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君は僕の過去みたいだな 僕は君の未来になるよ:櫻坂46『Start over!』感想

はじめに

 本稿は櫻坂46の6枚目シングル表題曲である『Start over!』についてその感想を書いていくものになります。前作(5枚目)の『桜月』(2023年2月)がシングル単位でいうと4枚目の『五月雨よ』(2022年8月)から実に10ヶ月ぶりのリリースであったのに対し、今作(6枚目)は2023年6月28日、と約4ヶ月という短いスパンでドロップされた点でもまず印象的でしたが、何よりも最初に目を引いたのはタイトルである『Start over!』でした。直訳してしまえば「やり直す」という意味になりますが、櫻坂6thにして「やり直す」意味とは、であるとかその後公開されたMVだとか、それに連なるアートワークだとか、多面的に『Start over!』が櫻坂にとってどのようなシングルになりうるのか、を探ってみたいと思います。考察はすでに色んな方々がやられているので完全なる主観とリンク、あたりを中心に書いていければと。あくまで個人の解釈と感想です。それではどうぞ。

楽曲面

歌詞

<「僕」→「君」>
 「君はなにか夢とかあるのかい?」という語りかけから始まる今作。同じブロック内で続く歌詞も「いつかやりたいなって思うこと」「生きてく理由」「こうしたいなんて願望」といった未来志向のフレーズが散りばめられているものの、これを発語している「僕」が「君」に語りかけているという構造であることは後々でも触れますが第1のポイントかなと。

 そこから次のブロックに飛ぶと「嫌なこと忘れるため」に人は眠ると言ったり「どうにかなると言い聞かせ」たり、さらには「こんな夜遅く コンビニのレンジで 弁当温め どんな奇跡待ってるの?」という現実感と疲労感、先の見えない感情を凝縮したような情景を描き出す一文が飛び出しています。ここは今作で2番目に好きな歌詞です。深夜まで働き、自炊する体力も気力もなく、コンビニのレンジ(ワット数高いやつ)で半額になった弁当をレンチンする侘しさ、社会人であればあるほど解像度が高くて存外にフラッシュバックするものがあります。

 サビ前の展開は「君はわかってるだろ? いつの間にか諦めてるってこと だけど 気づかないふりをして…」と再び「僕」から「君」への語りかけになり、サビ以降も「もう一度だけ やり直そうなんて思うなら 今しかない 後にはない 逃げてる今の自分目を覚ませ!」(太字は筆者注)と繋がっています。この自分は、単語のみにフォーカスするならば関西弁で言うところの「自分」(=相手を指す語法)、ということを思い出しますけどそちらは文脈により棄却します。やり直しますと、この自分は逃げてる今の自分、つまり字義通りの自分であり、「僕」と「君」はともに同一の「自分」という存在の話であり、内面世界での「ありたい姿」と「現実の自分」との葛藤を描いているものなのだろうと推察されます。

<「僕」の内省>
 2番では「知らず知らず 自分は安全地帯で 評論家みたいに上から目線」という1番の「僕」を受けた自分の状況に対して内省しつつ「どうせだったら失敗したって 当事者でありたいのに…」という前進の意識が垣間見えます。そこから「防犯カメラに守られることより 誰も見ていない自由が欲しいだけ」という内なる自身の解放を「他人の目気にすんな」と「僕」自身に発破をかけて行きます。次第に語気も強くなる。

 2サビでは「冷めたら二束三文のプライド」だとか「メッキ」といった「見栄」や「カッコつけ」ていた「君」に対し、「メッキが剥がれても」「僕のほうが少しはマシだって言い張って」、全否定してやりたい「僕」、ただその「君」も「僕」も「結局同じ穴の狢」なんだよ、という帰着が見て取れます。

<「自分」をやり直す>
 ラスサビ前の一節は「”今さら”はダメかい? 遅すぎるのかい? やり直せるなら 何だってできるだろう?」という自問自答のようなフレーズが配置され、そして「君は僕の過去みたいだな 僕は君の未来になるよ」へと続きます。「どうせ自己嫌悪の塊」だったとしても、「僕」は「君」の未来になるよと宣言する。ここにおいて私は私である、という強烈な自己への没入、あるいは陶酔、スポーツで言うところのゾーン感で心身の完全なる一致の境地へと飛び込み、忘我の境地でラスサビへと突入します。

 サビのフレーズは共通ですが、ラスサビにおいて意味が効いてくるのは「君」と「僕」の話ではなく自分自身に向けてのものになっているという点かなと思います。客観視していた自分ではなく自身に「やれんのか?」と問いかけるような。「ガラス窓に映った現実に 心は背中向けたくなるけど 自動ドアを出た瞬間 別人にもなれる」、これは自己の可能性の話、描きたい未来の話であり、そこに至るまでに「どこからやり直すか」。『Nobody's fault』で「やるか?やらないのか?それだけだ もう一度生まれ変わるなら」と歌っていた櫻坂は1stから5thまでの活動を経た上で、それらを再定義していく。まさに櫻坂セカンドシーズンの幕開けに相応しい楽曲の歌詞である、と思いました。

