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その一 さまよえるオランダ人。プランタンがオープンしたその日に有楽町でエルスケンとあった。彼は私にライカを買わないかと持ちかけてきた。
エルスケンsweetライフ其ノ弐 その2 エルスケンの代表作スイートライフは私が1番最初に手にした大きくて重い写真集だった
その3 エルスケンの時代つまり1950年代後半は世界を見ると言うことが最大の写真家のステータスであった。エルスケンの場合は奥さんが大手航空会社の客室乗務員なので家族割引とかタダ券をもらえたようである
エルスケンsweetライフその4 その4 エルスケンのアジアに対する視点はやっぱりかつての植民地時代アジアのエキゾチシズムの延長にある事は間違いない。
その5 香港でチャイナドレスの女の子を追っかけそこにエルスケンのスナップシューターの本質がある。
その7 これがオリジナルのスイートライフのカバーに掲載されていた作品である。それでで私はそれに打ちのめされてしまった。マントーxマシンの対決あるいは解決である。
エルスケンsweetライフその8 その8 1950年代終わりの数寄屋橋風景。ソニービルはまだできていなかった。エルスケンがどのカメラアングルで撮影したのか私は知っている。数寄屋橋デパートの階段をさらに上ると高速道路に出られたのである。
エルスケンスイートライフその9 その9 1960年代に浅草あたりをウロウロしている外国人観光客を引率するガイドさんが持っていた端にはオリエンタルアドベンチャーとあった。それにびっくりした私であったが、中国から日本に来たら過去の干したのにお線香Momoだからこれは最高のオリエンタルアドベンチャーである。
その10 トランジスタラジオを手にする男性。当時外国の模倣だと言われて非難されていた。その男性と日本の仏像とはアルカイックスマイルの共通点がある。
エルスケンスイートライフその11 その11 エルスケンが撮影したどこかの相撲部屋と、当時の前衛集団がセットした集団ヌードの撮影風景。エルスケンにしてみればどちらも裸でアクションをしているのが東洋人であると言うところに興味がいったものであろう。