佃日記2004年12月
佃日記2004年12月 2004年 12月 1日 (水) 次の日の日記
★北京は新華通信社の売店
ハッセルブラッドのコピーの東風。
1996年だかに最初にここにきた時には、まだ値札が付いていた。たしかその価格は日本円で90万円と読めたのである。
この数年来、そのプライスタグはなくなって、もっぱら「文物」となっている。
★神楽坂のビシャモンポイントから
「路地裏の嵐作戦」に出撃する坂崎幸之助 偽ライカ同盟隊員。
装備はエプソンRD−1にキヤノン19ミリバルカン砲。
*画像をクリックすると大きなサイズでご覧いただけます。
12月1日である。
快晴。
ただし10パーセントのホワイトが混ぜてある。
今日は午後2時から神楽坂にて「偽ライカ同盟総決起集会」がある。偽ライカ同盟の片岡、坂崎、長徳トリオが東京人の2月号の「偽ライカ同盟 路地を撮る」の為にパルチザン撮影を展開。
今年は時間の進行が速かったなあ、、と思う。
幸せなのは「自分の好きな仕事」だけやっていられることだ。
こう書くと、立派であるがその実、50歳後半では仕事などあるわけもない。
そのネガテイブな状況をポジテイブな視点で見ているだけなり。
ほとんど、1月かけてベランダ方向に固定したアリフレックスSRにて撮影した「映画/隅田川」をスイスはローザンヌのコダクロームのラボに発送した。
2本目のフィルムはぐっとクラシックにモノクロで撮影することにして、ストックしてあったプラハで買った「フォマパン」を装填した。
「映画/隅田川」とはキーボード上の「筆のすさび」ながら、まるで昔の岩波の教育映画のタイトルのようだな、と思い、もう少し頭脳を広げて考えてみると、大昔の70年代にウイーンのバロックの小教会で聞いたベンジャミン ブリッテンの「オペラ/隅田川」のことを思い出した。
ちょうど、その「岸辺のマリア教会」ではバロック時期にはすぐ側までドナウの流れがきていたのである。そこでドナウの岸辺にてユーラシア大陸の極東のさらに東の倭の国の太平洋にそそぐ小さな川(一般に日本の川はダイナミズムに欠ける)である、隅田川を想ったわけであったが、まさか当時はそれから20年後に実際に隅田川のほとりに住むことになるとは、想像の他であった。
人間、とかく未来のことはわからない。
家人からの報告によると、大手上場の部長さんが今まで携帯電話を持たない主義でいたのが、さらに上の偉い人に叱られて、携帯を持つはめになったのだと。
これはまったく当然だ。ケータイを持たない(あるいは私のように持てない)のは、我々のような組織外にいる人間の「かっこうつけ」なのだから、ちゃんとした社会人さんはケータイのネットワーク内に居てこそ社会人である。
(10:21)
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