 先に断っておくと音楽理論とかコードについては全く詳しくないので、完全に印象とか感触で話をします。そして歌詞→曲→MVという順番で書いていますけど、素材の大本はMVなのでMVに引っ張られる部分もあるかもしれません。極力切り分けたいな、とは思っていますが少なくとも歌詞の節回しだとか発語に関しては「曲」として括っちゃっていい気もするのでそういう感じで進めます。前置きが長い!

 作曲は安定のナスカ。冒頭のベースだとかピアノの使い方あたりで察した人もいるとかいないとか。冒頭のスラップベースは会場で聴いたらより気持ちいいだろうな〜〜〜〜となりながら聴いてました。徐々にベースのフレーズからギターが重なり、環境音としてのジャンプによる足音(これはMVだけなのか、パフォーマンスでも再現されるのか、そして音源に残るのか)、から重ねてピアノフレーズが加わって流れが変わる構成に至るまで、ここが16秒間。ピアノフレーズinから歌唱開始まではさらに8秒間。比較的長いイントロの中でも2つの場面を作ることでのちにMVで切り替わる現実→非現実の橋渡しを担っていると感じます。

 Aメロからサビ前までの「今日という日を乗り越えちまえば どうにかなると言い聞かせて・・・」までは掻き鳴らすギターと走るピアノフレーズがどこか疾走感、というよりはどちらかというと焦燥感を覚えるような印象をで、サビ前までの展開は一転して悲痛な現実、そして不穏なベースが鳴り響きながらサビの解放へと繋がります。比較的、非現実パート=ピアノ、現実パート=ベースとギター、の音色の割合が強いように感じるかも…?出色なのはMVでいうところの藤吉小林パートで、もうここ多分エヴァQのシンジ・カヲルの連弾シーンでしょと思う。この2人はピアノを鳴らしているわけではないけれど、精神世界での対話、その結果としての「君は僕の過去みたいだな 僕は君の未来になるよ」なんですよね……。(ここらへんはだいぶ飛躍しています)

 そしてアウトロの話をすると、イントロの、MVで青いコップが落下し始めたあたりからのメロディと音の高さやアレンジこそ違えど基本的には同じ構造を取っていて(と私には聴こえる)、MV上では黄色いコップ(しかも持ち手が割れていた)が逆再生で現実へ収束していく、そういった感触でした。

MV

展開と描写

 オフィスにて人が行き交いめいめいのコミュニケーションが発生している中、藤吉夏鈴はひとりどこか上の空で、鼻血を出しながら床に突っ伏す、というシーンから始まる今作。色んな、というか記事末尾に記載したnoteのように、この瞬間より夢(=非現実)パートに突入している、という見方は取れそうだなと思います。

 夢パートに入ってからの夏鈴ちゃんは書類を中にばらまいたりプリンターを棚から落としてみたり、あるいは花瓶に入っていた花束を投げ捨てたりというように、抑圧に対する反抗、もしくはオフィスという「ルール」の象徴のような空間でその規範にそぐわない行動をすることで「自由」を表現している、とも読み取れそうです。非現実みが高まる1つ目のポイントとしては1番ラストで夏鈴ちゃん以外の全員が玉座を模した陣を組み、そこに上って自由を謳歌するパートで、最後玉座は崩れ2番へと進みます。個人的にここで「崩玉」概念を想起しましたね(BLEACH)(自らの周囲に在るものの心を取り込み具現化する能力)。なお崩玉のくだりは本筋ではないので読み飛ばしてもらって構わないです。

 次に場面が大きく展開するのは2番サビに向かう際に夏鈴ちゃんが小林さんの手を引き壁を破り精神世界のような空間に突入する場面です。一方の(?)会議室では土生ちゃんを中心とする円形の布陣で儀式のような群舞を展開しており、共通するのは回転・円環運動。「君」と「僕」が渾然一体となる。

 ラスサビに入ると再び場面はオフィスへと移るものの、そこで行われていることはまさしく非現実であり、玉座という象徴の崩壊と対比してこちらは心臓を模した(とZIPか何かで森田ひかるちゃんが語っていたはず)構造を構築しながら、メンバーひとりひとりが激しく拍動しています。それこそ心臓は「生」の象徴というかそのものであり、前段で葛藤や自己の合一、決意を経た主人公は再び「生きる」ことを決めたのだな、と思います。

