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妊娠・出産の記録

今年は第2子を出産した。
第1子の時とはかなり異なる妊娠・出産時の状況を、細かく記録したいと思う。

まず第1子のとき。

夫とは別居婚で、妊娠時は一人暮らしをしながら自転車通勤をしていた。
お腹があまり大きくならなかったので、出産1か月くらい前までは自転車に乗っていた。
医師には「ダメではないけど転倒するリスクはある」と言われていたので気を付けて乗っていたが、本当はまぁ乗らない方が良かった…
今なら乗らない。

周りにびっくりされるほどつわりがなく、体調不良もほとんど無く、かつ前述のようにお腹も大きくならなかったので、産む当日まで普段通りの生活をしていた。
ただ、初期~中期はホルモンの影響で寝にくく、後期はうつぶせ寝や仰向け寝ができない影響で寝にくかった。(この時期の体調不良は検索すると全部「ホルモンの影響」と一蹴されてやるせない気持ちになる。)
あと、後期にはあばらが痛くなることがたまにあったくらい。
夫は車で片道3時間かかるのに頻繁に会いに来てくれて、大変ありがたかった。

産婦人科は自転車で5分くらいのところにあり、朝早く行くと空いてて大変良かった。
胎児のカラー写真も、写れば毎回もらえた。
三種混合ワクチンを打ってくれなかったのが残念だった。(他の婦人科で打ってもらった。妊婦のワクチンについてはこちら↓。)


ここで産もうか迷ってたけど、先輩方の意見を聞いて夫のもとで産むことに。
引越しの準備を始めた。

産休の前日午前中に出社し、午後に部屋を引き払い、残りの雑務のために会社に戻って、夜に夫のところに引越した。

前の産院で書いてもらった紹介状を持って別の産院へ。
こちらは大きい病院なので、待ち時間が長く、医師も毎回変わった。
そして毎回、胎児の写真はもらえなかった…
元気ならいいんだけど。

正期産の時期になっても体調に変化がなく、「お腹は張らないか?痛くならないか?」と聞かれるたびに「張るってなんだ?もしかして鈍感で気づいてないだけなのか…?」と不安になったり、痛くないことが悪いというような変な感じの診察が続き、女医さんには「早く降りてくるように」と膣内を刺激された。
うぅぅ…

この女医さんには散歩、雑巾がけ、スクワット、入浴、くるぶしのツボ押しを勧められ五積散を処方され、全部やってた(そもそも病院まで片道1時間弱歩いてた)が降りてこず、その間に羊水が減ってきてしまった。

陣痛を誘発するため入院することになり、準備をした翌日朝6時(入院当日)。
お腹が定期的に痛くなり、これが陣痛か…?でもまだ歩いて病院に行けるレベル…と思っていたら、だんだん痛くなってきたので夫に会社を休んでもらって病院に送ってもらった。
昼頃にはかなり痛くなり、誘発剤は不要になった。

午前中はのん気にスクワットや船漕ぎ運動(助産師さんに教わる)をしていたが、昼ごはんを食べられない痛さになり、本気で「いっそ殺してくれ~」と思う痛さに。
テニスボールのようなものを夫に腰に押し当ててもらうが(痛みが減るらしい)あまり効かず、助産師見習いさんが一緒にやってくれた呼吸法が一番効果があった。
腹式呼吸、超重要!!
夕方、無事に立ち合い出産でき、その後は点滴しながらkindleを読んでいた。

その日から夜も母子同室(4人部屋)授乳が始まるが、上手くあげられずミルクばかりあげていたら、2~3日後胸が張りまくって夜も眠れないほど痛くなった。
「いっそ胸を切除してくれ~!」と思うほど痛かった。
看護師さんに相談しても「頑張って授乳してね~」と言われるだけ…
会陰切開の傷跡よりつらかった。

1人の看護師さんに搾乳を提案して頂いたが、胸が張りすぎて、つまんだらさらに激痛で、自分では絞ることができなかった。
看護師さんが空いたときに来てくださり、搾乳を手伝ってくださった。(痛いけど、手加減が無いので絞れる。)
もう、この看護師さんがいなかったら私はどうなっていたことか…

