にあるものを歪めることしかできなかったメルコールは、エルフやエントに拷問を加え、醜い怪物に造り変えた。オークとトロールはこうして生まれたのである。なお、『ホビットの冒険』に登場する「ゴブリン」は、古文書に記されたオークという語をトールキーンが英訳する際に、英国の民間伝承に登場する妖精の名前をあてたものである。
 かかる暴虐の数々は、ヴァラールの軍勢を中つ国へと招き寄せることとなった。
「力の戦い」と呼ばるこの戦争でウトゥムノは破壊され、メルコールはアマンの砦に幽閉の身となり、マンドスの監視下で3千年間、鎖に繋がれることとなった。
 ヴァラールはエルフたちへの労いとしてヴァンヤール、ノルドール、テレリという三部族の使節をアマンへと招き、彼らの部族を西方の地へと移住させることにした。
 アマンに移り住んだ部族は以後、エルダール(星の民)、光のエルフ(カラクウェンディ)、あるいは上のエルフと呼ばれるようになった。そして、アマン行きを拒んだアヴァリあるいは暗闇のエルフと呼ばれる者たちとは、長い年月の中で言葉も風俗も違って行くことになる。
 なお、三使節の一人としてアマンにて二つの木の光を目にしたテレリ族の族長エルウェ──後の上級王シンゴル──は、出発の直前に中つ国を訪れていたマイアの女性メリアンと出会い、互いに魅入られて消息を絶ってしまった。やがて、族長を探して中つ国に残っていた一部のテレリ族の前に現れたエルウェはメリアンを娶り、北西のベレリアンドにドリアス王国を建設する。
 アマンを目指して旅立ったものの、結局、中つ国に残留したエルフたちはウーマンヤール(アマンに属さぬもの)と呼ばれる。中でも、エルウェを王にいただいたドリアス王国のエルフ(主にテレリ氏族)たちは、アマンの光を目にしなかったことで暗闇のエルフ(モリクウェンディ)と呼ばれるグループに属しつつも、エルウェやマイアであるメリアンの教導を受けたことなどから、肉体的にも精神的にも優れていた。王家に連なる者にメリアンの血が流れていたことも、彼らの繁栄を後押ししたのである。
 彼らはシンダール(灰色エルフ)と呼ばれ、彼らが用いる言語はやがてアマンに渡った同族の言語(クウェンヤ)とは異なるものになった。中つ国において通常、「エルフ語」という場合は、シンダール語(シンダリン)のことを指す。
 その後、メルコールの副将であるサウロンをはじめ、闇の勢力がアングバンドに未だ残留していたものの、メルコールが幽閉されている間、中つ国では比較的平和な時代が続いたのだった。

