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思い起こせば最初の自分のダークルームは文京区音羽の関東大震災直後に建設された木造2階建ての1階の6畳間の勉強部屋だった。
ダークルーム作業と言うのは1種の運動と体験と経験を悪大家させたものだと思う。
最近のデジタルカメラが滑稽なのは本当の写真表現とは全く関係ないようなところで、進化がどんどん先のほうに進んでいると言うのを私は面白く観察しているのである。
1985年だったと思うけれどアサヒカメラでパリに取材に行ったのである。メインはJack Lartiegueのインタビュー。
森永さんといえば有名な伝説があって友人スミスのアシスタントをやっているときにダークルームに関してスミスが非常に厳しいやり方で100枚焼き直しをさせられたというのが有名である。
カメラ雑誌には暇ネタと言うものがあって特集がちょっと切れて何をやって良いか分からないと言う時に、著名な写真家の使っているカメラの一覧表を出してしょうもないインタビューをしたりするのである。
ウィーン滞在の後半1979年の頃の話だがいきなり売れっ子作家kitai KazuoさんからEメールが到着した。
ヨセフクーデルカは国際的に有名な写真家としてマグナムの重要なメンバーでもある。もともとはプラハの有名な劇場の照明係りをしていてその照明係りと言う役割が彼の光と影のコントロールをサポートするためにかなりのベーシックな役割を果たしていた事は想像に難くない。
白岡さんと最初に会ったのは1979年頃だったと思う。場所はパリの右岸のアパートメントであった。白岡さんのことを私がなぜ知っていたのかがいまだに謎なのである。インターネットもない時代だったから白岡さんの存在を知る事は不可能である。唯一考えられる事はその当時日本在住の写真家中川政明が何かの手紙の中に白岡さんのことを書いていたのかもしれない。それでパリ滞在中に彼と連絡が取れて彼のアパルトマンに遊びに行ったと言うわけである。
RCペーパーが登場した30年位前は私もよく使ったものである。要するに処理が早いし乾燥が早いしフラットニングもする必要がなくて実用一点張りの印画紙であった。