1月15日という呪縛
今年も1月15日が終わった。
私にとってこの日付は心を締め付けられる日である。
この日一日に限らず、この前後は3年前の同時期を思い出して、申し訳なさや反省を抱えるのだ。
3年前の1月15日、私は自分のおなかの子どもを堕ろした。
その時期に付き合っていた人との間にできた子どもであった。
勿論私には産みたい気持ちがあったのだが、子どもを産み育てることのできる環境ではないことを彼氏に諭され、堕胎の道を選んだ。
今でも、思い出すと殺してごめん、産んであげたかったと思ってしまう。
それに、あの時もっと説得して、自分の意見を強く出して産んでいたらと考えることもある。
子どもを堕ろした当時、両国にある回向院で水子供養をしてもらった。
そんな思い出もあり、今年も同時期に回向院まで行って手を合わせた。
当たり前だが、特に自分の子のお墓があるわけではなく、地蔵様に手を合わせるくらいの感覚なのだが、私の中でそこに行くことに意味があると思っている。
3年前も今年も聴いた曲がある。
SEKAINOOWARIの「幻の命」だ。
はっきりと妊娠中絶についての曲と書かれているわけではないが、歌詞を読むとそう捉えることができる。
3年経った今でも私は産み落とすことなく殺してしまった子どものことを考える。
私がその子のことを考え続ける限り、その存在は幻では決してないのだと思う。
ありきたりな考えかもしれないが、近い未来にまた私のもとに来てほしいと強く思う。
その時は必ずあなたと対面したいと思っていますよ。
支離滅裂の文章になったが、今回は私の忘れたくない記憶と気持ちをつづってみた。
一人で墓場まで持っていくには少々重い内容だね。
2024.1.18 Chihiro
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