シルマリルを巡る争い

 アマンに到着したエルダールはヴァラールやマイアールから多くのことを学んだのみならず、二本の木を見たことで神々に似た力をその身に宿した。
 そうして3千年の時が過ぎ去り、メルコールが解放される時が来た。神々の法廷でメルコールは悔い改めたように装い、悪意を理解できないマンウェはこれを許した。
 2度の敗北を経験したメルコールは、今度は慎重に立ちまわることにした。彼はエルダールと交流し、表面上は惜しみなく知識や技術を分け与えて、巧みに彼らの信用を得たのである。しかし、フェアノールという名の優れたエルフの工匠が、二本の木の光をその中に込めた三つの宝玉、シルマリルを造りあげた時、彼の心は再び嫉妬心に満たされた。このフェアノールは、かつてアマンに招かれた三使節の一人でもあるノルドール族の上級王、フィンウェの長子である。
 地上の星の如く、自ら光り輝くシルマリルは、フェアノールのみが製法を知るダイヤモンドよりも硬い物質で造られ、「星の女王」エルベレスの名で中つ国のエルフたちから崇拝される女神ヴァルダに浄められ、それに触れた死すべき者、不浄の者、悪しき者の身を焼く聖性を与えられた。
 欲望に身を焦がすメルコールは、中つ国で生まれようとしていた第二の種族、人間の噂をエルダールの間に広め、神々への不信感を煽った。その企みが露見し、いったんアマンから姿を隠したメルコールだったが、一部のエルダールの間に芽生えた疑念は後々、数多くの悲劇を生むことになる。
 やがて、メルコールは反撃の好機を捉えた。アルダの外の暗闇からやってきた大蜘蛛ウンゴリアントと同盟を結んだ彼は、フィンウェを殺害してシルマリルを強奪するのみならず、二本の木を枯死させて配下の待つアングバンドに舞い戻る。
 フェアノールはシルマリルを取り戻す誓いを立て、ノルドールを扇動して強引に中つ国へと帰還した。この時、フェアノールはメルコールを「黒き敵」を意味するモルゴスと呼んだ。以後、メルコールは二度と、神の座にあった頃の名で呼ばれることはなくなった。モルゴス、あるいは冥王とのみ呼ばれるようになったのである。
 なお、アマンを去ったノルドールの中に、フェアノールの異母弟フィルナンフィンの長女ガラドリエルの姿もあった。ガラドリエルという名は、後に彼女の夫となるシンゴルの血縁者、ケレボルンが彼女を呼んだ「光の花冠の娘(アラターリエル)」というテレリ語の言葉をシンダール語に置き換え、彼女自身がシンダール名として選んだもの。『中つ国の民』によれば、父フィルナンフィンは彼女にクウェンヤ(上エルフ語)の「アルタニス(貴い女性)」という父名を、母エアルウェンは「ネアウェン(男勝りの乙女)」という母名を与えたという。
『終わらざりし物語』によれば、彼女はフェアノールと不仲であり、美しく光り輝く髪の毛を分けて欲しいという彼の頼みを三度、拒絶したという。とはいえ、フェアノールの演説は彼女の心をも動かし、中つ国の大地をこの目で見て、そこに自らの王国を打ち立てたるという望みを抱かせた。
 しかしこの時、ノルドールは大きな過ちを犯してしまう。アマンから旅立つ時、善意から彼らを押しとどめようとした港湾都市アルクウァロンデのテレリ族と衝突し、数多くの者を殺害したのである。
 同族殺しの罪を犯したノルドールに、ヴァラールは厳しい罰をもって報いた。
 彼らがヴァリノールの北辺に辿りついた時、マンドスその人と思しき黒々とした姿の者が現れた。そして、アマンを去る者が再びヴァリノールに入ることを禁じたのみならず、中つ国にとどまる内に必ず人生に倦み疲れ、悔恨の影のような存在に成り果てることを告げたのである。この宣告は「マンドスの呪い」と呼ばれている。

