母の好きな果物。 田舎の人にはあまり馴染みがないせいか、スーパーに並んでも皆遠巻きに見ていくだけのこの果物を、母はとても愛している。 風邪をひいている間、買い物の世話などしてもらったお礼に、洋ナシを買って実家に持って行った。 「ようなし」と発音する度、父がびくっと体を震わせるのが、なんだか哀れだ。 人を役に立つか立たないかで、シビアに品定めしてきた事への報いを、自分が年を取り病気になってから受けているらしい。 梨と思いながら食べると、なんだか変な気分になる食感。
母が差し入れてくれた、この冬初めてのみかんを食べた。 ビタミンCたっぷりで風邪にいいよって言われた。 随分長い間、私はみかんがあんまり好きじゃなかったので、そうやって一言添えるのが癖になっているらしい。 みかんは、口の中にカスが残る感じがイヤだった。 でも味は好きだから、オレンジジュースはよく飲んでいた。 みかんと和解したのは、ここ十年くらいの話だ。 今時期の、ちょっと酸味が勝っているようなフレッシュなみかんが好きだ。 年が明けてしまうと、甘みが強くなって酸味が
何年か前から、年賀状を出すのを全面的にやめた。 代わりにクリスマスカードを送るようになった。 結局手間は変わらないじゃないかと言われそうだけれど、べつに書くのが面倒だから年賀状をやめたわけじゃない。 年賀状をもらうのって嬉しくないわけじゃないけれど、あんまり変わり映えがしないなと思って。 年末の死にそうに忙しい時期に用意しなきゃいけないわりに、もらう方の感動が薄い。 最近だと書く人自体がだいぶ減って、業者の宣伝も含めたような味気ない年賀状をもらうほうが多くなっている
風邪治って一件落着。と思って油断してたら、また忍び寄ってきてダウンさせられる。 まるでホラー映画のエンディングみたい。 治ったと思って強気に用事を入れてたのに、またキャンセルかぁ。 自分ががっかりするだけならいいけど、他人様に迷惑かけるのはほんとに、、、なんか生きててすみませんって気分になるね、ごめんなさーい。 で、病院で勧められた鼻うがいの話をしよう。 鼻に水を入れる?そんなん痛いに決まってるからしたくないよと思ってたけど、ちゃんと市販の鼻うがい用キットを使うと痛
ラスクが好きだ。 スナック菓子を食べるより優雅で、罪悪感もちょっと控えめ。 職場なんかでだれかがどっかのお土産として置いてたりして、だれからもありがたがられもしないのにちゃんと美味しくて健気だ。 パン屋で買うパンの値段が五年前より100~200円くらい高い。 200円値上げってほぼ倍ですよ。 そう簡単にパン屋で買い物なんてできないねぇ、とがっかりしていると、「150円」と書いた札の傍にあるカゴに包みが入っている。 クッキー?いや、ラスクだ。 結構入ってるな。
って素直に言える人って、無邪気で可愛いなと思う。 「いやいや、こんな私がそんな、、、」とか、「今ってそんな時代じゃないでしょう」とか。 「贅沢は敵だ。ほしがりません、勝つまでは」はまた古すぎるけどそういう感じの人居るじゃないですか。 言ってみるだけならタダなんだし、そんなに自分を縛らなくてもよくない?と思う。 ま、それを全部手に入れられるかっていうのは、また別の話だけれど。 ほしいものをほしいと、好きなものを好きと言える人が、私は眩しい。 私は長い間そうじゃなかっ
「もうすぐクリスマスね」とあのひとが言うので、「今年のプレゼントは何がいい?」と訊いてみたけれど。 大して高額の物をあげられるわけでもない。 きっと例年通り化粧品をなにか一つ、みたいな感じに落ち着くだろう。 なかなか一緒に出掛ける時間が取れない毎日なので、お互いのために時間をつくること自体が一番のプレゼントで、物はただのお飾りなのだ。 大人になるとみんな、そんなもんなのだろうか。 「あなたこそ、プレゼントは何がいい?」と訊いてくれたけれど。 私の好みを言うと大体の
I won’t last a day without you. あ、コーヒーの話です。 熱が出てる数日間、コーヒーを飲むのをやめてたのね。 そしたら飲み始めの一杯がまぁ、美味しいこと! やっぱりコーヒーなしの生活は考えられない。 体調が悪くて寝ている間もコーヒーの事ばかり考えていた。 そんないい豆でもなく、スーパーで買える程度のものだけれど、不満を感じたことがない。 たまに頂き物の、コーヒー屋さんのコーヒーを飲むのも、もちろん嬉しいけれど。 そんなとびっきり高
