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良いレンズであると言うことを悪いレンズと批判されることがカメラメーカーにとってもユーザにとっても写真家にとってもそれぞれの生死を分ける重要なLINEである。なぜそんなことになってしまったのか?
1966年の4月と言うのは私にとってビックイベントがスタートした時であった。日大芸術学部写真学科の1年に入学したときにそれの記念ということでミラーアップして使うニコンFにつけるためのニッコール2.1センチを新宿西口のカメラ屋さんで手にいれたのである。その当時はまだヨドバシカメラなどは小さな小売店舗のお店であった。
リチャードクーさん自分でコントレックスの交換レンズを作る。
ニッコール2.5センチとキャノン25ミリの終わりなき戦い 私は写真家としてスタートした頃はこれは今になって思い出すと非常に痛快な話なのであるが世界の優秀な日本のレンズの技術をもってしてもその当時言われていた超広角レンズと言うのを作るレベルには達していなかった。
トリプレットレンズすなわち三昧玉のレンズは世の中では安いカメラに付いている安いレンズであると言う認識があるのだが私は三昧玉が大好き。
スーパーアングロン21ミリと言うライカエムモデルにつける広角レンズが20歳代の私の憧れのレンズだった。でも当時の輸入代理店のプライスリストだと本体の値段が100,000円なのである今の100,000円ではなくて50年前の100,000円である。
世界的に著名な写真家がいつも使っているレンズと言うのは何十年来ほとんど1つのレンズを使うと言うことに決まっている。理由は単純であって彼らはレンズの性能的には最初から期待をしてなくて自分の視神経に大変な自信を持っているからだ。
最初に手に入れたのが小村レンズ135ミリだった。それから半世紀後に同じレンズでコンタックスレンジファインダマウントのを求めた何が私を驚かせたのか?
半世紀以上にわたっていろんなレンズをライカに使っていて1番信頼がおけるのは私はソ連製の50ミリレンズである。明るさF2と明るさが2.8のやつがある。さらにレアだけどef 1.5と言うレンズもある。そこら辺でウィーンの街並みを歩いてそれなりの写真を撮影してきたわけ。
月に行ったカメラと言うので有名なハッセルブラッドルナカメラというのがある。あのカメラは計測用の特殊なカメラであってフイルム面には縦横のグリットが付いていてデジタル時代ではなくフィルム時代の撮影で非常に学術的地理学的な大成功を上げたのだそうである。
レンズのブランドのかりそめの名前に騙されていろいろレンズ人生まわり道をしてきた私であるが結局は長いこと使っていたごく普通のレンズを使い続けることが1番正しいレンズの道なのである。