太陽の時代

 二本の木は枯れ果てたが、ラウレリンは金色の実を、テルペリオンは銀色の花を最後につけていた。前者は「金色の火」アナール、後者は「明るく照らすもの」イシルと名付けられ、アリエンとティリオンというマイアに運ばれて天空を旅するようになった。これが太陽と月であり、「太陽の時代」、その第一紀の始まりである。そして最初の太陽が昇った時、中つ国東方のヒルドーリエンで人間が目覚めていた。
 彼らはエルフのような頭脳や力、不死の命を持たない代わりに、高い適応力を持っていた。やがて一部の部族が西方へと旅立ち、ベオルの一族、ハラディンの一族、ハドルの一族が上級王シンゴルの治めるベレリアンドへと到達した。エルフは彼らをエダイン、すなわち「二番目の人々」と呼び、友人として遇した。そして、東方の人間たちがモルゴスに従う中、彼らだけはエルフの心強い同盟者であり続けたのである。
 ノルドールの到来もあり、中つ国では幾度も大きな戦いが行われた。ノルドールの軍勢は56年の「赫々たる勝利の合戦」においてモルゴス軍に勝利し、400年にわたってアングバンドを包囲した。しかし、455年にアングバンドからモルゴスの軍勢が大量に出撃し、この包囲は解かれてしまう。「俄かに炎流るる合戦」と呼ばれるこの戦争は、モルゴス配下の炎龍が初めて本格的に投入された戦いでもあった。
 以後、モルゴスとの戦いは泥沼の様相を呈したが、この時代はまた人間の英雄たちが驚くべき武勲を打ち立てた時代でもあった。例えばベオルの一族の出であるベレンは、シンゴル王とメリアンの娘ルーシエンを娶る条件として「モルゴスの王冠にはめられたシルマリルを一つ奪う」という困難な探索に挑み、宝玉を持ち帰ることはできなかったものの、これに成功する。なお、ベレンと共に戦ったエルフの中に、ナルゴスロンドのエルフの王であり、ガラドリエルの兄にあたるフィンロド・フェラグンドがいた。「俄かに炎流るる合戦」においてベレンの父バラヒアに命を救われた彼は、バラヒアの一族の危難の際には必ず助力するという誓いと共に、緑の宝石が嵌まる自らの指輪を彼に与えた。バラヒアの指輪は、後にアルノール王国の宝となり、アラゴルン二世へと受け継がれることになる。
 人間とエルフの間に生まれた者は、半エルフと呼ばれる。ベレンの子孫の他にも、ハドル家のトゥオルとノルドールのイドリルの息子エアレンディルがいた。そして、エアレンディルの妻もまた半エルフ──ベレンの孫娘エルウィングであり、この二人の間に生まれたのが半エルフの双子の兄弟、エルロンドとエルロスである。一家はシリオンの港で幸せに暮らしていた。
 第一紀の末、モルゴスの脅威を憂えたエアレンディルは、アマンへと赴いてヴァラールの助力を得ようと考えた。この航海でエアレンディルが不在中、エルウィングが持つシルマリルを狙ったフェアノールの息子たちが港を襲撃し、彼女は海に身を投げてしまう。両親のいなくなった双子は、彼らを不憫に思ったフェアノールの次子マグロールが引き取るのだが、こうした悪しき縁にもかかわらず、彼らの間には情愛が芽生えたという。
 エルウィングがどうなったのかというと、彼女は幸い外なる海に住まうヴァラ、“水の王”たるウルモに救われた。そして、彼女は白鳥に姿を変えて夫の船に辿り着き、彼の航海を導いた。ついにアマンへと辿りついた彼の訴えに応じ、エルダールを率いたヴァラールの軍勢が中つ国へと出陣し、「怒りの戦い」が勃発する。
 時に601年、この戦いでアングバンドは破壊され、モルゴスは虚空へと永久追放されたのである。
 三つのシルマリルの運命について記そう。ひとつはエルウィングからエアレンディルの手に渡り、世の終わりまで天空を航行するさだめを課された彼の船ヴィンギロトに搭載されて、夜空に輝く明星となった。
 残りふたつは、取りつけられていたモルゴスの冠から外されて、長上王マンウェの伝令使であるマイア、エオンウェが預かった。しかし、今なおフェアノールの誓言に呪縛されていた長子マエズロスとマグロールは、葛藤はあったものの結局、衛士を殺害してシルマリルを奪い取り、ひとつずつを分け合った。しかし、彼らは不浄の者、悪しき者の身を焼くシルマリルの聖性に手を灼かれてしまう。絶望したマエズロスは炎が燃え盛る大地の裂け目に宝玉を抱えて身を投じ、マグロールは宝玉を海の底に投げ捨てた後、ついに同族のもとには戻らなかった。伝承によれば、ノルドールの没落にまつわる哀歌を歌いながら、海辺の土地をさまよい続けているということである。

