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合理主義者の恋愛論

付き合ったり結婚したり別れたり。
そんなふうに周囲がざわついている今日この頃。
恋愛モードから抜け出したしゅしゅはひとりまた,傍観期に入りました。

彼氏は欲しい。結婚はしたい。
そんな欲求があるものの、恋愛には向いていないんだろうなと実感があるのでなかなかに行動に移せません。

合理主義者である私は人間の感情というものを信じていません。
好きという感情だけでなく悲しみや怒り、どんな感情も一過性のものと考えています。
継続する感情はなく、それひとつに絞って言うのであれば"結婚"や"お付き合い"という契約の元、契約を履行するという理性で関係が成り立っているものが恋愛と考えています。
これはなかなかやばい考えかなと思わなくもないですが、少なくとも私の恋愛に対する認識はこれです。

それからお付き合いをする上で私が先ず考えること。
それは終わりです。
始まりがあるものはいつか必ずどのような形であれ終わりが訪れます。
だから私はお付き合いを始めたとき、同時に別れを視野に入れるのです。

そもそも論として私は究極のめんどくさがりです。
どれほどかと言いますと、自身の感情の動きですら面倒と、疲れたと感じるのです。

ですからまず、いくつかのパターンを想定し、別れまでのプロセスを組み立てます。
そうすればいざというとき感情を揺さぶられることなく全て想定内と受け入れることが可能だからです。

あとは私が付き合う人。
私は理性で付き合う人を決めます。
総合的に判断し、結果付き合うのはイケメンもしくは私を好きにならない人ということです。
今までの経験則から遅かれ早かれ男性は浮気をするものと認識しております。
相手がイケメンであれば浮気をされても仕方がないと割り切ることが出来ますし、私を好きにならない人であればこの人は最初から私のことを好きじゃなかったからだと理解できます。
そうすれば諦めはあるものの無駄に感情を動かすこともありません。
イケメンだけではありませんね。ヒモも同じことです。
すべて"仕方がないか"で終わるのです。
気持ちが楽なのです。

そんな楽さで恋愛をする私は本当に恋愛というものに向いていないですね。

そもそも付き合ったとしてもデートは3~6ヶ月に1回くらいでいいと考えていますし、記念日は誕生日をお祝いできれば他は、という感じです。
そんなに覚えられませんしもしかすると誕生日も忘れてしまうかもしれません。
よろしくないですね。

最後に私、本命にはなかなか好きと言えません。
素直に愛情表現が出来ないのです。
そうでない人には伝えられるのに不思議ですね。

これを改めて見てしまうともう人を好きになること、お付き合いをすることはやめようと思ってしまいますが笑
ただ、憧れはあるのですよ。
帰宅して「おかえり」と言ってもらえること。
ご飯を食べさせてもらうこと。
疲れた日は抱きしめてもらうこと。

そんな憧れを抱きつつまぁ私にはきっと無理だろうと。
根本が変わらない限りと無理だろうと。思っております。

次の恋愛モードはいつくるのでしょう。
だれかこんな私の感情をこじ開けて手網を握ってくれないかな。
いつかそんな人に出会えたら嬉しいな。

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