胸の張りもマシになったので自分で搾乳できるようになり、夜も眠れるようになった。
しかし母子同室(しかも4人部屋)なので赤ちゃんには起こされる。
当時は看護師さんに言われた「3時間おきに授乳」というのに縛られ、泣いても「まだ3時間経ってないしなぁ…」と頑張ってあやしていたが、今思えばそんなの無視して泣いたらどんどんあげれば良かったなと思う。(よっぽど体重が激増しない限りは。)
(ちなみに同部屋に海外の方がいて、母乳とミルクを両方あげていたらしく体重が激増して注意されていた。その方は私の分娩直後に隣の部屋で分娩していたのだけど、看護師さんの英語がひどくて可愛そうだった。対して医師の英語はペラペラで、さすがだなぁ~と思った。)

無事退院して、夫も1か月の育休を取ってくれたのでのんびりと家での育児が始まった。
母乳を直であげるのはまだ上手くできなかったので、指で搾乳しては冷蔵庫に入れ、泣いたら温めてあげ、また搾乳して…と繰り返していたら指の関節がおかしくなった。
仕方なく電動搾乳器を導入すると、両胸同時に搾乳できて感動した。
早く買えばよかった!(育児で私が買ったものリストはこちら↓。)

4か月頃からは上手く飲めるようになり、夜には沿い乳を試してみたりもした。(満腹になる前に寝て、すぐ起きてしまうため止めた。)
泣いたら胸を出せばいいだけというのは、楽だな~

6か月からは離乳食が始まり、10倍粥を作ったり卵をすりつぶしたものを製氷皿(?)に入れてストックしたり、少しずつ色んなものを食べさせていった。

1歳を前にして、私の体重が妊娠前より6~7kg減った。
授乳のせいである。
胸を出せばいいだけで楽な反面、体力はガリガリと削られていた。
もう無理…と、離乳食にすべてを託して卒乳した。

…そして体重が元に戻りかけていた頃、第2子を妊娠した。

夫と第1子と共に引越してすぐだったので、また別の産院に通うことになった。(引越しについての記事はこちら↓。)

この産院は自転車で30分くらいのまぁまぁ遠い所だったのだが、他にないので仕方がない。
後期は、都合が良ければ夫に送ってもらったりもした。

今回のつわりは、「お腹は空いてるんだけど、そんなにいらない」というようなフワッとした気持ち悪さがあったくらい。
まだまだ世の平均よりは楽だったと思う。
ありがたい…

前回と同様の不眠、あばらの痛みに加えて、今回は貧血と妊娠糖尿病と痔になった。
歳のせいか、体力低下のせいか…
幸い妊娠糖尿病は軽めで、栄養指導を受けてたんぱく質、野菜、間食(!)を積極的に取るようにしたら治ったっぽい。
貧血は、鉄剤を処方され、2回くらい点滴した。
痔は諦めて、出産後に肛門科に行った。(恥ずかしい格好をさせられたけど、出産時に比べればマシだった。)

そして今回も、正期産の時期になってもお腹の張り・痛みは無く、遂に予定日を過ぎてしまった。
前の医師には散歩などをするよう言われたが、今回は安静にするよう言われた。
どっちが正しいんだろう…

夫の仕事の都合や、休日に陣痛が来たらちょっと嫌ということ(上の子がいたり、休日料金になったり)、何より「胎動が止まっているかもしれない」と常に不安だったので、計画出産に変更することにした。

変更した翌日に計画出産できることになり、一旦帰って入院の準備をし、夕方に再度病院に送ってもらった。
夜には看護師さんに下剤を入れられ(数分でトイレに駆け込んだので下剤ごと流れてないか不安だった)、点滴の管を入れられ(まだ点滴しないなら明日でいいじゃん~と不満だった)、翌日朝から膣内に風船を入れ、腕に陣痛誘発剤を入れ始めた。
陣痛誘発剤って、生理食塩水とかブドウ糖なんだね~

そして忘れかけていたこの痛み。

今回は呼吸を誘導してくれる優しい助産師見習いさんもいず、頑張って思い出そうとするも上手く腹式呼吸できず、陣痛の痛みに加えあばらも痛み、かなり体力を消耗した。
経産婦は初産より早く産めるという噂だったので期待していたが(この期待が良くなかった)子宮口がすぐには大きくならず、精神的にも参っていた。

家からの距離で選んでいたこの病院が、実は24時間無痛分娩可(産婦人科医が麻酔の資格も持ってる)で、「今からでもできますよ」という誘惑があった。
しかしプラス15万円…高い…!1人目は乗り切れたんだから、2人目もいけるはず…とかなり葛藤したが、夫の後押しもあり、無痛分娩をすることにした。
無痛分娩をする予定ではなかったのでほぼ無知な状態で麻酔の準備が始まったんだけど、これがまた衝撃的だった。