モルゴスの爪痕

 モルゴス自身はアルダに手の届かない場所へと放逐されたとはいえ、中つ国には彼の配下であるサウロンやバルログたち──そして彼がこしらえた闇の生物たちが数多く残留し、自由と平和を脅かした。
 それらの中でも最も強力であり、最も危険な存在が、竜である。
 竜の始祖である黄金竜グラウルングは、二本の木を枯死させた後、舞い戻ったモルゴスが地下要塞アングバンドにおいて創造した。竜はクウェンヤ(上エルフ語)で「火の蛇」を意味するウルローキとも呼ばれ、オークやトロルなどモルゴスが創造した(あるいは歪めた)生物の中でも、最も邪悪な存在とされる。恐ろしい狡知と知恵を備えるのみならず、創り主から黄金や宝物への激しい所有欲を受け継いでいた。
 なお、トールキーンの遺稿をまとめた『失われた物語の書』によれば、竜の心臓を口にした者は神々や人間、鳥獣のあらゆる言葉を理解することができるという伝説が人間の間に伝わっていたとされる。ただし、竜の血や肝には猛毒が備わっており、神に並ぶ力の持ち主でなければたちどころに命を落としてしまうため、実際に試した者はいないとも書かれている。なお、竜特有の能力というよりも、祖竜グラウルングがモルゴスから受け継いだ力として、呪縛の力を持つ邪眼がある。
 グラウルングは第一紀260年のある夜に突然、アングバンドより出現し、アルド=ガレンの野を蹂躙してエルフたちを大いに恐怖させた。この時まだグラウルングは幼く、エルフの上級王フィンゴンたちの弓を受けてアングバンドへ逃げ帰っている。
 その後、455年の「俄かに炎流るる合戦」においてアングバンドからモルゴスの軍勢が大量に出撃した際、成竜となったグラウルングの姿があった。以後、モルゴスとの戦いが泥沼化する中で、グラウルングとその後裔である竜たちが中つ国各地に破壊と死を撒き散らし、エルフの隠れ王国ゴンドリンも510年に竜を含む闇の軍勢の攻撃を受けて滅亡した。
 なお、エルフの王国ナルゴスロンドを滅ぼし、竜王としてこの地に君臨したグラウルングの最期は、人間の英雄トゥーリン・トゥランバールの黒刀グアサングにより弱点の下腹部を剣で貫かれるというものだった。この時、トゥーリンもまた竜の呪いを受け、自ら命を絶っている。
 グラウルングの時代、火竜の胴体は非常に重く、翼は備わっていなかった。翼を持つ竜が初めて出現したのは、アマンのエルフたち(エルダール)とヴァラールの軍勢が中つ国へと出陣した第一紀601年の「怒りの戦い」で、中でもモルゴスの切り札として出撃した黒竜アンカラゴンは中つ国の歴史を通じて最大の竜であり、ヴァラールの軍勢すら圧倒する恐るべき力を持っていた。しかし、エルフと人間の血を引く航海者エアレンディルが空飛ぶ船からアンカラゴンを滅ぼした。その死骸が大地に落ちると、その重みでアングバンドの地下坑が砕け散ったと伝えられる。この戦いでモルゴスは虚空へと永久追放された。トールキーンの遺稿をまとめた『宝玉戦争』によれば、生き残った竜は2匹だけとも言われるが、その後長い年月を経て、中つ国北方の灰色山脈(エレド・ミスリン)において竜は次第に数を増していき、この地に住んだドワーフたちをしばしば襲撃したようだ。第三紀の2000年頃には大竜スカサがエオセオド族(ローハンを建国したロヒアリムの先祖)のフラムにより退治されている。また、第三紀2589年には灰色山脈におけるドワーフの王だったドゥリンの一族のダイン一世(ソーリンの曽祖父)が大冷血竜に殺害されている。

