子らへのエールと愛の歌「プラチナ」(ラブソングの枢要2)
聖書を知っている文化圏では、ラブソングに神の愛が隠され、神の愛がラブソングに仮託して歌われることがよくあると、かつて「ラブソングの枢要 ♫I will follow him なぜ、今この曲が?」に書いた。
「私はあなたにずっと付いていくわ」という恋の歌が、映画「天使にラブソングを」において、シスターたちによって「イエスさま、あなたにどこまでも付いていきます」という、神への愛の歌として歌われたことを書いたのだった。
さて、今回は趣きを異にして、アニソン「プラチナ」を取り上げたい。
地上波テレビで放映された「カードキャプターさくら」の
第3期OP「プラチナ」。そのフルバージョン
このアニメソング「プラチナ」は、1998年から2000年にかけて、NHK教育テレビで放映され、人気を取った「カードキャプターさくら」の第3期OP(オープニングテーマソング)である(歌 坂本真綾)。
私はこのアニメをほとんど見たことはなかったのだが(うちの娘ら御用達だった「おジャ魔女どれみ」と違って😁)、この「プラチナ」という歌を聞いて衝撃を受けるほどだった。
それはこの歌の歌詞が、教会学校で歌ってもいいのではないかと思うほど、神の愛を感じ、またその愛に立脚して、子らのこれからの人生を応援する歌のように「聞こえた」からである。
ちなみにこのアニメ「カードキャプターさくら」は、現在成人した人々の間で人気も高く懐かしがられている(「みんなのランキング」の「【人気投票 1~101位】90年代アニメランキング!みんながおすすめする作品は?」=最終更新日: 2023/10/15=で第9位)アニメ作品である。
「みんなのランキング」はこのアニメについて、「連載終了から20年近く経った現在でも、衰え知らずの人気を誇る」と解説を付け、また「女の子はみんな見ていたはず!」と、投票者のコメントを紹介している。
では、私(クリ時旅人)のNOTE記事なのだから、「私が」この曲を聞いて、歌詞を読んで、どんなことを感じ、思ったかを書いていきたい。
まず、歌詞全体をそのまま紹介したい。
実は坂本真綾さんがこの歌を歌ったものを収めたシングルCDがあって(NHK教育で放映されたOPは、全く同じ音源の1番部分のみ)、そのジャケットはこんなである。この真綾さんのスタイルは何であろうか? おしゃれなドレスを着ているわけでもなく地味なエプロンをしている。
この意匠の意味するところは明らかだと「私は」感じる。
ずばり言って、この坂本真綾の姿は、保育園の保母さんそのものではないか?
私のインスピレーションでは、そういう幼い、小さい子どもたちに接する大人の人たちが、その子らにエールを送る応援の歌(一種のラブソング)というのが私の見立てだ。
歌い出しの「I'm a dreamer ひそむパワー」については後に触れるとしよう。
聴取者である「私」の「世界」を作っているのは、夢、とともに「恋」でしょ?って心を揺すぶってくるわけだ。
このアニメの第一の視聴者と規定されているであろう人たちの、まだ「恋に恋する」とでもいうべき年代の、心理の状況を大事に、うまく歌詞にしたと思う。
そして「不安」である。
あまりにも巧みな歌詞だと感嘆するほかない。
これは大人の場合で考えても、恋や不安を「人やものごとへの好き・嫌い」と考えると、十分成り立ち得る構図のように私には思われる。
この歌詞は深い。
このフレーズが示す、人生の実体は、正に聴取者である子らがこれからもっと成長して、各人それぞれの人生のさまざまな局面で「出会う」はずのことを指している。
だから子らは、その歌詞を聴くが、それを自分自身実体として体験したこととして聴き歌うわけではない。まさに、隠れている「はず」と、不安と期待の両方を込めて(しかし全般的なトーンは希望であって欲しい!)歌うのであろう。
この子らが将来、何に直面する可能性が高いだろう、よりリアルに、自分たちの経験値に基づいて想像できるのは、子らに接する大人たちだろう。
「でも想像もしないもの 隠れてるはず」とは、子らに接する保育園の保母さんや、幼稚園、小学校、中学校、高校の教師、子どもの成長に関わる人たち、そして何より我が子を見守る母親のこころではないだろうか。
「隠れてる」ものが、望ましいことばかりでないことも知っているのが大人である。しかし、だからこそ、「隠れてる」ものにしっかり人間として立ち向かって、取り組んで欲しい、というエール、あるいは祈りに似たこころが歌い込まれているように私は感じる。
そして、恋と不安の前に「夢」が提示されているのは、大人たちが自分へのメッセージとしても受け止め得るものではないだろうか?