ほぼ全裸(っていうか全裸?)になって横向きになり、膝を抱えて丸くなって、背中に麻酔用の管を入れられた。
針も痛かったけど、何より丸くなった状態で来る陣痛がかなり痛かった。「針を刺すから動かないで」と言われ、準備の間ずっと我慢しているときが一番痛かった…

針を刺した後は元の姿勢に戻ったが、陣痛はすぐには治まらなかった。
「最初の痛みが10だとしたら今の痛みはどれくらい?」「う~ん…10…?か9…?」というやり取りを繰り返し、麻酔を徐々に増やしてもらって、ようやく痛みがなくなってきた。
麻酔ってすごい…

麻酔が効いてきてすぐ、子宮口が10cm(全開)になった。
なんか麻酔しなくても、もう少し我慢すれば良かったのでは…と少し後悔している…

麻酔が効きすぎていて、陣痛のタイミングが分からず、いきむタイミングも分からなかった。
お腹の張りを参考に助産師さんが教えてくれたので、そのタイミングでいきんだ。
なかなか出てこなかったが、吸引分娩によって出てきて(麻酔しているので吸引されているのも出てくる感覚もない)、泣き声が聞こえてきた。

1人目では泣かなかったと記憶しているが、今回は自然と涙が出てきた。

やっと、やっと出てきた…

出血多量だったようで、医師と助産師が慌てて色々詰めたり止血を頑張っていた。

ちなみに、1人目の時は生まれる瞬間も夫が立ち会ったのだが、今回はコロナの影響もあって、分娩時は退室させられていた。
立ち合い出産の意味…
私が落ち着いてから、夫が戻ってきて娘とも対面した。
この病院は、入院中も夫のみ面会可だったが、上の子を連れて来れないので入院中は誰も来なかった。(1人目の時は夫に加え、母と妹も面会に来た。)

出血多量で動かない方がいいため、おしっこの管も付けられた。

そんな感じで疲弊している中、出てきた晩ごはんは中華丼だった。
無理…
付け合わせの梨だけ食べた。
看護師さんが「梨だけしか食べられない?私のもあげようか?」と言ってくださったので、ありがたくいただいた…

何でか忘れたけど麻酔の管が抜けてなくて、寝るときにそこが地味に痛くて寝にくかった。
翌日くらいに色んな管が抜け、かなりすっきりした。
1人目の時の胸の痛みを覚えていたため、今回は早めに搾乳を始めた。
看護師さんにお願いして搾乳器を借りた。
この病院は夜は預かってもらえるので、搾乳した瓶を預けると、夜はそれをあげてくれた。

これで胸の痛みを防げるはず…という期待はまたもや裏切られ、普通に激痛で寝られなかった。
看護師さんに相談したら「それは冷やすしかないわ~」と言われて保冷剤を脇に挟んだりしたが、数時間おきに痛みで起きて保冷剤を取り換えていた。
マッサージとかあるなら、教えてほしかったなぁ…

産んだ後であまり元気ないのに、毎回食事が豪華で、「今じゃない、今じゃないんだ…!」と思いながら残すもったいなさを感じていた。
複数の産院のレビューを見ると、食事の豪華さを高評価している人が結構いるので、まぁそういう流れらしい。

退院の日。
分娩・入院費は現金で払わないとダメで、事前に用意していた現金では無痛分娩の分を払えなかったので、夫に持って来てもらった。
退院の時間ギリギリだったけど何とか間に合い、無事に退院できた。

免疫力アップのため授乳と搾乳を頑張っていたが、2~3か月もするとやはり体重が減ってきた。
1人目のときのつらさを思い出し、娘には申し訳ないが徐々にミルクに移行した。
授乳には授乳の楽さがあり、ミルクは作るのが面倒だったりお金がかかったりするのでしばらく迷ったが、ミルクは腹持ちがいいので長く寝てくれることもあって、最終的には授乳を諦めてしまった。
「夫婦の育児を平等にするためにミルクにした」という意見もあって、少し安心した。

個性にも依るのだろうけど、2人目は1人目に比べて夜よく寝てくれるようになった。
ありがたい…!

今日は朝まで寝てくれることを願って…
おやすみなさい~


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