ヌーメノールの没落

 モルゴスが放逐された第一紀の終わりに、ヴァラールは半エルフに対して不死のエルフと必滅の人間のいずれかを選ばせた。
 エアレンディルの二人の息子の内、エルロンドはエルフとして、エルロスは人間として生きることを選んだ。
 ヴァラールはまた、エルフの側について戦ったエダインへの褒美として、他の人間よりも優れた知恵と力、長い寿命、そしてアマンと中つ国の中間に新たに造ったヌーメノールという島を領土として与えた。エルロスがその初代国王である。ただし、アマンの地を踏むことを許さないヴァラールの禁がヌーメノール人に課せられた。
 なお、エルロンドはノルドール最後の上級王ギル=ガラドの治めるリンドンに赴いて、彼に仕え始めた。また、カザド=ドゥームの西にあるエレギオンには、フェアノールの孫にあたる優れた細工師ケレブリンボールを盟主とするノルドールの王国が造られ、ドワーフとの緊密な協力関係が結ばれた。
 カザド=ドゥームからは、ミスリルという美しい、稀少な金属が産出した。その名称はシンダール語で「灰色の輝き」を意味し、銅のように打ち延ばし、ガラスのように磨くことができ、その上鋼鉄よりも硬かった。ミスリルそれ自体に魔力が備わっていたというわけではないが、エレギオンのエルフたちは、ミスリルを用いて数多の魔法の力を宿す財宝をこしらえた。なお、トールキーンの遺稿をまとめた『終わらざりし物語』によれば、ヌーメノールからもミスリルが産出したということである。
 捕縛を逃れたサウロンが新たな冥王として活動を開始したのは、500年ほど経過した頃とされている。彼は新たな拠点に選んだモルドールにバラド=ドゥールの砦を造営するかたわら、「贈り物の君」を意味するアンナタールという偽名と美しい姿の背後に正体を隠してエレギオンに現れ、ケレブリンボールを指導者とするグワイス=イ=ミーアダイン、すなわち「宝石細工に携わる者達」と呼ばれるノルドールの工人集団と共に、「力の指輪」と呼ばれる魔法の数多の指輪を鍛造した。
 この時、彼がモルドールの滅びの山で手づから造ったのが、冥王の力の源とも言うべき「一つの指輪」である。「一つの指輪」は、他の全ての魔法の指輪と、その持ち主を支配する力を持ち、サウロンはこれを用いて中つ国の支配権を握ろうとした。
 彼が「一つの指輪」をはめた時、エルフたちは彼の正体と目論見を悟って指輪をはずし、戦いが始まった。この戦いで、十六個の指輪がサウロンに奪われ、グワイス=イ=ミーアダインは壊滅の憂き目にあったが、ケレブリンボールが独力で最後に造った三つの指輪は略奪を免れた。サファイアが嵌めこまれ、最も大きな力を持つ「風の指輪」ヴィルヤ。白い金剛石が嵌めこまれた「水の指輪」ネンヤ。紅玉石が嵌めこまれ、人々の心を奮い立たせる力を持つ「火の指輪」ナルヤである。ヴィルヤはノルドール最後の上級王ギル=ガラドを経てエルロンドの手に、ネンヤはガラドリエルの手にそれぞれ渡り、彼らの領土を守護するという良き目的のために使われた。そして、ネンヤは中つ国を去るエルフのために船を造り続けてきた船大工キールダンから、魔法使いガンダルフに託された。
 十六個の指輪を携えてモルドールへ舞い戻ったサウロンは、七つの金の指輪をドワーフの族長たちに与え、九つの指輪を彼が籠絡したヌーメノール人や東方の王、魔術師たちに与え、その心に悪しき欲望を吹き込んだ。種族的に、ドワーフほどの頑健さを持たなかった人間の指輪所持者たちはやがて、「指輪の幽鬼」ナズグールと成り果て、冥王の忠実な下僕となる。
 こうして、新たな冥王となったサウロンは1693年に始まった戦争でエレギオンを滅ぼすも、ヌーメノールとギル=ガラドの同盟に敗北し、モルドールに撤退する。
 結局、サウロンはなおも勢力を強め続けたヌーメノールに抗しきれず、3262年に降伏して捕虜となった。しかし、それは冥王の企みだった。彼は永遠の命を欲するヌーメノールの有力者たちを誘惑し、彼らをアマンへと向かわせた。第三紀3319年のことである。
 ヴァラールの怒りによってヌーメノールは海に沈み、サウロンも巻き込まれて肉体を喪った。しかし、サウロンを警戒して天変地異を逃れた人々もいた。エレンディルの一族である。彼らは中つ国に漂着し、ギル=ガラド王の助力を得て二つの王国を築いた。それが北方王国アルノールと南方王国ゴンドールで、前者はエレンディルが、後者は彼の息子イシルドゥルが治めた。
 なお、エレンディルがヌーメノール脱出の際に持ち出すことができた宝器の中に、「遠くを見るもの」パランティールが含まれていた。エルフの都市があるアマンの離れ島、トル・エレッセアより、友好の証として贈られた、七つの水晶球である。互いに通信する機能と、遠く離れた地を見渡すことができる機能が備わるこの石は、フェアノールの作品と伝えられている。パランティールはアルノールとゴンドールの要衝──エミン・ベライド、アモン・スール、アンヌーミナス、ミナス・イシル、ミナス・アノール、オスギリアス、オルサンクに配置され、連絡と警戒のために用いられた。
 後に、ゴンドールの執政ベレンに取り入った魔法使いサルマンが、霧ふり山脈の南端にある城砦、アイゼンガルドに居を定めたのは、この地の中心にそびえたつオルサンクにあるはずのパランティールを入手するためだったと考えられている。
 さて、体を喪ったサウロンがモルドールに舞い戻り、この地で再び力を蓄えて、ゴンドールへと軍勢を差し向けたのは3430年のことだ。エレンディルとギル=ガラドの「最後の同盟」は、10年にわたり戦い続けた。半エルフのエルロンドは、ギル=ガラドの側近としてこの戦いに従軍している。また、霧ふり山脈の東、ロヴァニオン(シンダール語で「荒れ地の国」)北方に広がる緑森大森林にあるタワルワイス(森エルフ)の王国からも、シンダールの末裔であるオロフェア王とその息子スランドゥイルが参戦していた。
 3411年、滅びの山の戦いにおいて、エレンディルの愛剣──第一紀の伝説的なドワーフの工人、テルハールに鍛えられたナルシルは、彼の体の下で二つに折れた。
 しかし、折れた剣を手にしたイシルドゥルによって、サウロンの指は「一つの指輪」ごと切り落とされ、数多の犠牲を出しつつも人間とエルフの同盟が勝利した。
 その後、「一つの指輪」はイシルドゥルの手に渡った後に大河アンドゥインへと沈み、サウロンもまた生き延びた。かくして『ホビットの冒険』と『指輪物語』の時代──第三紀が開始する。

