83年 小さな教会堂でも将来を見越して
クリスチャン新聞はしばしば、教会堂建築についての特集ページを設けて、さまざまな教会の実際のケースや、また教会堂建築において何を考慮すべきか、押さえておくポイントなどについてクリスチャン建築家や教会史研究家などのさまざまな意見を載せてきた。
教会堂建築について多くの記事、情報を提供したクリスチャン新聞
丸々1ページを使って、新築したばかりの教会堂につき、その写真や間取り、建築の特徴、その背景となった教会や牧師の信仰的理念、エピソードなどなどを盛った「新会堂建築シリーズ」も2022年までの100以上を数える。
それを一般紙と同じ大きさブランケット判のままコピーして全て綴り合わせただけの「新会堂建築シリーズ」集は1万円ほどの値段だったと思うが、クリスチャン新聞「発行」の隠れたベストセラーである。
さて、今回紹介するのは、1983年7月24日号の建築特集。大きな新聞紙面の2ページ見開きで、建築家や牧師の教会堂建築に関する理念(考え方)の提言や、「教会堂アラカルト」として「最近」竣工した5つほどの教会のケース(実際例)を紹介している。
このクリ時旅人の記事ではその中から、敷地が狭いが工夫して教会らしく建てられた教会堂、また、将来を見越した計画を含みながら建てられた教会堂という3つのクリスチャン新聞記事を紹介する。
羽生栄光教会 開拓4年 最小限教会堂
まず、羽生栄光教会(教派:日本キリスト改革派教会)の記事。
「開拓4年 最小限教会」との見出しが目を引く。
これは100坪ほどの土地に、牧師館と教会堂を一緒にした31.5坪の建物が建っている。
設計者の有山敏さん(有山建築事務所所長)はその設計理念を「最小限教会堂」と表現する。
教会「開拓」4年で、まだ教会員11人という教会にとって「過重な負担をしない」という命題と、地域社会に溶け込むためには、「教会堂らしい建物を建てる」という矛盾した命題を満たすためであった。
有山氏の見解では、教会堂の機能を満たすには最低限40~50坪が必要だが、開拓伝道4年目の現状では、それは規模が大きすぎたり財政的負担が大きいということだろう。
そこで、羽生栄光教会がとった手段は、牧師館を先ず建て、「その中」に10坪の礼拝室を設けることだった。
外観として「教会らしさ」に注意を払い、片流れの屋根に高く十字架が立っている。いかにも「町の教会」というたたずまいとなった。
将来、ここから増築していける設計となっており、礼拝堂の拡張、教会学校施設の設置がマスタープランの中に入っている。
土地は信徒からの賃貸で安く確保できている。
当時の嘉成牧師は、「開拓4年で会堂を建てるなど思いも寄りませんでした。ただ、必要であるという思いはありましたので、開拓半年後には、建築委員会を設けて検討を始めたのです」と語る。
*ちなみに、現在、どう拡張されたかネットで調べてみた。
どうやら、最初のマスタープランのようはならなかったようである。
末尾の番地が違い、googlemapで調べると、現在は2ブロックほど離れたところに現在、教会堂はあるようだ。
新丸子教会 都市部で狭い土地に
都市部に教会堂を建てる場合の共通の悩みは敷地が狭いこと。
神奈川県川崎市の、新丸子教会(教派:日本基督教団)は東急・新丸子駅から歩1分、商店街の真ん中という好立地だが、敷地わずか25坪。
ここに、礼拝堂、牧師館、教会学校教室など含めた地下1階、地上3階の教会堂が完成した(設計:ネヘミヤ建築研究所)。
道路に面した壁面にガラスブロックを用い、採光に利用する一方、外から見て教会が、「開かれた印象」を与えるよう工夫されている。
2階にある礼拝堂は90席。天上の高さが3メートルあり狭さを感じさせない。
地下は約20畳の畳敷きとした。教会学校や、子どものための遊び場を兼ねている。
野田キリスト福音教会 長期プランを含んだ設計計画
野田キリスト福音教会(教派:日本ホーリネス教団。千葉県野田市)は200人が入れる教会堂を83年当時「建築中」だったが、その記事では、「設計にあたっては、当面の会員を収容できる間取りから、最終的な収容(200人ということか?)を満たす間取りの二通りが考えられている」と記されている。
現在は住み込みの牧師もいない状況に似合った間取りであるが、将来は牧師館のスペースも取れるようになっており、台所や洗面所といった設備もすぐ取り付けられるよう水回りなどもあらかじめ考えてある、ということだ。設計:美和設計建築事務所。