ただ、やるだけ
今日、気づいたこと。
誰かに何かをしたとき、
いままでだったら、その行為はその人のためだと思っていた。
だから、私の行為に対するその人の反応が気になって仕方なかった。
嬉しかったのか?
嫌な気分になったのか?
べつになんとも思わなかったのか?
などだ。
今日、仲のいい友人の誕生日だった。
当然、今日の朝届くように心を込めてプレゼントを贈ったんだけど、
「有難う!欲しかったものをもらってうれしい!」という声をいただいた。
よかったとだけと思った。
午後、姪っ子がコロナに感染したとの連絡を受け、
ひとり暮らしの彼女に、たくさんの作り置きや必要なものを、
必死で準備して、汗だくになって届けた。
こちらは、無反応であった。
でも、全力で準備し、無事に届けられたことに安堵した。
コレ!コレなんだ。
姪っ子の場合、前の私だったら完全に不満であった。
美味しかったのか?嬉しかったのか?助かったのか?どうなんだ?
・・・、親切の押し売りもいいところ。だな。
逆の立場の場合、考えてみたんだけど、
律儀な私は、
美味しかろうが、まずかろうが、はたまた迷惑と感じようとも、
わーい!嬉しい!めちゃめちゃ助かります!元気になりそう!
と反応すること間違いない。
つまり、本当の感想でない場合も多いってことだ。
なんだ!本音なしの形ばかりのリアクション?
だったら、いらないね!求めないね!と決心した。
からの、本日の反応。
自分のしたいことをただやったことのみに対する反応。
相手がどう喜んでも喜ばなくとも関係なし。
うん!スッキリ!
また一つ、解決できたようだ。
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