イスタリの到来

 幾度目かの平和が中つ国を訪れた。
 ゴンドールは、再び冥王の勢力が戻らぬようモルドールの監視を続けた。
 冥王との戦いを避けて扉を閉ざしたカザド=ドゥームのドワーフの国からは、再び槌音が響き始めた。中つ国に住まうエルダールの多くはアマンへと去ったが、エルロンドの治める裂け谷やガラドリエルとその夫ケレボルンの治めるロスローリエン、そして船大工キールダンの治める青の山脈の西、リンドンの灰色港にわずかに残っていた。
 中つ国の平和にはしかし、徐々に翳りが見え始める。1100年頃、森エルフの住まう緑森大森林の南西に死人遣い(ネクロマンサー)と呼ばれる黒魔術師がドル・グルドゥルの要塞を築き、オークや蜘蛛が跋扈する闇の森と化す。また、1300年頃には魔王(ウィッチ・キング)と呼ばれる魔術師が、西方のエリアドールの北に闇の国アングマールを打ち立て、アルノールを攻撃した。このアングマールの魔王の正体は、ナズグールの首領である。こうして闇の勢力が北へと広がると、森エルフの王国のスランドゥイル王は森の北東部にある岩山の地下に城館を築き、そこに退いた。
 中つ国を覆う影を察知したのか、第三紀の1000年頃、イスタリと呼ばれる5人の魔法使いがアマンから中つ国へと送り込まれた。白のサルマン、灰色のガンダルフ、茶のラダガスト、そして名前が判然としない二人の青の魔法使いである。
 彼らの正体は、サウロンの影に脅かされる、中つ国の自由の民を支援する任務を帯びたマイアの一団だった。
 イスタリの中でも最も賢明だったと言われるガンダルフ(北方の人間の言葉で「杖をもつエルフ」の意)は、エルフの間では「灰色の放浪者」ミスランディアと呼ばれた。アマンの地にいた頃の名はオローリンで、マンウェとその妻ヴァルダに仕えた。
 イスタリとエルフの指導者たちが白の賢人会議を創設するにあたり、エルロンドやガラドリエルはガンダルフを議長に推した。
 しかし、彼は謙虚にもそれを辞退し、アウレに仕えていた「技巧者」クルモ──北方の人間からはサルマンと呼ばれていた先達を、代わりに推薦したのである。
「鳥を愛する者」アイウェンディル──茶のラダガストは、中つ国の人間よりも鳥や獣に心を傾けるようになり、同輩からの頼みを時折聞き入れることはあっても、本来の任務を忘れてしまったようだった。
 残りの二人、「青の賢者」を意味するイスリン・ルインとも呼ばれる青の魔法使いたちについては、はっきりしたことがわかっていない。名前についても、『終わらざりし物語』によればアラタールとパルランド、『中つ国の民』によればモリネフタールとローメスターモとされており、到来時期も異なっている。
 彼らについてトールキーンは、青の魔法使いたちは密命を帯びて東方、南方の地域に派遣され、サルマンとは別種の失敗をしたのだろうと述べている。トールキーンはまた、彼らこそが第四紀以降に残された秘儀、魔術の源流なのだろうとも推測している。
 ともあれ、彼らイスタリの努力をあざ笑うかのように、闇の勢力は日に日にその強さを増した。アルノールはアングマールに滅ぼされ、王家の者たちは流謫の野伏に身をやつしてエリアドールを守り続けた。
 王家が絶え、執政が治めるようになったゴンドールも衰退を避けえず、1980年にはモルドールを奪還されてしまう。2510年のカレナルゾンの戦いの折りに、ゴンドールに加勢した騎馬民族ロヒアリムは強力な同盟者となり、騎士国ローハンを建設してエリアドールにとどまったものの、東方の暗い影に脅かされる日々が続いた。
 北方にわずかに生き残っていた龍たちは、財宝に満ちたドワーフの国を襲ってはこれを滅ぼした。また、ドゥリンの一族が治めるカザド=ドゥーム(モリア)は、モルゴスのバルログを呼び覚ましてしまったことで1980年に崩壊した。カザド=ドゥームから逃れたスライン一世は1999年に闇の森の北東にあるエレボール(はなれ山)に新たな王国を築くも、第三紀における最強の火龍スマウグの襲来を受け、ドワーフたちは離散した。時の王スロールは気が触れて単身カザド=ドゥームに赴いてオークのアゾグに殺され、その息子スライン二世はドル・グルドゥルに囚われの身となり、2850年に息絶えた。
 スラインの息子ソーリン・オーケンシールドは鍛冶屋を営みながら財を蓄え、彼を慕う同族たちが徐々に集まり始めた。スマウグとモルドールの同盟を危惧していたガンダルフがソーリンと会ったのは、そんな折りだった。ガンダルフの導きで、13人のドワーフと1人のホビットの一行がはなれ山へと旅立ち、結果的にスマウグが倒されたのみならず、「五軍の合戦」でアゾグの息子ボルグの率いるオークとワーグの連合軍が打ち負かされたのは2941年のことだ。死人遣いとして復活を果たしたサウロンが、ドル・グルドゥルから追い出されたのもこの時である。しかしながら、この事件の最中にガンダルフの思いも及ばぬ出来事が起きていたことは、その後、長らく知られないままになっていた。ソーリンたちに同行したホビットのビルボ・バギンズが、霧ふり山脈の洞窟の中でサウロンの「一つの指輪」を発見したのである。