子どもたちに将来「隠れてるはず」のものを考える時に、それは「夢」をもって考えて欲しい。そのメッセージは、子どもの時にこの歌を何回も聞いて、何回も歌った人たちが大人になってから、この歌をこっそりと思い出す時に大きなエールになるに違いないと私は思う。
「夢」というテーマは、アメリカの伝統的な、民衆に親しまれた楽曲に扱われた素材だと私は思う。そして、dreamという言葉自体、日本語で単に「夢物語」と言われているものとは違い、今の現実の中では夢のようであっても、それは将来、必ず現実になる、というニュアンスの込められた言葉のように私は感じているのである。
プラチナの最冒頭「I'm a dreamer(私は夢見る人)」は、フォスターの名曲「beautiful dreamer」(下記にYoutube)のオマージュであると感じるのは私だけであろうか?
そして、「I」と「dream」が組み合わされば、黒人の公民権獲得運動リーダーであったマーチン・ルーサー・キング・ジュニア牧師の、あまりにも有名な演説の一節、「I have a dream」(下記にYoutubeと、演説文テキストへのリンクあり)を思い出さざるを得ないのだ。
この演説の内容は、それがキング牧師によって語られた当時、まさに「夢物語」に過ぎなかった。黒人差別の激しい南部の各州において、そんなことは絶対に「あり得ない」ことだったのである。
しかし、キング牧師にとって、正義と公正への希求というこのdreamは、現実社会の中に実現していかなければならない、自分たちが実現させていくという決意を込めた「dream」という言葉だったのである(今の日本の社会の若い人々にはそのような夢はあるだろうか?)。
あまりに有名なアメリカの楽曲「夢見る人」。
1864年、アメリカの国民的作曲家スティーブン・フォスターが、
37歳で死すその3日前に作曲した歌。
それは、南北戦争(1861-65)終結の1年前である。
彼の歌った時点での「夢」は、痛めつけられた人々の、つかのまの慰安、あるいは彼岸への憧れ止まりだった。
しかし、アメリカが抱かせる夢はもっと、いまの社会を変えるものへと変貌を遂げる。その象徴がキングの演説と考えることができよう
上記日本語訳を提示した部分は11分30秒あたりから、
このくだりの大事な前段から、訳文の元のフレーズまで聞けます
「I have a dream」テキスト。自動翻訳で、日本語で読めるでしょう
私はフォスターの生きた時代性や、キングの演説のようなものを踏まえて「dream」を考え、そして「プラチナ」を聴くと、この歌が子どもたちに「いまよりもより良い未来を作ってください! そのお手伝いや応援は存分にします」という、大人たちからのエールの言葉に「聞こえる」のだ。
さて、プラチナのその次の歌詞はすごい。
クリスチャンである私が、「この歌は賛美歌として歌える歌ではないか」と感じたのは、第一にこの歌詞なのである。
「あなた」って誰なのか?
まずはこのアニメの主人公さくらが、最初は雪兎を、そして後には小狼を見つめたように、であろう。 まっすぐに見つめたい、あこがれの、あるいは互いに必ず助け合っていくべき信頼する人を「見つめる」さまが想起できる。
あるいは、「まっすぐ見つめる」に足る人と出会ってくださいねという、祈りに似た、大人から子どもへの願いが歌いこまれているとも感じられる。
小学校中・高学年、中学、高校くらいの女の子が、あこがれの人を「空に向かう木々のように まっすぐ見つめてる」というのはよく心情風景を表している詞だと思う。
特に、実際テレビで放映された際の、背景の動画を見ると、「それだけ」の歌詞だとすっかり「思い込まされて」(騙されて?)しまう。
NHK教育テレビで放映された「カードキャプターさくら」
(1999年4月-2000年12月)
第3期(47-70最終話)のオープニングテーマ「プラチナ」
しかし、キリスト教信仰を持つ私がこの曲を聞いた場合、「まっすぐ見つめる」べき、そして、そのようにして究極的に大丈夫な、またそうすべき「あなた」は聖書に記された創造主なる神、すなわち「父なる神」ではないだろうか?
「空に向かう木々のように」って、まさに、すくすくと育ってほしい子どもたちの姿そのもの、のみならず、いつまでも成長することを止めない人間の姿そのものではないか。
「夢と恋と不安」でできた人生を歩いていかなければならない人生であれば必ず、「まっすぐに見つめる」ことのできる「あなた」という存在が必要なのだ(この点が、私が「ラブソングの枢要」というテーマで言いたい肝の事柄だ)。
そのような人に出会える人は幸いだ。
まず子どもにとって、親がそうあってほしい。子どもが将来にわたって、信頼できる人を見つけ、信頼しあっていける基盤を作ってやりたい。
それと共に、ここに隠されているのは神への信頼だ。
英語では、「歌謡曲」が賛美歌に転用されることも多く(I will follow himの例をすでに別の稿で挙げた)、それは「あなた」という存在が恋する相手であり、神とも読み解ける、そういう楽曲なのである。
反対側から見れば、神の愛、神からの愛、神への愛は、そんな恋愛のなかに見られるような「甘い」とさえ言い得る(聖書にもそのような表現がある)ものがあり、そしてそれが、なおかつ徹底的に「真実」で本当で深いものであることを、教えようとしてくれているが如きだと私は思うのである(そして今の私には、まだ、なかなか実際には実感できない境地ではあるのだが……。何しろノンフィクションライターは客観性を一番重んじますから)。
上記のように考えながら、それ以降の歌詞を考えてみると、何と示唆に富んだものであろうか。
人との出会い、さらには神との出会いを通して、「見つけ」ることのあるもの。
そのために努力して努力し尽くしても悔いのないような自分にとっての夢、社会にとっての夢というものすらあるのである。
それは「信じるそれだけで 越えられないものはない」。そういうものなのだという消息を、よく歌っていると思う。
信じるに足る者を信頼し、信じて生きる生き方は、奇跡と言いたいくらいに、自分を変え、人生を切り開き、また社会をさえ「変えてゆく」そのような深い思いをはらんだものであるということを歌った歌だと私は思う。
そのような線で2番以下を読むと、これもまたさらに深いことが描かれている。
そのように、まだこの歌に関して語りたいことが多くある(曲調や背景動画、制作意図の推測を含め)。
「It's gonna be your world」って、英語で超よく知られた慣用句「It's gonna be OK」(「大丈夫だよ」)をもじって、若い人たち、子どもたちへの期待と応援を伝えているのでしょう。
この項、書きかけ
曲について
参考動画 「カードキャプターさくら」OPテーマ曲『プラチナ』徹底分析!