 そしてラスト、冒頭では青かったし割れていなかったマグカップが、黄色く、さらに割れた状態からの逆再生で日常=現実へと回帰していきます。生きてりゃ血は流れるよね。それでも生きていくんだ、というある種の「生々しさ」をMVを通すとより感じるようになりました。

好きポイント

ここからはMVの中でも好きな場面についてスクショとコメント形式で書いていきます。

こちらを睨む藤吉夏鈴。鼻血が出てくるMVはビリー・アイリッシュのbad guyを想起しました。
眼鏡の森田ひかるで「エッ!!!!」って声出ました初公開のとき。強すぎ。
敏腕営業チームという感じがする。
ここは歌詞も好き。シーンとしては「解放」の夏鈴ちゃんを傍観している皆の構図で、
「弁当温め」ているのは夏鈴ちゃんで「どんな奇跡待ってるの?」と問うているのは「僕」
としての傍観者の皆、と取れなくもないかなとか。
玉座の構築。二人セゾンといい流れ弾といいコレオの中で構造物を模すことが時折あるけど、
これは初めから意匠として「壊れることが前提で」構築されている点において特徴的な気もする。
ライブでもこれをそのままやっていた。あんたが(あんたって言ってごめん)王だよ夏鈴ちゃん…
意志。増本松田のシンメが個人的にだいぶ、いやめっちゃ嬉しかった。
櫻坂が櫻坂たる理由の一つは増本綺良にあると大真面目に感じている人なので喜びもひとしお。
櫻坂の長所の1つでもある高身長、の最たる土生ちゃんをこれでもかと活かした演出に唸る。
摩擦係数でも感じたけど、土生ちゃんが全体を締めるポジションに配置されていつつ、
パフォーマンス自体がどんどんパワーアップしているのは表現の幅という意味でも非常に有難い。
欅の「僕」と櫻の「僕」はこの当事者性というか、色々引き受けた上での葛藤、
という性格があるようにも感じる。
桜月期間を経て名実ともにセンターの顔をなさっている守屋麗奈さん。
あのフロントで遜色ないのって凄い事だったなと3rd TOURを思い出している。
様々なものを犠牲にしてきた「欅坂」に思いを馳せる歌詞
精神世界へ。自己と「他者存在」としての自己との対峙?
ここで抱き合うのが小林藤吉というのが良いんすよねまた…
ライブだと中心に土生ちゃんと数名を配置し外周メンバーは夏鈴ちゃんの走行とともに倒れていた
2023年度の坂道歌詞で暫定1位(6月20日現在)のフレーズ。

構築→再構築→脱構築

 6thで『Start over!』と題し「やり直し」を打ち出した意味について考えたときに、このグループにとって逃れられない運命でもある「欅坂」との対峙、そして「櫻坂」としてのアイデンティティの模索を続けてきた中で、本作はそれらを今一度総括した上で、今できる表現形態としての最高到達点を作品として残す、そういった側面があるのかな、と思ったりしました。
 欅坂は内面と反抗、櫻坂は外部との関わりと強さというイメージを個人的に抱いていたので、それらのハイブリッドといいますか、櫻坂でいえばまさしく『摩擦係数』のテーマが根底にありつつ、それでもやっていくんだという意志。ここに「櫻坂」を強く感じます。

 パフォーマンスの性質的にも「欅っぽい」みたいな部分を1ミリも感じないと言ったら嘘にはなるけれど、結局それも彼女らが培ってきた表現なのであって、そこの否定というよりは「欅坂」を昇華した上での「櫻坂」の表現になったな、というのが1st〜5thと6thで大きく異なる部分だったと思いました。

原点としてのサイマジョ。

再構築の第一歩であるノバフォ。

欅坂と櫻坂の「脱構築」であるStart over!。

「大事なのは どこからやり直すか? そりゃ諦めかけた数秒前」

おわりに

 というわけで、『Start over!』の感想を書きました。鮮度は大事。このあとがきを書いているのが6月20日なので公開からはすでに結構日数が経っているのですが、その間にも矢継ぎ早に色々な体験(AKB劇場、静寂の暴力、静岡遠征など)をしているので、書き切るって大事だなと思いました。ただ、楽曲に対する個人的に感じた方向性だったりは変わらなかったので、むしろ後半(MVパート)は落ち着いた形で記載できたかな、とも思います。

 MVのプレミア公開で最初に観た感想一言目は「気合入ってるな!!!!!!」だったし衣装・アートワーク周りもかなり好みで一貫したコンセプトだったのでいまめちゃワクワクしています。MV再生数も伸びているみたいなので、この勢いが色んな飛躍にまた繋がっていけばと思います。この先ももっともっと面白いものを見せてくれ〜〜と期待しています。

PS:櫻坂三期生TIF出てくれ(願望)

おまけ/参考


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