ホビットについて

 中つ国の歴史全体を見渡して、ホビットという種族が重要な役割を果たしたのは、この時が最初であったように思われる。
 ホビットはドワーフよりも小さく、身長は2フィート(約61㎝)から4フィートほど。エルフやドワーフよりも人間に近い種族らしく、おそらく人間から派生したようなのだが、いつ頃、どこで出現したかについては謎に包まれている。古い言葉に通じるエントたちも、後述の指輪戦争の最中にホビットと遭遇するまで、彼らのことを見たことも聞いたこともなかった。
 わかっているのは、彼らが第三紀の早い時期にはまだ霧ふり山脈の東側のアンドゥインの谷に居住し、緑森大森林が闇の力に侵されはじめた頃に山脈を越えて西方へ逃れ、エリアドールに移住したことだ。なお、ローハンには「小さい人」にまつわる昔話が伝わっている。
 ホビット庄やブリー村のホビットたちいは、自分たちのことを「クドゥク」と呼んでいた。これは、西方語の語彙と考えて良いだろう。その由来と思しきローハン語の「クード=ドゥーカン(穴の家を造る者)」をトールキーンが古英語「ホルビトラ」に翻訳、そこから更に現代英語へ置き換えたのが「ホビット」なのである。
 西方にやってきたホビットは、大きく分けて三つの種族に分かれていた。小柄で丘を好み、茶色っぽい肌で、靴を履かないハーフット族。比較的大柄でずんぐりとした、水辺を好むストゥア族。いくぶん白い肌と、金髪に近い髪の色で、言葉や歌に秀でてエルフと親しかったファロハイド族である。ホビット庄で多く見られるのはハーフット族で、数の少なかったファロハイド族はエリアドールに移住した後、他の種族と混ざり合ったが、トゥック家やブランデーバック家などの家系に連なる者たちの中に、しばしばその特徴が見られた。
 ホビット庄はアルノール王国に属したが、第三紀の1974年、フォルンオストにおけるアングマールとの合戦に弓の名手たちを送り出したという彼ら自身の主張を別として、闇の勢力との戦いに殆ど関わらなかった。
 西方へ移住する前、大河アンドゥインの岸辺に住まっていたストゥア族だが、その中にスメアゴルという者がいた。彼が、アンドゥインの川底に沈む「一つの指輪」を手に入れたは、第三紀の2463年頃のこととされる。指輪を濫用し、悪事を重ねて同族から疎まれたスメアゴルは、太陽の光を逃れて霧ふり山脈の地底湖に棲みつき、やがて幽鬼めいた存在に成り果てた。
 以後、500年近くにわたり、「一つの指輪」の行方は杳として知れなかったが、如何なる運命の悪戯だろう。同じホビットであるビルボが彼の棲処に迷い込み、偶然にもスメアゴルが落としていた指輪を入手したのである。かくして、中つ国の命運そのものとも言える「一つの指輪」は、再び太陽の下に出現することとなった。
 はなれ山への旅を終え、「五軍の戦い」を生き延びたビルボは、故郷ホビット庄へと魔法の指輪を携えていた。ガンダルフは、友人の持つ姿隠しの指輪について疑いの眼を抱いていたが、その正体を確信するまでには、数十年の歳月が必要だった。

