霊団というスピリチャルな話
みなさん、こんにちは。
今回は、スピリチャルなお話をしたいと思います。
私なりに、様々なネット情報を検索し、学んでいく内に、
魂について、考えがある程度まとまったので、
そういう話をお伝えしようと思います。
私はいわゆるスピリチャリストではありません。
以前は、「合理的な」思考しかしない人間でした。
目に見える証拠がないなら信じなかった。
普通の一般的な庶民です。
特殊な能力も才能も持ち合わせていません。
スピリチャルに関する本、書物の類は読んでいません。
10年くらい前までは、本の虫であるかのような、
読書好きだったのですが、今はさっぱりです。
私は、10代の頃から、
どちらかというと、日本語力を高める為の読書。
という側面が大きかったので、
もういいかな。と感じるようになってからは、
情報の収集は、ネットで十分なので、
本の購読はほとんどしていません。
今は、書くことに多くの時間を費やして、
私自身の日本語を生み出す力を磨くようにしています。
それが、いちばんのライフワークだと感じています。
日本語には魂がありますね。いわゆる、言霊(ことだま)。
しかも、日本語の霊格はひじょうに高く、
こうして書いている間にも、言葉は次々に私を離れて独立し、
私が書いた日本語が、私自身の魂にエネルギーを返してくれる。
そういう感覚が面白いのも、
私が書く為のモチベーションとなっています。
日本語は、私の大切な友人です。
自分で書いた日本語が独り立ちして、
良いエネルギーを発している。それは、
書くのに費やすエネルギーを補って余るような量です。
それと同時に、日本語って、
おいそれとは書けないな。とも感じています。
とてもじゃないが、雑な文章は書けませんし、
一字一句に至って、魂を込めなければ、
霊格の高い日本語に失礼なのです。
それに、詰まらぬ日本語を書いたとしても、
日本語としての格がありませんし、
よいエネルギーを返してもくれません。
かといって、緊張しているわけではありません。
リラックスした気分で、書きたい時に書いています。
どうやら、楽しんで書くことがとても大切なようなのです。
頑張ったり、無理して書いても、いい文章にはなりません。
楽しみながら、夢中になっているというのがいいですね。
せっかく日本に生まれて、日本語を母語にしているのですから、
波動を上げるという意味でも、
日本語を磨くことは、とても価値あることだと思っています。
またいずれ、日本語については、
詳しい記事を書きたいなと思っています。
ちょっと脇道にそれましたので、
テーマに戻ります。
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