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損か?得か?

何するにしても、自動的に考えてしまう。
私の場合、他人が得して自分が損したら、もうたいへん!
大袈裟だが、気が狂わんばかりに、
なぜ?彼女が得して、私が損したのか?
追及が始まり、行き場のない苛立ちを持て余す。

せこいせこい!
損したからって何なんだ!
得したからってどうなのよ!
実のところ、逆の場合も多いし。

自分の選択には責任を持ち、
その選択は、損/得で考えてはならない。
なぜなら、損か得かは最後の最後まで入れ替わり続けるからだ。
その途中途中に一喜一憂するなんぞ、バカバカしいし、
他にやることがたくさんある。

なにより、他人が損したか?得したか?なんて知る必要はないのだ。
弟のスイカの大きさが気になって仕方なかったある夏を思い出す。
弟に「スイカ、そんな好きじゃないでしょ?」と、ずーっと言ってたな。
せこい人生はそのころにはすでに出来上がっていたようだ。

ちなみに、弟の人生にせこさは微塵も感じられない。
とほほ・・・である。

損か?得か?を手放すと、ずいぶんと楽そうだな。

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