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幹部を目指していた俺が、自衛隊を去るまでの話
私が自衛隊に入隊したのは、若い頃から「幹部になりたい」という強い意志を抱いていたからだ。自衛隊という組織の特性上、階級を上げることは大きな責任とやりがいを伴うし、レンジャーのような厳しい訓練にも挑戦して自分の力を示したいという思いもあった。だからこそ、幹部を目指す道こそが自分の生きがいになると信じて疑わなかったのだ。
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富士学校戦車教導隊に移動後しばらくして、状態が安定していたからか主治医から3か月後1錠減らすことになった。その後、3か月後にてんかんの発作がおきてしまったのだ。そのことはすごく大きな出来事だった。
結局薬を元の量に戻すことになった。その原因を突き止めようと静岡のてんかんセンターで検査してみたが、異常は見当たらなかった。この出来事は私にとって想像以上に大きく、上司も私の体調を考慮してくれたのだろう。それでも私の「幹部になりたい」という夢は、その段階ではまだ揺らいではいなかった。
私が配属されたのは、当時「富士学校戦車教導隊」と呼ばれていた陸上自衛隊の部隊だ。名称が変わったと聞いているが、当時はこの名前で通っていた。衛生班に所属し、隊員がケガや病気になった際にすぐ対処できるよう、後方での待機が主な任務だった。
訓練や演習があるときは確かに忙しくなるが、それ以外の時期は待機している時間が多かった。若い私にとって「何もしない時間」というのは退屈に感じられ、どうにも落ち着かなかった。
ある日、あまりに暇で、上司に「何かできることはありませんか?」と尋ねたことがある。すると返ってきたのは、「待機も仕事のうちだ」という冷静な言葉だった。実際、衛生班としては必要な心構えだ。いざというときのために常に準備を整え、迅速に動けるよう待機するのも大事な任務だというのは理解していた。
だが当時の私は、何もしない時間を「ただの空白」だと感じていた。自分の力を発揮し、成長するための行動を取りたいのに、上官の指示もなく勝手に動いてはいけないという組織のルールがもどかしかったのだ。
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そんな思いを抱えていた時期に、上司から放たれた一言が私の人生を大きく動かすことになる。上司にちょっとした世間話から、どうしたら幹部になれますかと聞いたとところ「お前は幹部になれない」
そう告げられた瞬間、私の頭は真っ白になった。何しろ、私が自衛隊に入った最大の理由が「幹部になること」だったのだから、その言葉はまるで自分の存在意義を否定されたように感じたのだ。
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【自衛隊】一般曹候補生の体験記
自衛隊で体験したことを綴ったストーリーです。
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