「空に向かう木々のようにあなたを/まっすぐ見つめてる」の部分で3回の転調で「3度」音が上がって「I'm a dreamer ひそむパワー」と同じメロディが3度上がって「みつけたいなあ かなえたいなあ」として歌われる。
これは歌詞の持つメッセージを、音として表現したように思われてならない。dreamerは、出会うべき人格との出会いによって上の世界に向上していき、大きな大事な「夢」を「かなえたいなあ」となる、というメッセージ性。
アニソンだから子どもたち自身が自分が「歌える」歌。
また、歌って満足できる(「つまらない」と欲求不満にならない)歌。
転調に転調を重ねるメロディーといい、また非常に複雑なリズム。これをテレビを見る子どもたちは何回も聴いているうちに「歌いこなせるようになる」。そのレベルを基準として、さらに新たな楽曲が生まれてくることになる。
昔の唱歌や、アニソンにしてももっと単調な曲だったのが、このプラチナみたいなのが標準的に提供されているって凄い!と思わざるを得ないわけだ。
書きかけです。また読みに来てね♡
🔷おまけ 私の中では「プラチナ」に続く曲1「 dreamer」
(「今はまだ I am a dreamer」ってそのものズバリすぎる)
パリピ孔明でEIKOの歌う「 dreamer」
🔷私の中では「プラチナ」に続く曲2 なにわ男子「NEW CLASSIC」
《螺旋に巡る(同じことの繰り返しに見えても実は前進している人類の歴史)未来の「荒波」に帆を出して、胸ときめきドキドキしながら新世紀のMusic・協奏のSymphonyをWe make itしていきましょう。まとわりつく昨日は置いて、現実絡まっても、「理想のまま進めばいい」って声をかけてくれる真の友(本物のキリスト、イエス)がいるし、仲間がいるというメッセージと私は解釈した》
2024年聖金曜日にリリースされたMV
なにわ男子の「NEW CLASSIC」
NOTEにも「NEW CLASSIC」のこと書きました
🔷私の中では「プラチナ」に続く曲3 パリピ孔明「Time Capsel」
《もう過去を羨むのはやめる、過去が羨む今日にする。想像を超えた未来があった》
パリピ孔明「Time Capsel」
🔷おまけ2 私が書いているような線で謎(なぜ日本の文化に賛美歌的な発想が棲んでいるのか)を解きたい方はこちらを読んでいただけば大きな参考になると思います▼
“魔法”と祈りはどう同じでどう違うか
🔷おまけのおまけ
ドラマ「パリピ孔明」が好きな人なら必ず気にいると思うドラマ「神はサイコロを振らない」
山本太郎がヒロイン・康子の、「10年前の恋人」である副操縦士・木内哲也の役であった。康子(役:小林聡美)は航空会社のしがない地上乗務員に過ぎないが、10年前に消失した(その時、副操縦士の木内も消失した)航空機が現代に再び現れ、それに乗って10年前の記憶と姿のまま10年後の世界に生きる乗客たちを援助するために奔走する。
木内は、現在に生きられるわずかな最後の瞬間を、康子と過ごすことではなく、乗客を救う、非常に小さな可能性にかける行動に費やす決意を、康子や仲間に告げる。切ない▼
「神はサイコロを振らない」最終話(全話見られる)
私、クリ時旅人のNOTE「山本太郎の方が正しい」のなかで「神はサイコロを振らない」について書いています。こういうドラマの中の役柄と、今の山本さんの生き様の関連性についても論じています。▼
noteでは「クリエイターサポート機能」といって、100円・500円・自由金額の中から一つを選択して、投稿者を支援できるサービスがあります。クリ時旅人をもし応援してくださる方がいれば、100円からでもご支援頂けると大変ありがたいです。