エレサール王の即位

 大いなる年と呼ばれる3018年から翌3019年にかけての約一年間、冥王サウロン率いる闇の軍勢と、自由の民の連合軍最後の戦い──指輪戦争の最中に、ビルボの養子であるフロド・バギンズとその従僕サムワイズ・ギャムジーによって「一つの指輪」は滅びの山へと運ばれ、永遠に消滅した。「一つの指輪」に心を食い荒らされ、フロドたちを執拗に追跡してきたスメアゴルもまた、指輪と運命を共にした。
 指輪戦争において、もう一人重要な役割を果たした人物がいた。野伏に身をやつし、闇の勢力に抵抗していたヌーメノール人の末裔、デュネダインの族長アラゴルン二世である。彼こそはイシルドゥルの末裔、アルノールとゴンドール両国の正当な王位継承者であり、「一つの指輪」が発見された時は10歳になるかならないかだった。
 幼くして父アラソルンを亡くしたアラゴルンは、その出自と真の名前を隠されて、「望み」を意味するエステルという名前を与えられ、裂け谷のエルロンドの館で養育された。エルロンドの二人の息子エルラダンとエルロヒアを友とし、知勇に優れた若者に成長した彼が20歳になった時、エルロンドは初めて彼に真の名前と出自を伝え、折れたナルシルの剣と、エルフと人間の友誼の証であるバラヒアの指輪を与えた。
 エステル──アラゴルンが、エルロンドの一人娘、アルウェンと邂逅したのは、その翌日のことだった。アルウェンは、上級王シンゴルとメリアンの娘、中つ国のあらゆる時代を通して最も美しい存在と謳われるルーシエンに瓜二つで、その美しさは夕星(ウンドーミエル)に喩えられた姫君である。のみならず、彼女はまたマイアとエルダール、人間の血を体内に宿す、希有な存在である。彼女は母方の祖母にあたるガラドリエルが治めるロスローリエンで暮らしていたのだが、アラゴルンが自らを見出したこの時、ちょうど裂け谷を訪れていた。
 アルウェンへの愛を胸に、裂け谷を旅立ったアラゴルンは、デュネダインの族長として、ガンダルフの友として、数十年にわたり冥王サウロンの配下と戦い続けることになる。この時期、彼は「星の鷲」を意味するソロンギルという偽名を用い、ローハンのセンゲル王(セオデン王の父)、ゴンドールのエクセリオン執政(デネソール二世の父)に仕え、声望を集めていた。ただし、デネソールは彼の正体に薄々感づいていたようで、何かにつけて彼に対する対抗心を燃やしたという。
 大いなる年、アラゴルンは「一つの指輪」を滅びの山へと運ぶフロド・バギンズの旅の仲間として名乗りを上げ、モリアに巣食うバルログとの戦いでガンダルフが離脱した後は指導者として一行を導いた。
 とある事情からフロドがサムワイズのみを伴ってモルドールへと向かうと、彼は自らの素性を明らかにして、まずはローハン、次いでゴンドールから冥王の軍勢を追いやる戦功を立てた。その手には無論、鍛え直され、新たに「西方の焔」アンドゥリルの銘を与えられたナルシルが輝いていた。
「一つの指輪」の破壊と共にサウロンは滅び、彼の意思に統御されていたモルドールは瓦解。そして、第三紀の3021年、アラゴルンは「エルフの石」──エレサール王としてゴンドールの王座に就き、この時をもって太陽の第三紀はその幕を閉じた。
 この年、ビルボにフロドら「一つの指輪」を担った者たちは、三つのエルフの指輪を所持するガンダルフ、エルロンド、ガラドリエルらと共に灰色港からアマンへと旅立った。いっとき、フロドのかわりに「一つの指輪」を担ったサムワイズもまた、ホビット庄の庄長を七度勤めあげた後、フロドより編纂を引き継いだ西境の赤表紙本を長女のエラノールに託し、彼女に見送られて灰色港から中つ国を去った。
 時に、第四紀の61年。かくして、冥王モルゴスの時代より中つ国を脅かしてきた影は、永遠に消え去ったのである。

 最後に──エラノール・ギャムジーの名付け親はフロドで、ロスローリエンなどの地で黄色の小さな花を咲かせる“太陽星”エラノールの名前からとったもの。エラノールは、そのエルフの乙女にもたとえられた美しさによって、“美しのエラノール Elanor the Fair”と呼ばれた。

「ご覧あれ! あなた方はケリン・アムロスに来られたのです」と、ハルディア。「この地こそ古来よりの王国の中心地。幸福な時代にアムロスの高館が建てられたここに、彼の塚があるのです。ここには萎れぬ草原に冬の花が咲いている。黄色のエラノールが、色淡きニフレディルが」ーー『旅の仲間』より(森瀬繚・訳)

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