見出し画像

褒められもせず、苦にもされず

2024年5月23日、新宿二丁目・道楽亭の席亭
橋本さんが亡くなられた。
落語ファンの方々はもうご存じかと。
SNSは便利だ。
Xで悲報を目にしたその日は何も言葉に出来ず。
泣くでもなく狼狽えるでもなく、
あまり経験のない虚無感に浸されていた。
ようやく落ち着いてきたので思い出を振り返りたく。

私がまだ前座の頃にオープンしてた気がする。
わりと早い段階でうちの萬橘兄さん、
当時はきつつき兄さんが会を始めてたのを
何かで見聞きしたのを覚えている。
だからなのか、自分の前座時代から、
もしくは二ッ目時分にどっぷりここで
過ごしていたと勝手に思い込んでいた。
記録ってのはちゃんとつけとくもんだ。

三遊亭朝橘の道楽亭出演記録

こちらが私の道楽亭での履歴。
基本誰かと一緒、ひとり会は無し。
2019年8月31日は一応独演会と銘打ってたけど
講談の田辺凌鶴先生にゲストでご出演頂いてる。
お相手の記載が無い会は手帳に書いてなかったもの。
過去のチラシ画像を探せば出るかもだけどいいや。
初出演は2013年、記録の通り
柳亭小痴楽さんが繋いでくれたご縁。
橋本さんとはここ十年くらいのお付き合い。
もっとずっと、長い気がしてた。
春風亭昇也さんが写真を披露する会に
ただ冷やかしに行ったりもしてるはずだから
来店回数はもうちょい増える。多分。
細かいことだけど
百年目やる時のもう一席は
四人癖じゃないといけないのか自分。


初登場の時
「メクリ用意しといたから!」
と言われて見たら
当時、自分は三遊亭橘也という芸名だったのに
「三遊亭橋也」と書かれたメクリが
ぶら下がってた。わかりにくい?
✕「橋」 〇「橘」
ちゃんと寄席文字で書かれてたので
違うと言いにくかった。
道楽亭に出た芸人ならほぼ全員が
その手のケアレスミスに遭遇してると思う。
宣材写真も全然変えてくれないし
そもそもチラシ送るの遅いし。
でも本気で怒ってる人は見たことがない。
そういう人は道楽亭に出ない。
道楽亭に出る芸人は皆、
それらの事象をまるで
レトロな家電の不便さを
楽しむような価値観の持ち主。
口ではブーブー言いながら
それも和気藹々のガソリンでしかなかった。


初登場の翌年、
2014年に急にたくさん声がかかってる。
道楽亭は基本、席亭の橋本さんから
「〇〇さんと〇〇日に二人会どうですか?」
とメールが来るスタイル。
こちらから出してと言ったことは無し。
普通の主催者様だったら
初回で気に入ってくれた場合
「面白かったよ!また必ず呼ぶから!」
とちゃんと言葉にしてくれる。
私も初登場時の打ち上げ
※道楽亭は落語+打ち上げ形式のお店
打ち上げではお席亭のおかみさんが
絶品料理をふるまってくれてました。
みんなこれが楽しみだったんです
で絶賛されてリピート確定…では全くなく。
初回から最後までずーーーーーーっと
橋本さんは一度も褒めてくれなかった。
とにかく何も言わない。
良かったよ、も無ければ
つまんねえな!も無し。
たまに翌日メールで
「楽しい会でした」
それもたまに。毎回言わない。
たった一度、高座のことで言われたのは
2021年4月12日に『引越しの夢』をやったら
「この噺は上方の型じゃねえと嫌なんだよなあ」
すみませんね…小遊三師匠直伝なのに…。

高座の事はとにかく何も言ってくれなかった。
ただ一言、面白かったよって
言ってくれればいいのに言わない。
そのわりにはちょいちょい声かけてくる。
2014年は正にそれ。
2018年も多い。
これは春風亭三朝兄さん・一龍齋貞寿姉さんと
三人での会を提案されたからだと思う。
何でも三朝・貞寿・朝橘は
高座だけでなく普段からうるさい、
とにかくよく喋る。
そんな三人を一堂に会するイベントを
やってみないか?と。
題して「日本一うるさい会」
蟲毒?

案の定うるさかった。
無音がまるで無い会が出来上がった。
オープニングトークは最低40分くらい。
店の入り口の方の暗がりで
能面のような顔した橋本さんを見ながら
さらにトーク延ばしてやろうと
時計見ながらニヤニヤ喋ってたっけなあ。

してみると橋本さんは
ライブ感、化学反応を
とても大事にしていたし
それが好きで演芸に携わってた
人なのかなという気はする。
これとこれを組ませたら
どんなことになるんだ?
という妄想を四六時中
し続けていた人なんだろう。
恐らくそれこそが席亭気質。

そしてもう一つ、これは
演芸関係者全てに周知させたいことなんだけど、
客入りが悪いと(大概悪い)
宣伝してねというメールは来る。
ああそうなんだとSNSで宣伝はする。
でも最終的に不入りだったとして、
橋本さんはただの一度も
演者のせいにしたことはない。
絶対に自分の力不足で、と言う。
明らかにそうじゃなくても
芸人に集客の責任を1%も負わせない。

自分の事を悪く言うのはきついけど、
私が出る会は本当に不入りだった。
集客力が無くて
橋本さんに申し訳なかった。
こんな自分をブッキングしてくれてるのに
それに応えられない自分が
とにかく情けなかった。
いつか呼べるようになって
恩返ししたかった。
なんでこんな客呼べない芸人に
こんなにたくさん声かけてくれたんだろう。

もう橋本さんはいないし
勝手に憶測するしかないんだけど、
橋本さんと自分は
愛想の無さとか不器用さとか
かなり似ていたし共通点多かったと思う。
かみさんに見放されたらおしまいなところも。
その辺を私の高座から感じ取って
贔屓してくれていたのかも。

私の持論のひとつで、
言葉は信じない、
信じるのは態度と行動
というのがある。
言葉なんてどうとでもなる。
行動するとリスクが伴う。
だから口だけじゃなく
行動に移してくれる人は
信頼に値する。
橋本さんは何一つ言葉はくれなかったけど、
何度も呼んでくれた。
誰と組ませたら面白いだろうと
たくさん考えて、
そしてそれを実現してくれた。
その態度と行動こそが、
三遊亭朝橘への評価そのものだと思う。

打ち上げでちゃんと座らないと怒られた。
ちゃんと食べないと怒られた。
隅っこに居ると怒られた。
端の方で全体を見渡すのが好きなのに
真ん中にいろと。
一見乱暴だけど常に芸人を立ててくれていた。

芸人への気遣いと同じくらい
自分の事も労わって欲しかったな。
道楽亭って、そんな簡単に
無くなって良い場所じゃないんだよ。
他の芸人より長くも深くもない
お付き合いだったけど、
そんな自分にもぽっかり穴は空いたまま。
他の何かで埋まるものではない。
寂しい。

言葉は信じない自分だけど、
橋本さんは落語と、演芸と関わって
幸せだったのかどうか。
それだけは本人から聴きたかった。
どうせ意地っ張りだから
本当のこと言わないか。
自分も同じ性分だから
面と向かっては言えない。
だからこの場にて。
道楽亭で過ごした時間は
他では得られない、
不思議な時間でした。
ただ楽しいというだけでもない。
辛いとかでもない。苦しくもない。
でも無いとこんなに寂しい。
そんな道楽亭が自分は大好きだったみたい。
亡くなって気付くようじゃね。
今までありがとうございました。
自分がそっち行ったら
また誰かと二人会組んでください。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?