いやぁ、、、昨日は辛かった。 大人が熱38.5℃も出ると筋肉と節々にくる。 なにもかもほっぽらかして寝てるしかないけれど、なんにも食べないわけにもいかないから、炊飯器でサムゲタンを作った。 ネギとショウガと鶏肉と米だけでも作れるけど、白菜としいたけも入れて。 ショウガ以外は全部キッチンバサミで切り込めるところがいいですね。 白だしと鶏がらスープの素を入れて二回炊くだけ。 食欲がないからごま油は入れず。 んー、美味しいけどオマエ、サムゲタンというかショウガ風味の鍋
もし身長が2メートルあったら暮らしにくいだろうなと思う。 ベッドは特注だろうし、いつもどこかで頭をぶつけていなきゃいけないし、軽自動車なんて乗ってたら狭くてやってられないだろう。 幸い私は平均的な身長なので、そういう意味では普通に暮らせているけれど、やっぱりある部分では自分用にできてない世界に右往左往させられている。 食べるとお腹が痛くなる、得体のしれないものでとろみを付けたファミレスのあんかけうどん。 着るとみみず腫れができる、綿100%でできた服を縫うために使われ
もう年末だと思っていたほうがいろいろ覚悟が決まる。 寒い、もう秋は終わりなのか。 夏が長かったせいか、いつも以上に短く感じた秋だった。 昨日の夜おでんを仕込んだから、お裾分けするね。と母に言うととても喜んでくれた。 練り物も卵も昔は安く買えるものの代表だったのに、びっくりするくらい高い。 牛スジやタコが高いのは覚悟していたけれど、ちくわまで高いとはね。。 おせちの材料を買うのが憂鬱になってしまったけれど、両親が生きている間は作らないわけにはいかないので頑張る。
子どもの頃は妹とそんなに仲良くなかったけれど、大人になってからはわりと仲がいいほうだと思う。 私としては昔から可愛がってきたつもりなのだけれど、得てして妹や弟というのは子ども扱いされる事にうんざりしているものなのだと思う。 こちらは良かれと思ってやっている事が、有難迷惑な事もきっとたくさんあったのだろう。 姪が生まれてからは可愛がる対象が増えたけれど、結局は妹可愛さが派生していっただけのことで。 今は姪との付き合いも少しずつ長くなり、彼女がまだ小さいながらも一人の人間
自分がしてほしい事を人にしてあげるのと、自分がしてほしくない事を人にしない事は、似ているようでニュアンスが違うなと思う。 してあげる事は目につきやすいから、相手もそれを気に入ってくれたらお礼を言われる事もあるし、そうなったら人間関係に与える影響に即効性がある。 してほしくない事をしない事が人間関係に与える影響は時間差で効いてくる。 受ける側の感受性によって、いつその親切に気づくかがバラバラだから、もしかしたらどちらかがこの世から居なくなる時初めてその真心が伝わる場合もあ
昨日の夕食はかぼちゃとジャガイモのサラダに、さつまいもの柚子煮、それに豆腐丼という、こんなに炭水化物取って大丈夫なのか?と心配になるメニューだった。 でも胃が痛いのは炭水化物取りすぎというよりは、さつまいもの柚子煮に入っていた大量の砂糖のせいかもしれない。 こういうものばかり食べてしまう時というのは、大体ちょっと疲れている時だ。 糖分を取ると気分が良くなるのを、体は知っているらしい。 こんな事を書きながらバナナに手を伸ばしている。 仕方ない、脳が求めているのだ糖分を
「相手が聞ける程度のわがままを言って、聞いてもらえたら大袈裟目に喜ぶ」っていうのができる人は愛されるなぁと思う。 男女問わずだけど、特に女の子だな。 夜中に「会いたいの」なんて言われたら、多少無理してでも会いに行きたいと思ってしまうのが人情だろう。 そこまでわかっていながら、自分はそうできないのはなんでだろう。 断られるのが怖い?カッコつけたい?迷惑をかけたくない?他にもなんかある? 迷惑をかけちゃいけないって子どもの頃に言われ過ぎて育つと、人と接点を持つことが難し
学校の成績は今一つだったけど、勉強する事自体はわりと好きだ。 今は成り行きでタイ語を勉強している。 田舎暮らしで病気持ちで旅行もままならない身の上で、タイ語が身に着いたとしても、役に立つことはそうそうないだろうけれど。 でも、毎日が楽しい。 来年の今頃にはタイ語で簡単な日記が書けるようになってたらいいな。 小さい姪は生まれて数年しか経ってないのに、そこそこ日本語がペラペラ話せるようになっている。 私は数年後に今の姪の日本語くらいタイ語が話せるようになっているだろう