干すと何でも美味しい4/30(金)
73年前に私が生まれ育った文京区の護国寺の前の音羽通りの一本道のことである。その面影は70年経過しているから完全に別のものになってしまった。その町並みの変貌の無残さをここでは言うのではない。当時の生活の街としてのほうは音は通りであるが普通の生活に必要なものは全部揃っていたのである。その中で私が非常に興味を示していたのは間口が非常に大きな乾物屋さんであった。
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